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All that be for Haruhi. @千極一夜
- The blog site of only an Sengoku Musou2 (Samurai Warriors 2). By Haruhi -
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冒頭は、陥落していく大坂城を眺めながら、家康が本多正信と交わした独り言のような会話から始まります

「もしもここに石田治部少輔が居たら」
あり得ない話
だけど、石田ファンなら誰もが思い浮かべただろうことを言葉にする狸

もしもここに三成さんがいたら、信繁(真田幸村)の力を存分に発揮させ、大逆転劇を披露しただろう
だけど著者の脚色とも言える狸は、こうも否定する

「彼ならば、15年もの長きに渡って豊臣を、このような憂き目に合わせることを黙って見ては居なかっただろう」
(そんな感じのこと)


嘗ての『秀吉の子飼い』だった清正は関ヶ原で徳川に味方し、この世の太平を見ることなく没した
清正の腰ぎんちゃく的な存在が否めない正則は、大坂の陣の後、自殺とも取れる死に方をした
三成さんと対立し、三成さんを嫌った人間のほとんどが、ろくな死に方をしてないように見受ける
そして、そうなるよう手引きしたのが家康とは、皮肉もいいところだ
まぁ、そんなことはどうでも良いのだろうけど、なんだか言葉にしたかった

戦国無双2をやるまでは、わたしは豊臣の家臣団の中では加藤清正が好きだった
勇猛果敢な勇将と言った感じで、歴史の授業とかでも学んだので
だけど、ゲームで殿に肩入れしてからは『いやなヤツ』と、印象が逆転してしまった

それを決定付けたのが、この『石田三成』(江宮隆之著・学研文庫)です
内容は、確かに歴史書に比べたら薄っぺらくて、読み応えも薄い
だけど、三成さんを知る良いきっかけになるような一冊であることは、間違いないと思う
それは、わたしの中で三成さんが相当美化されてしまった表れでもある

特に三成さんを嫌っていた清正・正則のお家がろくな目に遭ってないのが、少しだけ胸がすっとする感じがした
ご子孫さまには、大変申し訳ない話なのだが・・・
逆に三成さんの子供達は、全員無事
その優秀なDNAを今も引き継いでるのか・・・どうかは、定かではないが
知らない人なので、知りようがない(汗


もしも大坂・夏の陣が始まった頃、三成さんが存命だったなら

文中、著者の気持ちを代弁した家康は、こう言っている

「少輔が生きていたら、立場は逆だったかも知れない。我々が豊臣に頭(こうべ)を垂れていただろう」

『石田』ではなく、『豊臣』と書いている
つまり、三成さんは関ヶ原で勝利しても、自分が天下に上がるのではなく、豊臣を最上段に持ち上げるだけの人物であり、それはかの諸葛孔明が劉備亡き後蜀漢を必死で支えていた姿に被る
自分は、あくまで支柱
そうあり続けようとしていた
そんな、素敵な生き方をしていた三成さん
もっと知りたいと思った


この本は、一小節ごとにその時三成さんが主に関わった人物を中心にして描かれています
織田信長から、関ヶ原の家康まで
三成さんの親友・大谷や小西との絡みも丁寧に書かれてますが、やはりボリュームが欠けるため不完全燃焼的な要素もあります
三成さんの人生の、主だった事項をあらすじにまとめた
そう言う感じ


一章・織田信長

ここでは三成さんと秀吉との出逢いが書かれています
やはり『三献茶』がクローズアップされていて、詳しく書かれてます
が、この三献茶も場所によっては『創作物である可能性がある』とされてますが、ぶっちゃけそう書いてるのはWikiだけであり、Wikiに書かれていることも所々誤りがあるので一概に嘘とも言えない状況でございます
まぁ、現場を見てないわたしとしては、美談を信じたいのが心情
それまではたまたま立ち寄った寺(観音寺)で三成さん(当時の佐吉)を見初めた秀吉が小姓に迎えたと通説でしたが、この作品の中では予め三成さんのことを弟の秀長さんから聴かされた秀吉が興味を持ち、鷹狩を称して会いに行った。と言うものでした
ここで描かれている三成さんは、色白で目元の涼しい利口そうな子供
信長も一目見て気に入るくらいの美少年と書かれてました
(文中で『信長好みの聡明な美少年だった』と書かれてます)
真偽のほどはわからないけど、大阪城にある三成さんの複顔画を見る限りでは、まぁそんな感じの人
司馬遼太郎の『関ヶ原』にも、三成さんは40近くになっても童顔で・・・とあります
可愛いだけではなく、頭も良い三成さんを信長も気に入って、自分の側に置きたいと申し出ます
主君の信長に逆らうことは命知らずなことだけど、秀吉は色々根回ししてまで手に入れた三成さんを手放したくないと頑として受け入れず、(口論のようなことまでしてますが、これは恐らく脚色でしょう)三成さんも秀吉を主君と定めたものを、今更覆すようなことはしたくないと、信長の誘いを突っぱねます
14〜5の子供が、なんて不敵なことを
だが、二人のそんな必死な姿を見て、信長は怒るどころか三成さんの律儀さや天晴れと誉め称えます
しつこいほど佐吉(三成さん)を欲しがる信長が、妙に可愛く見えました
秀吉を安土城に呼んだのは、大事な話をするためで、話が及んだところで秀吉は三成さんに退席するよう目配せしますが、信長はその三成さんを引き止め、密談とも取れる会話の中に入れます
信長は一目見た三成さんを、相当気に入った様子が伺えます
これが史実のものなのかどうか、他の三成さん関連本を読まないとどちらとも言えませんが、明智光秀も三成さんを一目見て気に入ったと書かれているので、三成さんは見掛けだけじゃなく中身も優れた人だったのでしょう

