master only - Admin*Write*Comment |
All that be for Haruhi. @千極一夜 |
- The blog site of only an Sengoku Musou2 (Samurai Warriors 2). By Haruhi -
BL新日本史と言う書籍を買いました

BLってくらいだから、世にゆうゲイネタ好きの『腐女子』と呼ばれる人達が好む内容かと思いました
だからちょっと抵抗があったんですが、思い切って買いました
『衆道』の生い立ち(?)がよくわかる内容でした
同性愛(少年愛?)が日本と言う国を強くさせ、同性愛の廃れが日本と言う国を弱くさせたのだと言う仮説がたまらなく面白かったです
が、ここでもやはり三成さん、兼続の名前が出て来ました
三成さんは秀吉に寵愛を受けた社長秘書のようなもので、武功もないのにどんどん出世して幅を利かすようになって、周囲から嫌われた
兼続は謙信に愛された
どこの同性愛を取り扱ったサイトにも書かれてるようなもので、ちょっと失望です
三成さんは戦場に出たくても、出してもらえなかったようです
だから賤ヶ岳の戦いでやっと槍が持てることを喜んだ。と、『石田三成』では書かれてました
それが真実かどうか、わかりません
ただ三成さんは計算力がずば抜けて高かったので、やっぱり裏方仕事(兵糧の用意とか、運搬方法とか、地味だけど『やってりゃ良い』という仕事ではなかったようです)に回されて、それを全力で済ませたら秀吉から「戦場に出ても良いよ。思いっきり武功を上げたら良い」とか言われた。なんて書かれてますが、これは『石田三成』に書かれてたことなので、正直言って「著者の脚色を鵜呑みにしてる」なんて言われても、反論できません
ただ、世間で言われてるような、「みんなが戦ってる間お城に残って事務してた官僚」てのは、間違ってると思いました
秀吉によって、数多くの戦に連れて行かれてるようです
だけどやっぱり目立った活躍がないため、「地味なくせに出世だけしてる」と言う風に解釈されてるんでしょうね
このBL新日本史にも後者な書き方がされていました
三成さんは、やっぱりまだまだ先入観で見られてるようで
わたしも先入観で見てますが(汗
で、これはわたしの仮説なんですが、腕が立って頭が良くて、その上美人(男性的な美ではなく、女性的な美と言う意味)で秀吉のお気に入り
そうなると、秀吉がちやほやしてしまうのは当然の結果で、それが清正らの反感を買ったのではなかろうか
他には秀吉から異常なほど愛されて、やっぱりどこか天狗になってしまった部分があったのかな。とも思ったのですが、そうなると吉継や行長のような、自慢に値する親友なんかできるわけないし(特に吉継も秀吉から寵愛されていたので、何かしら確執のようなものが生まれても不思議ではない)
行長には高い志があったし、吉継は年齢の割りに大人な部分があったそうなので、どちらも武功はあるけど清正のような猪武者ではないから知性も兼ね備えていたのでしょう
だから、三成さんとも気が合ったのでしょうね
ちなみに吉継は三成さんと同じ『近江衆』
行長は地元っ子なので『摂津衆』と呼ばれていたそうです(実家は堺の薬問屋。だったかな?)
秀吉から寵愛を受けっぱなしと評判の三成さんにも、ちゃぁんと(?)お気に入りの小姓は居たそうです
三成さんも、バイだったのねぇ(笑
頭の良い男前な三成さんに気に入られてたのだから、その小姓もきっと飛び切りの頭脳を持ってたお利口さんだったんじゃないかなぁと思いました
兼続の方ですが、どこに行っても『謙信の寵愛を受けた小姓』扱いされてますが、実は謙信が兼続を寵愛してたと言う文書は存在しないそうです
偏った知識をひけらかして申し訳ないのですが・・(汗
武功でも、三成さん同様目立った活躍はやっぱりないようで、そんな人を軍師だなんて上杉家って人材不足だったんでしょうか
あぁ、言い掛かりを付けてしまった・・
歴史書と言うのは、『これが真実です。虚言はしてません』と言う確たる証拠がないから、いくらでも捏造できるんですよね
捏造は兼続の得意技だし(おぉう・・)
日本書紀だって、捏造された部分が存在するくらいなんですから
いや、マジで
無駄な予備知識があったもんだから、三成さんと兼続のとこに触れては「また嘘書いてるよ〜」なんてムカっとしましたが、それ以外の文章は面白かったです
時間があればまた読み返したいと思ってます
しかし、関ヶ原を「豊臣と徳川の対立」と書いてるところに腑が落ちなかったのですが、それってもしかして大坂夏・冬の陣のことでしょうか・・・?
ちょっと詳しくないとでなんとも言えませんが、関ヶ原の時点では豊臣はまだ徳川より上の位置だったと思います
三成さんの死後、豊臣の政権与奪が始まったと思うのですが
で、結局なにが言いたいのかと申しますと、三成さんは関ヶ原後色んなものをも持ってあの世に行ってしまいましたが(不正を許さない精神とか、忠義を貫く熱い魂とか)、その中に『衆道』も含まれるのだな・・と、しみじみしたんです
徳川の開幕と共に衆道が廃れて行ったのも事実のようですし
しかし、関ヶ原で三成さんが勝利していたら、今もこんな風習がどこかで根強く生きてたかも知れないですね
もう一冊、これに関連した本を買いました
こっちに三成さんのお気に入りの小姓の名前があります
なんか、お寿司みたいな名前でした
しかし内容はややムズいです
中々先に進めません
戦国時代の衆道だけを扱った本で、それなりに安価なものを探してるのですが、中々見付かりません
とほほです
衆道と言うのは精神的なものも含まれており、ただ性欲の捌け口なだけじゃなかったようです
まぁ、「どうせ側に置くんだったら見た目の良いものが」って感覚だったのは間違いないようですが、それでも目を掛けられたのだから「がんばるゾ♪」ってゆう気概はあったんでしょうねぇ
このBL新日本史を読んで、自分の想像で衆道を考えてみました
そもそも同性愛が異常愛であると固定概念を持たせたのはキリスト教ですよね
同性愛を許さず・不義(浮気・不倫)を許さず・自殺を許さず・堕胎を許さず
これって、人間の人口を無駄に増やしてるだけのような気がしなくもありません
わたしは無神論者なので、霊の存在は信じても神様の類は信じません
そんなもんに精神を支配されてたまるか
神様が居るなら、なんで最初からこの星に人間が存在しないんだ
なんで微生物から始まるんだ
微生物から魚になって爬虫類(恐竜含む)になって、猿から人間
母親の胎内でもこの進化は行なわれています
姉のエコー写真を見せてもらったことがあります
初めはナメクジみたいでした
そこから魚のような形になって、トカゲになって、出産にも立ち会いましたが(外で待ってた)、見せてもらった赤ちゃんは猿でした(笑
日本での衆道が廃れ始めたのは、キリスト教の伝来からだと思います
なんで同性愛が悪いのだろう
寧ろ異性愛より寛容な気がする
だって、性別じゃなくて人間を好きになるって言う、一種、壁を越えた愛情じゃないですか
誰もできそうにもないことを、ゲイの人達はやってるんですよ
とは思ったけど、論破できるだけの知識がないのでもうやめる(投げた・・
ただ、「こうだったら面白いな」と浮かんだものがあります
それは、キリスト教が同性愛を天罰の下るものだと決めた所以です
イスラエルで生まれた赤ん坊は、母親が処女でありながら受胎したため、奇跡の子として崇められました
しかしそれは言い訳であり、実は他に好きな人が居て、彼女はその人の子供を身篭っていたのです
だけど彼女の夫は騙されやすい純真な人だったので、妻の話を信じます
「おぅ、なんてこったい。まだ合体契りも結んでいないのに子供ができちゃったヨー」
妻が夫との交わりを拒んでいたのは、処女ではないことが発覚してしまうのが恐ろしかったからです
成長した奇跡の子は、やがて
「神のお告げダヨー」
と、神の教えを説く立派な青年になりました
そして、神の代弁者とも言うべき青年は一人の美少年と出逢い、恋に落ちました
少年との甘い性生活を貪る代弁者
ところが、この少年はあまりにも美しすぎるため、青年の弟子達も虜になります
横恋慕されてはかなわんと、青年はある秘策を思い付きます
それは、
「同性愛はいかんよ。異性と恋愛をしなさい。同性を愛すると、天罰が堕ちるよー!」と、説法したのです
その上、「子供をおろしちゃいかんよ」ともお触れを出し、世間の男性はできちゃった子供の養育費を稼ぐため朝となく昼となく働かなくてはならなくなって、愛に溺れる暇もなくなってしまいました
こうしてこの青年の率いる新興宗教では同性愛はご法度となり、青年も恋人を取られる心配をなくしました
ところがです
自分で言い出してしまったがために、少年と愛欲に溺れることが叶わなくなったのです
なんてこったい、オーマイガッ
その上、青年の性愛を受けられなくなった少年は悲しみのあまり自らの命を絶ってしまいます
ジーザスクライスト
愛する恋人を失った青年は悲しみの中
「自殺はいかんよ、自殺は。天罰が下るヨ」
と、新たに教えに加えることにしました
更にはこの新興宗教の人気を妬んだとある帝国が、彼の抹殺を企てます
「私を苛めると、地獄に落ちるわよ!」
と抵抗しても、あっさり捕まり張り付けられます
しかし、彼の教えによって異性を愛するようになった人間の間で子供が増えに増え、彼を支持する人間も増えました
子供が成長すれば、自分を支持する人も増える
転んでもただでは起きない
彼は命を奪われますが、異性間の性交で生まれた子供達に脈々と、その教えが広まり、彼は世界で一番メジャーな有名人となりました
人間が増えれば働き手が増える
親は年を取って働けなくなっても、子供達が働いてくれるので食うのには困らない
こうして世界は子供を作ることを目的とした平和な思想が定着したのでした
しかし、この世を人間で満たして平和にしようと考えても、人間が増えれば増えた分だけ悪事が起きる
戦争が起きる
人が減る
しかし、同性間の恋愛が減った分だけ数を増やす
なのに現代では少子化・結婚しない男女・育児問題による虐待死・自殺・殺人が絶えない、殺伐とした世界になってしまいました
そして、増え過ぎた人間は環境を破壊し、この星もCO2によって破壊しようとしている
これが、神の教えを命懸けで説いて回った男の望んだ世界なのだろうか
まだ同性愛で満たされていた時代の方が、寧ろ『絶対的な支配者』が居た分、環境に優しく平和だったような気がするのはきっとわたしだけだと思うが、この世界の行く末を見守るには、人間の寿命はあまりに短い
この教えのお陰で、小国ながらも強かった国は目に見えて衰退し、今では諸外国の言いなりになる、まるで犬のような弱国になってしまいました
おしまい
ビバ無神論者的な勝手な妄想