人間は先ず外見を見て、それから中身を見てから人を判断するものです
外見が悪くても、中身が良ければ外見の悪さに目を瞑る
外見が良くても、中身が悪ければたった一つの長所だけを見てしまう
三成さんはそのどちらとも書かれてないので、恐らく外見も良ければ中身も良かったのでしょう
だから、尚更周囲の大人に好かれたのではないだろうか
例えば、三成さんにもたくさんの欠点はあったけど、それを補って余りある長所もあったので、悪いところは目を瞑る
目を瞑れるのは、外見が良かったから
そう、自分勝手に結論付けました

自分に対して生意気な口を叩く三成さんを怒鳴るどころか、逆に赦してしまう信長も、三成さんの見てくれにコロっとやられた一人でしょうか
信長の章は、終始ほのぼのと読めました


二章・明智光秀

ここでは秀吉の軍略(計略と言えばいいのか)、人転がしの上手さが描かれています
それを間近で目にし、少年の三成さんがどんどんと吸収して行く様が軸となってました
小姓に召抱えてから、秀吉が片時も三成さんを放さなかった様子が伺えます
まだまだ若輩者の三成さんに名代をさせたり、光秀が冷静に三成さんの性質を分析したり、戦での駆け引きや遣り取りも覗けて、中々面白かったです
三成さんが武力優先の猛将ではなく、才知に長けた執務にばかり就く行程などがここで描かれています
決して戦の前線に出なかったのではなく、裏方の、頭を使う仕事ばかり押し付けられていく様が、伏線としての章でした


三章・黒田官兵衛

わたしが私的に書いて、一人で楽しんでいる創作物で、殿に黒田官兵衛を『先生』と呼ばせてます
その片鱗が、ここに見れました
三成さんは官兵衛を『先生』とは呼ばないまでも、そんな気概を持っているような内容が描かれています
こんな中に挿話として入っているのが、三成さんの親友の一人、小西行長です

最近、殿(ゲーム)のシナリオには特に力を入れているからか、関ヶ原でも江戸の陣(外伝)でも、小西も大谷もしっかり生き残ってて、『家康ワッショイ』に参加してます
今日、ゲームレベルが一番高い『地獄』を江戸の陣でやりましたが、宇喜多共々しっかり生き残って、家康を胴上げしてました(笑
殿の最終武器はゲットできませんでしたが、感無量でございます

最終武器なくても、殿、充分強いし(ぽそ

この、黒田官兵衛の章で三成さんは、親友であり戦友でもある小西行長と出逢います
性格的にも正反対の二人が、どうして生死を共にするまで友情を育んだか、少〜しだけ描かれてますが、やはりボリューム不足が災いして、イマイチよくわからないまま終わります

黒田官兵衛と言えば、自分の表裏なき律儀を示すため嫡男を人質に差し出し、単身敵陣へ交渉に向かう勇敢な軍師
ところがいつまで経っても帰って来ない黒田に待ち受けていたのは、『裏切り者』の汚名
実は黒田は囚われの身となり幽閉されていたのだが、そんなこと信長も秀吉も知らない
激怒した信長は黒田の嫡男を殺すよう命じるが、秀吉にはそれができず内々に処理した
それは、この後の秀吉の章に引き継がれる話なのだけど、黒田の嫡男の命を救ったのは秀吉であり、大谷であり、実行したのは三成さんであった
息子を匿うよう命じたのが秀吉で、それを命じられたのが三成さんと小西だったか大谷だったか・・・(忘れた
三成さんは大谷のアドバイスを受け、黒田の息子を自分の実家に隠したのです


四章・羽柴秀吉

序盤から黒田親子の救出談から始まり、三成さんの縁談話へと発展します
お相手は宇田頼忠の娘・月世
この、宇田頼忠の嫡男の許へ嫁に行ったのが、真田昌幸の娘
三成さんと信繁は、義兄弟と言う形になった
三成さんの奥さんの月世さんは、とても美人で教養があり、三成さんと通じた趣味もあったからか、夫婦仲はよく、三成さんは生涯、この月世さんだけを愛したと書かれている
と言うことは、Wikiの三成さんの項目にある「家康が刺客で送り込んだくのいち」の存在が創造のものではなかろうか。という疑念が生まれた
司馬遼太郎の作品には出て来ているが、こちらでは出て来ないと言うことは、仮に居たとしても三成さんの人生の中ではさほど大した問題でもなかったのだろう
月世さんとの間に子供がたくさんいるので、(それこそ、長政&お市さんとこより多いかも)夫婦仲は極めて良好
側室なんか作ってる暇すらないほど多忙な中での子沢山なので、わたしとしては『三成さんは奥さんオンリー』な人だったんだと思いたい(願望
本当に多忙で、愛人やらなんやら作ってる場合じゃないって感じでしたのですが、実はそうでもないようで・・(汗
明確にはしていないけど、どうも美男美女の夫婦だったことが伺える文章がありました


五章・大谷吉継

ここで三成さんは親友となる大谷と邂逅を果たします
話は『本能の変』
この章で三成さんが秀吉とは『ツーカー』の仲となるエピソードが組み込まれてます
秀吉が最も信頼したのが、親戚から養子としてもらい受けた清正や正則じゃなく、三成さん
若い頃は『氏』や『生まれ』や『血』よりも、『才能』を愛した秀吉らしい内容でした
地味な裏方仕事だけど、計算力を必要とする頭脳を最も必要とする秀吉の戦には、三成さんはなくてはならない存在だったのです
少し先んじた性格の三成さんに対して大谷は、大人の雰囲気も兼ね備え、常に冷静沈着に事の次第を見守り、分析して行く
そして、必要なことは三成さんに話して聴かせる
三成さんにとって大谷は、自分にはないものを持っている素晴らしい人間であり、いい刺激となる相手でした
秀吉が『吉継に100万の兵を動かしてみたい』と言う、有名なエピソードもここで垣間見れました
『山崎の戦い』の後、三成さんと大谷はお互いを幼名で呼び合うほどの仲になりました
会話の内容は武将らしいものだけど、なんだか初々しい恋人同士のような雰囲気もあって、どことなくほんわかします
この章の最後では、『賤ヶ岳の戦い』の正しい本筋が読めます
世に言う『賤ヶ岳七本槍』は、実は清正を先頭にした武断派が自分達で勝手に吹聴したもので(吹聴したのは清正ではないらしいが)、一番槍を上げたのは三成さんら近江衆だったそうです
『七本槍』の話が一人歩きし、本来の武功者である近江衆を気遣い秀吉が与えた称号が『先駆衆』です
しかし三成さんら近江衆は頭のいい人が多かったので、自分達の手柄を自慢話にはしなかったため、世間では『七本槍』の方が遥かに有名になったらしく、この本で三成さんは子供のように大谷に不貞腐れる場面があり、可愛いこと可愛いこと

それ以後、三成さんは天下人に近付く秀吉の戦を、裏で支える仕事を多く任されるようになり、表立った戦働きができなくなります
世に言う『三成は戦下手』と言うのは、三成さんの才能を妬んだ連中の誹謗のようです
現に三成さんが居なかったら、戦場にいる兵士達が飢えで死ぬであろうと揶揄した書き方をされてました
大谷の章は、読み応えがあります


いよいよナオの登場です

六章・直江兼続

三成さんは越後の景勝の側近・兼続の話を耳にし、文通を始めます
この、二人の手紙のやり取りは2年近くにも及びますが、まだ顔も合わせていない時期に兼続は三成さんに対し、「まるで恋人のようだ」とも評してます
謁見した秀吉が兼続を見て、その男前っぷりに驚いたそうですが、その兼続が三成さんとの手紙のやり取りで三成さんに対し『恋人』と例えたのが驚きます
それが著者の脚色によるものかどうかは、定かではありませんが
直江兼続作の七言絶句「雪夜囲炉」は、三成さんとの出逢いを漢詩にしたものだそうです
書いてる意味はわかりませんが(汗
ただなんとなく、愛しい人を想うような個所が、いくつか見られました
三成さんに対して、恋心のようなものを持ったのだろうなぁと勝手に想像
それだけ、三成さんの教養は半端じゃなかったようです
愛読書が源平盛衰記ですから・・
『祇園精舎の鐘の声』でも有名な平家物語も、愛読書の一つだそうです