BLってくらいだから、世にゆうゲイネタ好きの『腐女子』と呼ばれる人達が好む内容かと思いました
だからちょっと抵抗があったんですが、思い切って買いました
『衆道』の生い立ち(?)がよくわかる内容でした
同性愛(少年愛?)が日本と言う国を強くさせ、同性愛の廃れが日本と言う国を弱くさせたのだと言う仮説がたまらなく面白かったです
が、ここでもやはり三成さん、兼続の名前が出て来ました
三成さんは秀吉に寵愛を受けた社長秘書のようなもので、武功もないのにどんどん出世して幅を利かすようになって、周囲から嫌われた
兼続は謙信に愛された
どこの同性愛を取り扱ったサイトにも書かれてるようなもので、ちょっと失望です
三成さんは戦場に出たくても、出してもらえなかったようです
だから賤ヶ岳の戦いでやっと槍が持てることを喜んだ。と、『石田三成』では書かれてました
それが真実かどうか、わかりません
ただ三成さんは計算力がずば抜けて高かったので、やっぱり裏方仕事(兵糧の用意とか、運搬方法とか、地味だけど『やってりゃ良い』という仕事ではなかったようです)に回されて、それを全力で済ませたら秀吉から「戦場に出ても良いよ。思いっきり武功を上げたら良い」とか言われた。なんて書かれてますが、これは『石田三成』に書かれてたことなので、正直言って「著者の脚色を鵜呑みにしてる」なんて言われても、反論できません
ただ、世間で言われてるような、「みんなが戦ってる間お城に残って事務してた官僚」てのは、間違ってると思いました
秀吉によって、数多くの戦に連れて行かれてるようです
だけどやっぱり目立った活躍がないため、「地味なくせに出世だけしてる」と言う風に解釈されてるんでしょうね
このBL新日本史にも後者な書き方がされていました
三成さんは、やっぱりまだまだ先入観で見られてるようで
わたしも先入観で見てますが(汗
で、これはわたしの仮説なんですが、腕が立って頭が良くて、その上美人(男性的な美ではなく、女性的な美と言う意味)で秀吉のお気に入り
そうなると、秀吉がちやほやしてしまうのは当然の結果で、それが清正らの反感を買ったのではなかろうか
他には秀吉から異常なほど愛されて、やっぱりどこか天狗になってしまった部分があったのかな。とも思ったのですが、そうなると吉継や行長のような、自慢に値する親友なんかできるわけないし(特に吉継も秀吉から寵愛されていたので、何かしら確執のようなものが生まれても不思議ではない)
行長には高い志があったし、吉継は年齢の割りに大人な部分があったそうなので、どちらも武功はあるけど清正のような猪武者ではないから知性も兼ね備えていたのでしょう
だから、三成さんとも気が合ったのでしょうね
ちなみに吉継は三成さんと同じ『近江衆』
行長は地元っ子なので『摂津衆』と呼ばれていたそうです(実家は堺の薬問屋。だったかな?)
秀吉から寵愛を受けっぱなしと評判の三成さんにも、ちゃぁんと(?)お気に入りの小姓は居たそうです
三成さんも、バイだったのねぇ(笑
頭の良い男前な三成さんに気に入られてたのだから、その小姓もきっと飛び切りの頭脳を持ってたお利口さんだったんじゃないかなぁと思いました
兼続の方ですが、どこに行っても『謙信の寵愛を受けた小姓』扱いされてますが、実は謙信が兼続を寵愛してたと言う文書は存在しないそうです
偏った知識をひけらかして申し訳ないのですが・・(汗
武功でも、三成さん同様目立った活躍はやっぱりないようで、そんな人を軍師だなんて上杉家って人材不足だったんでしょうか
あぁ、言い掛かりを付けてしまった・・
歴史書と言うのは、『これが真実です。虚言はしてません』と言う確たる証拠がないから、いくらでも捏造できるんですよね
捏造は兼続の得意技だし(おぉう・・)
日本書紀だって、捏造された部分が存在するくらいなんですから
いや、マジで
無駄な予備知識があったもんだから、三成さんと兼続のとこに触れては「また嘘書いてるよ〜」なんてムカっとしましたが、それ以外の文章は面白かったです
時間があればまた読み返したいと思ってます
しかし、関ヶ原を「豊臣と徳川の対立」と書いてるところに腑が落ちなかったのですが、それってもしかして大坂夏・冬の陣のことでしょうか・・・?
ちょっと詳しくないとでなんとも言えませんが、関ヶ原の時点では豊臣はまだ徳川より上の位置だったと思います
三成さんの死後、豊臣の政権与奪が始まったと思うのですが
で、結局なにが言いたいのかと申しますと、三成さんは関ヶ原後色んなものをも持ってあの世に行ってしまいましたが(不正を許さない精神とか、忠義を貫く熱い魂とか)、その中に『衆道』も含まれるのだな・・と、しみじみしたんです
徳川の開幕と共に衆道が廃れて行ったのも事実のようですし
しかし、関ヶ原で三成さんが勝利していたら、今もこんな風習がどこかで根強く生きてたかも知れないですね
もう一冊、これに関連した本を買いました
こっちに三成さんのお気に入りの小姓の名前があります
なんか、お寿司みたいな名前でした
しかし内容はややムズいです
中々先に進めません
戦国時代の衆道だけを扱った本で、それなりに安価なものを探してるのですが、中々見付かりません
とほほです
衆道と言うのは精神的なものも含まれており、ただ性欲の捌け口なだけじゃなかったようです
まぁ、「どうせ側に置くんだったら見た目の良いものが」って感覚だったのは間違いないようですが、それでも目を掛けられたのだから「がんばるゾ♪」ってゆう気概はあったんでしょうねぇ
このBL新日本史を読んで、自分の想像で衆道を考えてみました
そもそも同性愛が異常愛であると固定概念を持たせたのはキリスト教ですよね
同性愛を許さず・不義(浮気・不倫)を許さず・自殺を許さず・堕胎を許さず
これって、人間の人口を無駄に増やしてるだけのような気がしなくもありません
わたしは無神論者なので、霊の存在は信じても神様の類は信じません
そんなもんに精神を支配されてたまるか
神様が居るなら、なんで最初からこの星に人間が存在しないんだ
なんで微生物から始まるんだ
微生物から魚になって爬虫類(恐竜含む)になって、猿から人間
母親の胎内でもこの進化は行なわれています
姉のエコー写真を見せてもらったことがあります
初めはナメクジみたいでした
そこから魚のような形になって、トカゲになって、出産にも立ち会いましたが(外で待ってた)、見せてもらった赤ちゃんは猿でした(笑
日本での衆道が廃れ始めたのは、キリスト教の伝来からだと思います
なんで同性愛が悪いのだろう
寧ろ異性愛より寛容な気がする
だって、性別じゃなくて人間を好きになるって言う、一種、壁を越えた愛情じゃないですか
誰もできそうにもないことを、ゲイの人達はやってるんですよ
とは思ったけど、論破できるだけの知識がないのでもうやめる(投げた・・
ただ、「こうだったら面白いな」と浮かんだものがあります
それは、キリスト教が同性愛を天罰の下るものだと決めた所以です
イスラエルで生まれた赤ん坊は、母親が処女でありながら受胎したため、奇跡の子として崇められました
しかしそれは言い訳であり、実は他に好きな人が居て、彼女はその人の子供を身篭っていたのです
だけど彼女の夫は
「おぅ、なんてこったい。まだ
妻が夫との交わりを拒んでいたのは、処女ではないことが発覚してしまうのが恐ろしかったからです
成長した奇跡の子は、やがて
「神のお告げダヨー」
と、神の教えを説く立派な青年になりました
そして、神の代弁者とも言うべき青年は一人の美少年と出逢い、恋に落ちました
少年との甘い性生活を貪る代弁者
ところが、この少年はあまりにも美しすぎるため、青年の弟子達も虜になります
横恋慕されてはかなわんと、青年はある秘策を思い付きます
それは、
「同性愛はいかんよ。異性と恋愛をしなさい。同性を愛すると、天罰が堕ちるよー!」と、説法したのです
その上、「子供をおろしちゃいかんよ」ともお触れを出し、世間の男性はできちゃった子供の養育費を稼ぐため朝となく昼となく働かなくてはならなくなって、愛に溺れる暇もなくなってしまいました
こうしてこの青年の率いる新興宗教では同性愛はご法度となり、青年も恋人を取られる心配をなくしました
ところがです
自分で言い出してしまったがために、少年と愛欲に溺れることが叶わなくなったのです
なんてこったい、オーマイガッ
その上、青年の性愛を受けられなくなった少年は悲しみのあまり自らの命を絶ってしまいます
ジーザスクライスト
愛する恋人を失った青年は悲しみの中
「自殺はいかんよ、自殺は。天罰が下るヨ」
と、新たに教えに加えることにしました
更にはこの新興宗教の人気を妬んだとある帝国が、彼の抹殺を企てます
「私を苛めると、地獄に落ちるわよ!」
と抵抗しても、あっさり捕まり張り付けられます
しかし、彼の教えによって異性を愛するようになった人間の間で子供が増えに増え、彼を支持する人間も増えました
子供が成長すれば、自分を支持する人も増える
転んでもただでは起きない
彼は命を奪われますが、異性間の性交で生まれた子供達に脈々と、その教えが広まり、彼は世界で一番メジャーな有名人となりました
人間が増えれば働き手が増える
親は年を取って働けなくなっても、子供達が働いてくれるので食うのには困らない
こうして世界は子供を作ることを目的とした平和な思想が定着したのでした
しかし、この世を人間で満たして平和にしようと考えても、人間が増えれば増えた分だけ悪事が起きる
戦争が起きる
人が減る
しかし、同性間の恋愛が減った分だけ数を増やす
なのに現代では少子化・結婚しない男女・育児問題による虐待死・自殺・殺人が絶えない、殺伐とした世界になってしまいました
そして、増え過ぎた人間は環境を破壊し、この星もCO2によって破壊しようとしている
これが、神の教えを命懸けで説いて回った男の望んだ世界なのだろうか
まだ同性愛で満たされていた時代の方が、寧ろ『絶対的な支配者』が居た分、環境に優しく平和だったような気がするのはきっとわたしだけだと思うが、この世界の行く末を見守るには、人間の寿命はあまりに短い
この教えのお陰で、小国ながらも強かった国は目に見えて衰退し、今では諸外国の言いなりになる、まるで犬のような弱国になってしまいました
おしまい
ビバ無神論者的な勝手な妄想
PR
「お市様の無双攻撃掛け言葉が
発動:「泣けて来る!」
締め:「私未婚なの!」
に聴こえて仕方がない幸村でございます
お市様に、新たなる仮説発覚でしょうか
昨日に引き続き今日も、日記を綴らせていただきたく存じます
今日は兄上の輝かしい功績とされる戦の一つ、『賤ヶ岳の戦い』に乱入いたしました
郎党を組んで仲良し組みを結成された清正殿達『七本槍』よりも早く、一番槍をお上げになった兄上達近江衆の『先駆衆』の舞台ともなった地でございます
ちなみに、我らの活躍を面白おかしくパロディにされた某パクリゲームには、これを捩った『五本槍』がご登場されますが、私は初め、彼らを『思いやり』と勘違いして、この戦国乱世になんと言う涼やかな風を吹かれるのだろうと感心いたしました
あの時の感動を返していただきたい
戦日記を始める前に、最近検索して思ったことがございます
それは、愛する兄上の身についてでございます
兄上は、その遺骨を鑑定した医師の話によると、女性のように華奢なので、男性とは思えなかったとの有名な話が残っているため、某掲示板でも兄上が女性だったと言う仮想の話が膨れ上がっているそうです