普通にすごいわ、三成さん

景勝と秀吉の会談を取り成した三成さんですが、まだまだ多忙は極めます

次の章が利休の話なのですが、利休ファンは読まない方が良い
印象がガラッと変わってしまうから


話はまだ続くのですが、この次の島左近の章が難しすぎて、先に進みません
三成さんの影のようなものも見え隠れして、こんな生きにくい時代に真っ直ぐ生きようとする三成さんが、どんどん窮地に追い込まれてしまうようで、怖くて読めないのが心情です

全体的に、著者の脚色のようなものが見え隠れして、なんとなくどこか疑って読んでしまいますが、三成さんファンのわたしとしては、「これが読みたかった」と言うものです
ただただ三成さんが優れた人間ではなく、子供じみた部分もしっかり描かれており、その純粋さが伺えます
一言で言い表すなら三成さんは、『可愛い人』
可愛いからこそ、三成さんの性質を理解できる頭の良い人は可愛がり、愛し、敬う
だけど、性質を理解できない莫迦(この場合は、正しく莫迦。教養のない人間のこと)は、三成さんを『鼻持ちならない嫌味なヤツ』と受け取る
それは、出来の悪い人間が出来の良い人間を嫉妬から来る軽蔑のようなものと同じ
今も昔も、何もない人間は何かを持ってる人間を羨むもので、ありもしない悪口を言ったりしますけど、清正・正則はその代表格とも言える人間でした
こんな人が九州では英雄に祭り上げられてるんだから笑っちゃいます(ごめん、九州の人・・
清正は、三成さんにはない優れた部分がたくさんあったのに、秀吉の一番になれなかったからか、卑屈な人間として映ります
いくら戦働きをしても、秀吉が一番に愛したのは三成さんであり、常に側に置き、可愛がった
自分を見てくれない
実際はそんなことないのに、清正にとって三成さんは、ある日突然やって来た目の上のコブだったのでしょう
秀吉は人の使い方が上手くて、一番の功績者である三成さんにさほどの石高も与えない
逆に戦働きの目覚しい清正には、三成さんより高い知行や石高を与えている
これは、三成さんが自分のしたことをお金で換算して満足するような人間ではなく、たった一言、「よくやった」と誉める、秀吉の言葉に満足する人間だったから
清正は、自分の武功を物で換算して喜ぶ単純明快な性格であることを、秀吉は知っていたのだとも受け取れる書き方をされてました

三成さんがもう少し懐柔な性格だったなら
清正がもう少し謙虚な性格だったなら
この二人はきっと、無二の親友として名を馳せたかも知れない
三成さんの賢すぎたところが
清正の単純すぎるところが
お互いを理解できないまま、終わってしまったようです
ちなみに、三成さんが近習として連れて来られた時点で、三成さんが最年長だったそうです
年上の、頭の良い美少年にきっと、コンプレックスを感じたのでしょう
それだけ、三成さんは秀吉から別格扱いされていたのです
戦が下手なのも、それは事実無根でした
三成さんの実家は、庭に弓道場があり地元の人間にも教えていたらしく、当然三成さんも習ってました
弓を引けば百発百中
常に的の真ん中を射抜いていたとか
弓の名人だったそうです
槍の腕も確かで、三成さんは文武両道の人だったのです
決して扇子を武器にしたひ弱な武将ではありませんでした
まぁ、躯が小さい(華奢)のは事実だったそうですが
それでも当時の平均値の身長なので、決して女体型ではないそうです
意外と知られてない話でした

秀吉に重用されながら、何故武功(戦での活躍話)が少ないのか、その謎解きもあり、『三成は戦下手』と言う有名な話の原因も描かれていて、三成さんの名誉回復に役立ってる1冊だと思います
こう言うものがもっと早く世に出ていたら、400年もの長きに渡って世間から批判される目で見られることもなかったのにと、残念な思いもあります
『無双OROCHI』のキャラクター本でも三成さんは、散々なことを書かれてます
それでも今、三成さんを見直そうと言う人間が徐々に増えてるのは、やはり


この美貌の賜物だと思います


史実はともかくとしてっ・・・(大汗
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