恐らくはこのゲーム用キャラクターのお陰で、話が一人歩きしている状態でしょうが、これは私の兄上(縁の希薄な義兄)であって、実際の石田三成とは一切関係ありません
と、コー○ーさんもテロップを常に表示していただきたく存じます
所詮400年前の人間など、どんな顔をしていたかなんて知ってる人間は誰一人として居ないのだし、よく見る「○○は男前である」と言う内容の史書だって、わざと書いた捏造物が多いかも知れない現実に、どんな真実が見れるというのでしょうか
かく言う私も実際は優男だったそうですが、三光神社の私はどっぷりとした貫禄のあるおじさんになってます
ひ弱な男だと、英雄談にはならないのでしょうね
とほほ
蛇足ついでにお話をさせていただきます
NHK大河で私の恋敵(←一方的な思い込み)兼続殿のドラマにも、私が登場します
役どころは、兼続殿から師事を受けるとのことですが、私は上杉の家には1年もお世話にはなっておりませんでした(正確には11ヶ月)
なのに何故、私が・・・と言う気持ちでいっぱいです
どちらかと言うと私は、18の時から長年お世話になった豊臣側の人間でございます
と言うか、殆ど石田家に偏っておりますが
大坂城で20歳の誕生日も迎えましたし、妻も豊臣側(豊臣家臣、兄上のご親友・大谷殿の娘様)です
これはもう、戦国無双で一躍有名武将になってしまった私の、ネームバリューの責任でしょうか
どなたかNHKに「少しでも有名武将を取り上げて視聴率を狙うのをやめてもらえませんか?」と直訴してくださいましな
私は歴史には疎いので、めんどくさいのです
秀吉様が天下への足懸かりとして起きた賤ヶ岳の戦い
信長様の後継者争いでもあった戦に、当然兄上も参加されております
武将確認画面は、こんな風です

兄上は、常に武力が高いです
誇張評価ですねぇ
扇子で殴打されました・・・・・・・・・・・・・
秀吉様が長年連れ添った奥方・おね様よりも武力が高いというのがすごいです
さすが兄上
奥方を差し置いて副将扱いされてます
他は、すぐに敗走してしまう丹羽長秀殿
誰かに掘られたんでしょうかねぇ
尻が痛くなったので、帰ったとか
武功派で知られる福島正則殿(自殺説あり)、加藤清正殿(毒殺説あり)が意外と武力が低かったです
モブの運命でしょうか
同じくモブではございますが、意外と堀秀正殿はお強いです
苦戦が滅多にありませので(苦戦しない場所に居るとも言う)
秀吉様の弟君・秀長様は、最後の防波堤として本陣をお守りされております
結構お強いです
号令と共に振り返ると
私のすぐ後ろに兄上が♪

私が馬に乗っているのに対し、兄上は徒歩です
それが気に障ったのか、兄上のご機嫌がすこぶる悪い
兄上の機嫌を損ねたくないので、ミッションを無視して砦の防衛武将のラストを兄上に譲ることにしました
ガードしている私の正面から、敵武将の背後を突く(扇子で「はたく」か?)兄上

居丈高な態度が堪りません
私のことも、制圧してく(以下自粛)
兄上のシナリオだと、ミッションの失敗に伴い兼続の野郎殿が敵として登場し、兄上に「また逢いたい・・・」とラブメッセージを残して撤退します(妄想)
この当時で既に上杉家の軍師として名を馳せていた兼続殿
さすが、私が恋敵(←一方的な思い込み)として見込んだ男なだけはあります
が、私のシナリオには当然この戦は存在しないため、模擬演舞での戦ですから登場しません
ほっとします(本音暴露)
その兼続殿だが、総大将になって勝った戦はないと聞き及びましたが、真相やいかに
砦を半分ほど落とすと、本陣に敵が攻め込むイベントが発生します
秀吉様の安否などぶっちゃけどうでも良いのですが(ぶっちゃけた)、ゲームオーバーはプライド的に許せないので仕方なく本陣防衛に参加
私は日の本一の兵ですので、ゲームレベルを『難しい』にしても『地獄』にしても、さほど恐れるものは何もありません
敵武将がガードさえしなければ秒殺です
その武勲を、兄上が誉めてくださいました

風呂上りのビール並みに、堪らん言葉(口調も含める)でございます
死んでもいいとさえ思いますが、生憎私は既に死んでおります
例えば私が10人の敵武将を倒したとして、6割が兄上からのお褒めのお言葉
残りは秀吉様、おね様、その他武将方々
と、とりわけ兄上のお声が多いです
はい、兄上とは不快深〜い絆で結ばれております故、もう聞き飽きた言葉ではございますが、この幸村
血気盛んなお年頃なため、何度聴いても下半身が疼(以下自粛)
兄上のお言葉に、体をやや前傾にしながら次の敵将の許へ適当に走っておりますと、

兄上発見
マップも見ないで辿り付くということはもう、運命としか言いようがありません
そう、私たちは結ばれる運命なのです!
どこが結ばれるのかまでは言えませんが(照
レベルが難しいとは言え、このステージは比較的難易度が低いので、あまり燃えません
兄上にはしょっちゅう萌えてますが
しばらくぼんやりと観戦しておりましたところ、兄上の雄々しい姿が

兄上は戦国無双の中では女性化した傾向にあるため、やはり『戦う』と言うよりも、『守られる』方がお似合いです
とは、怖くて言えません
弓の名手でもあるため、いつなんどき扇子(弓じゃないんだ・・)が飛んで来るかわからないからです
清正殿、正則殿がザコ兵を相手にしている頃、兄上お一人だけが果敢にも武将を相手に
「はあ、はあ、はあ、しゃあー」(攻撃時の掛け声)
と、扇子を広げてクルクル回っておられました
素敵です、兄上
しばらく眺めておりましたが、暇になったので他の場所へ移動
途端、兄上に苦戦の報せが・・・・・・・!
幸村、褌も忘れて駈け付けました
ちょっと下半身がスースーします
えぇと、トイレタイム中でした(赤
取るものもとりあえず駈け付けると、兄上から艶めかしい声(妄想)で

我が武士人生に悔いなし
兄上のためならタダ働きとて厭わない
そう心に浮かぶ幸村でございました
そして、兄上と手に手を取って柴田勝家様の居る本陣へ
気の毒とは思いつつもお市様共々手玉にとって勝利宣言
兄上の居る手前、かっこよく決めたい・・・!
高々に槍を持ち上げ、大声で叫ぶ
発動:「泣けて来る!」
締め:「私未婚なの!」
に聴こえて仕方がない幸村でございます
お市様に、新たなる仮説発覚でしょうか
昨日に引き続き今日も、日記を綴らせていただきたく存じます
今日は兄上の輝かしい功績とされる戦の一つ、『賤ヶ岳の戦い』に乱入いたしました
郎党を組んで仲良し組みを結成された清正殿達『七本槍』よりも早く、一番槍をお上げになった兄上達近江衆の『先駆衆』の舞台ともなった地でございます
ちなみに、我らの活躍を面白おかしくパロディにされた某パクリゲームには、これを捩った『五本槍』がご登場されますが、私は初め、彼らを『思いやり』と勘違いして、この戦国乱世になんと言う涼やかな風を吹かれるのだろうと感心いたしました
あの時の感動を返していただきたい
戦日記を始める前に、最近検索して思ったことがございます
それは、愛する兄上の身についてでございます
兄上は、その遺骨を鑑定した医師の話によると、女性のように華奢なので、男性とは思えなかったとの有名な話が残っているため、某掲示板でも兄上が女性だったと言う仮想の話が膨れ上がっているそうです

恐らくはこのゲーム用キャラクターのお陰で、話が一人歩きしている状態でしょうが、これは私の兄上(縁の希薄な義兄)であって、実際の石田三成とは一切関係ありません
と、コー○ーさんもテロップを常に表示していただきたく存じます
所詮400年前の人間など、どんな顔をしていたかなんて知ってる人間は誰一人として居ないのだし、よく見る「○○は男前である」と言う内容の史書だって、わざと書いた捏造物が多いかも知れない現実に、どんな真実が見れるというのでしょうか
かく言う私も実際は優男だったそうですが、三光神社の私はどっぷりとした貫禄のあるおじさんになってます
ひ弱な男だと、英雄談にはならないのでしょうね
とほほ
蛇足ついでにお話をさせていただきます
NHK大河で私の恋敵(←一方的な思い込み)兼続殿のドラマにも、私が登場します
役どころは、兼続殿から師事を受けるとのことですが、私は上杉の家には1年もお世話にはなっておりませんでした(正確には11ヶ月)
なのに何故、私が・・・と言う気持ちでいっぱいです
どちらかと言うと私は、18の時から長年お世話になった豊臣側の人間でございます
と言うか、殆ど石田家に偏っておりますが
大坂城で20歳の誕生日も迎えましたし、妻も豊臣側(豊臣家臣、兄上のご親友・大谷殿の娘様)です
これはもう、戦国無双で一躍有名武将になってしまった私の、ネームバリューの責任でしょうか
どなたかNHKに「少しでも有名武将を取り上げて視聴率を狙うのをやめてもらえませんか?」と直訴してくださいましな
私は歴史には疎いので、めんどくさいのです
秀吉様が天下への足懸かりとして起きた賤ヶ岳の戦い
信長様の後継者争いでもあった戦に、当然兄上も参加されております
武将確認画面は、こんな風です

兄上は、常に武力が高いです
誇張評価ですねぇ
扇子で殴打されました・・・・・・・・・・・・・
秀吉様が長年連れ添った奥方・おね様よりも武力が高いというのがすごいです
さすが兄上
奥方を差し置いて副将扱いされてます
他は、すぐに敗走してしまう丹羽長秀殿
誰かに掘られたんでしょうかねぇ
尻が痛くなったので、帰ったとか
武功派で知られる福島正則殿(自殺説あり)、加藤清正殿(毒殺説あり)が意外と武力が低かったです
モブの運命でしょうか
同じくモブではございますが、意外と堀秀正殿はお強いです
苦戦が滅多にありませので(苦戦しない場所に居るとも言う)
秀吉様の弟君・秀長様は、最後の防波堤として本陣をお守りされております
結構お強いです
号令と共に振り返ると
私のすぐ後ろに兄上が♪

私が馬に乗っているのに対し、兄上は徒歩です
それが気に障ったのか、兄上のご機嫌がすこぶる悪い
兄上の機嫌を損ねたくないので、ミッションを無視して砦の防衛武将のラストを兄上に譲ることにしました
ガードしている私の正面から、敵武将の背後を突く(扇子で「はたく」か?)兄上

居丈高な態度が堪りません
私のことも、制圧してく(以下自粛)
兄上のシナリオだと、ミッションの失敗に伴い兼続
この当時で既に上杉家の軍師として名を馳せていた兼続殿
さすが、私が恋敵(←一方的な思い込み)として見込んだ男なだけはあります
が、私のシナリオには当然この戦は存在しないため、模擬演舞での戦ですから登場しません
ほっとします(本音暴露)
その兼続殿だが、総大将になって勝った戦はないと聞き及びましたが、真相やいかに
砦を半分ほど落とすと、本陣に敵が攻め込むイベントが発生します
秀吉様の安否などぶっちゃけどうでも良いのですが(ぶっちゃけた)、ゲームオーバーはプライド的に許せないので仕方なく本陣防衛に参加
私は日の本一の兵ですので、ゲームレベルを『難しい』にしても『地獄』にしても、さほど恐れるものは何もありません
敵武将がガードさえしなければ秒殺です
その武勲を、兄上が誉めてくださいました

風呂上りのビール並みに、堪らん言葉(口調も含める)でございます
死んでもいいとさえ思いますが、生憎私は既に死んでおります
例えば私が10人の敵武将を倒したとして、6割が兄上からのお褒めのお言葉
残りは秀吉様、おね様、その他武将方々
と、とりわけ兄上のお声が多いです
はい、兄上とは
血気盛んなお年頃なため、何度聴いても下半身が疼(以下自粛)
兄上のお言葉に、体をやや前傾にしながら次の敵将の許へ適当に走っておりますと、

兄上発見
マップも見ないで辿り付くということはもう、運命としか言いようがありません
そう、私たちは結ばれる運命なのです!
どこが結ばれるのかまでは言えませんが(照
レベルが難しいとは言え、このステージは比較的難易度が低いので、あまり燃えません
兄上にはしょっちゅう萌えてますが
しばらくぼんやりと観戦しておりましたところ、兄上の雄々しい姿が

兄上は戦国無双の中では女性化した傾向にあるため、やはり『戦う』と言うよりも、『守られる』方がお似合いです
とは、怖くて言えません
弓の名手でもあるため、いつなんどき扇子(弓じゃないんだ・・)が飛んで来るかわからないからです
清正殿、正則殿がザコ兵を相手にしている頃、兄上お一人だけが果敢にも武将を相手に
「はあ、はあ、はあ、しゃあー」(攻撃時の掛け声)
と、扇子を広げてクルクル回っておられました
素敵です、兄上
しばらく眺めておりましたが、暇になったので他の場所へ移動
途端、兄上に苦戦の報せが・・・・・・・!
幸村、褌も忘れて駈け付けました
ちょっと下半身がスースーします
えぇと、トイレタイム中でした(赤
取るものもとりあえず駈け付けると、兄上から艶めかしい声(妄想)で

我が武士人生に悔いなし
兄上のためならタダ働きとて厭わない
そう心に浮かぶ幸村でございました
そして、兄上と手に手を取って柴田勝家様の居る本陣へ
気の毒とは思いつつもお市様共々手玉にとって勝利宣言
兄上の居る手前、かっこよく決めたい・・・!
高々に槍を持ち上げ、大声で叫ぶ
兄上への愛、
必ず、必ず貫き通してみ

必ず、必ず貫き通してみ

幸村、負けないモン」
「私の名は、真田幸村
50歳(レベル)
史実より、ちょっと長生き
今日は三成殿をお助けすべく、共に小田原城攻略に参った
三成殿は私の妻のお父上とは生死を共にするほどの熱い仲
ならば地球家族的に言えば、三成殿も私の父上に当る
少し人見知りの傾向がある私は、それでも三成殿と仲良くなりたいため、勇気を持って言ってみた
「父上!石垣山攻略は、この幸村にお任せください!」
撲殺された
何故だろう
この時、三成殿の心の恋人を気取っているクソ兼続殿が、教えてくださった
「そなたのご姉妹が、三成の奥方の実家の嫡男に嫁いでいるので、そなたと三成はやや義兄弟であるな」
”やや”と言う言葉も気になるが、兼続殿の説明ではよくわからない
私自身、自分の家のことだと言うのに400年前のことなど覚えていない
要するに、人類みな兄弟で良いのか
人によっては穴兄弟であるが
兄上(三成殿)は、一夜城を築城するため現場からは動かれない
天梯車が襲われても、あまり動じない
さすがでございます、兄上
動かない兄上の分も、兼続殿が働いてらっしゃる
兼続殿は、お強い
頼りない体をされているのに、いっぱしに身長があるものだから範囲が広い
しかし、無双演舞は全く役に立たない代物であることに、ご自身気付いておられない
いつか提言させていただこうと思っている
「あなたと阿国さんの無双演舞ほど、当りにくいものはありませんね」
・・・・・・・・・・撲殺されるか
黙っておこう
兼続殿は、賛辞なしでお強い
苦戦していても、「がんばれ!まだ勝機はあるぞ!」と、ご自分を慰める余裕があるのだから
私には到底、真似できない
そんな自虐行為的な言葉、恥ずかしくて言えない
兄上が無事、石垣山に到着された
しかしその確保も私が行なった
カウント稼ぎにザコ兵を倒していたら、敵武将が勝手に突っ込んで来てくれて知らない間に倒していたなど、あんなに甘く切ない声で誉めてくださった兄上に悪くて、口にはできなかった
男には、時として自分の名誉よりも守らなくてはならない、大事なものがあるのだ
私にとっては、それが兄上だ
美しい兄上
美しいだけではなく、頭も切れる
そして、性格は悪い
性格が悪いのにお綺麗でいらっしゃるため、憎めない
腹が立つことを言われても、切なげに「さすがだ・・・。幸村・・・」と、下半身が疼くようなことを言われては、嫌うに嫌えない
正に、ツンデレ状態である
石垣山を攻略すると、次は「なにやら石垣山が騒がしいですねぇ」と、この現状には相応しくない、のったりとしたしゃべり方をする敵武将を倒すミッションが下される
もしもこのモブ武将が石垣山に入って来たら、兄上の計略が泡となる
そうなると秀吉様に謝罪しなくてはならなくなる
愛する兄上(あれ?いつから愛したのだろうか)に恥を掻かせてはならない
私は馬を忘れて必死で走った
そして、なんとか撃退し、愛する兄上の許に戻ろうとすると、今度は黒田官兵衛殿が築城の名手『穴太衆 』を連れて来た
しかも敵陣のど真ん中に
莫迦の極み、これに見たり
関所の閉じられた敵陣内部にどうやって入ったのかわからないが、プリンセス・テンコー並みのイリュージョンである
私もやってみたいとは思うが、飛んだ先が兄上の寝所ならまだしも、帷にいる信玄公や謙信公の前だと貞操の危機を感じるので、思うだけで終わらせよう
ちなみに、私は人質として上杉家に居た時期があるが、謙信公の亡くなった後の話である
ラッキィィ!!(涙
私の貞操は、こうして守られた
自分の貞操は守っておきながら、実のところ私は兄上の貞操を狙っている
兄上は幼い頃より人には言えないような色んなことを経験されているので、きっと床でも
あ、いけない
黒田殿を置き忘れて来てしまった
石垣山を確保しても、黒田殿をお連れしないとミッションはクリアならない
その間にも兼続殿はどんどん小田原城を攻めている
これでは兼続殿に手柄を全部持って行かれる
兄上に誉めていただけない
黒田殿からは「年寄りを苛めるものではないわい」と小言を言われる
ふざけんなよー
上田からタダ働きしに来てんだぞー
もうグレちゃうぞー
しかし、敵将を倒した時に誉めてくださる兄上の、「さすがだ・・・。幸村・・・」の一言で、元気もりもり(古・・
兄上!
このセリフは口調と共にここで言うべき言葉ではこざいません!
床の中でおっしゃってくださいませ!
あぁ、だめですか・・・・・・・・・・・・・・
兼続殿、時々苦戦して私を困らせる慶次殿、後、モブキャラのみなさんと共に小田原城を攻め入る
すると秀吉様から「松田憲秀を救ってくれ」と指令が下る
めんどくさいので放置して兼続殿と手柄争いのため城に入る
入るが松田殿からの「こんなところで終わるのか・・・」と、世を諦める言葉が何度も何度も繰り返し流れて来て、いい加減鬱陶しくなった
そのまま敗走してしまえと願ったが、救援を呼ぶ「こんなところで終わるのか・・・」がしつこく流れる
粘れる元気があるのなら、自力で脱出しろぼけがぁぁぁ!!
あぁ、いけない
つい取り乱してしまいました
幸村、反省
「小田原城内のどこかで捕われている松田憲秀を救出せよ」との命令書だが、松田殿がどこにいるのか一目瞭然であるにも関わらず、誰も助けに行かないこの世の憂き
嘆かわしい
兄上は相変わらず、石垣山の真ん中で佇んでおられました
あ、あ、兄上・・・
そこに良い茂みがありますが・・・
あぁ、さっさと持ち場に帰れ。ですか
はいはい、帰りますよ
小田原城のトラップを解除して本丸突入
この槍折れぬ限り、幸村はどこまでも進み続ける!
セリフが混ざってしまいました
天守閣にいる北条なんたらを倒すと、それは忍・小太郎殿の変装であった
そして北条一家は、秀吉様のいる本陣に出現
イリュージョン、再び
急いで階段を下りると、待ち構える異形の相をする小太郎殿が立ち塞がる
危ない
画面右上のマップ、兄上の居る石垣山に迫る赤い点
兄上ぇぇぇ!
せめて、せめて一発やってから
後ろから、兼続殿が吹き飛ばしたザコ兵が飛んで来る
絶対わざとだと思った
私は、溜めに溜めていた性欲無双ゲージを使い、護衛武将のマーくんと最終奥義発動
小太郎殿がなにやらしゃべっている間に撃破
登場ムービー・セリフムービー
そして、敗走ムービーが息つく間もなく流れる
小太郎殿は忍のくせに目立ちたがり屋だ
兼続殿も慶次殿も、真っ直ぐ秀吉様の許へ民族大移動
私は迷わず、兄上の許に
苦戦はされておられないが、放ってはおけない
敵武将を倒すと、兄上のお褒めの言葉が・・・・・・・・・・・・
「その調子だ!行こうぜ、幸村!」(慶次)
慶次殿
台無しでございます
その帰り道
「幸村」
兄上が、私に声を掛けてくださった
「はい、何でしょう」
今日の活躍を誉めてくれるのかと、期待に胸が膨らむ
「お前の乱舞攻撃の掛け声だが」
「はい」
「『貫く』が、何度聴いても『戦国』にしか聴こえん。何の罠だ」
「罠・・・?」
「お前、滑舌が悪いのか?槍の稽古より、発声練習でもしてろ」
そう言うと、兄上は私を置いて、さっさと行かれてしまった
滑舌が悪いなんて、初めて言われただけにショックを隠しきれない
そんな私に気の毒そうな顔をした兼続殿が肩を叩き、兄上の後を追い駆けて行かれた
そして、兄上と楽しそうに談笑しながら、時々これ見よがしに後ろに居る私を振り返る
幸村、負けないモン」
50歳(レベル)
史実より、ちょっと長生き
今日は三成殿をお助けすべく、共に小田原城攻略に参った
三成殿は私の妻のお父上とは生死を共にするほどの熱い仲
ならば地球家族的に言えば、三成殿も私の父上に当る
少し人見知りの傾向がある私は、それでも三成殿と仲良くなりたいため、勇気を持って言ってみた
「父上!石垣山攻略は、この幸村にお任せください!」
撲殺された
何故だろう
この時、三成殿の心の恋人を気取っている
「そなたのご姉妹が、三成の奥方の実家の嫡男に嫁いでいるので、そなたと三成はやや義兄弟であるな」
”やや”と言う言葉も気になるが、兼続殿の説明ではよくわからない
私自身、自分の家のことだと言うのに400年前のことなど覚えていない
要するに、人類みな兄弟で良いのか
人によっては穴兄弟であるが
兄上(三成殿)は、一夜城を築城するため現場からは動かれない
天梯車が襲われても、あまり動じない
さすがでございます、兄上
動かない兄上の分も、兼続殿が働いてらっしゃる
兼続殿は、お強い
頼りない体をされているのに、いっぱしに身長があるものだから範囲が広い
しかし、無双演舞は全く役に立たない代物であることに、ご自身気付いておられない
いつか提言させていただこうと思っている
「あなたと阿国さんの無双演舞ほど、当りにくいものはありませんね」
・・・・・・・・・・撲殺されるか
黙っておこう
兼続殿は、賛辞なしでお強い
苦戦していても、「がんばれ!まだ勝機はあるぞ!」と、ご自分を慰める余裕があるのだから
私には到底、真似できない
そんな自虐行為的な言葉、恥ずかしくて言えない
兄上が無事、石垣山に到着された
しかしその確保も私が行なった
カウント稼ぎにザコ兵を倒していたら、敵武将が勝手に突っ込んで来てくれて知らない間に倒していたなど、あんなに甘く切ない声で誉めてくださった兄上に悪くて、口にはできなかった
男には、時として自分の名誉よりも守らなくてはならない、大事なものがあるのだ
私にとっては、それが兄上だ
美しい兄上
美しいだけではなく、頭も切れる
そして、性格は悪い
性格が悪いのにお綺麗でいらっしゃるため、憎めない
腹が立つことを言われても、切なげに「さすがだ・・・。幸村・・・」と、下半身が疼くようなことを言われては、嫌うに嫌えない
正に、ツンデレ状態である
石垣山を攻略すると、次は「なにやら石垣山が騒がしいですねぇ」と、この現状には相応しくない、のったりとしたしゃべり方をする敵武将を倒すミッションが下される
もしもこのモブ武将が石垣山に入って来たら、兄上の計略が泡となる
そうなると秀吉様に謝罪しなくてはならなくなる
愛する兄上(あれ?いつから愛したのだろうか)に恥を掻かせてはならない
私は馬を忘れて必死で走った
そして、なんとか撃退し、愛する兄上の許に戻ろうとすると、今度は黒田官兵衛殿が築城の名手『穴太衆 』を連れて来た
しかも敵陣のど真ん中に
莫迦の極み、これに見たり
関所の閉じられた敵陣内部にどうやって入ったのかわからないが、プリンセス・テンコー並みのイリュージョンである
私もやってみたいとは思うが、飛んだ先が兄上の寝所ならまだしも、帷にいる信玄公や謙信公の前だと貞操の危機を感じるので、思うだけで終わらせよう
ちなみに、私は人質として上杉家に居た時期があるが、謙信公の亡くなった後の話である
ラッキィィ!!(涙
私の貞操は、こうして守られた
自分の貞操は守っておきながら、実のところ私は兄上の貞操を狙っている
兄上は幼い頃より人には言えないような色んなことを経験されているので、きっと床でも
あ、いけない
黒田殿を置き忘れて来てしまった
石垣山を確保しても、黒田殿をお連れしないとミッションはクリアならない
その間にも兼続殿はどんどん小田原城を攻めている
これでは兼続殿に手柄を全部持って行かれる
兄上に誉めていただけない
黒田殿からは「年寄りを苛めるものではないわい」と小言を言われる
ふざけんなよー
上田からタダ働きしに来てんだぞー
もうグレちゃうぞー
しかし、敵将を倒した時に誉めてくださる兄上の、「さすがだ・・・。幸村・・・」の一言で、元気もりもり(古・・
兄上!
このセリフは口調と共にここで言うべき言葉ではこざいません!
床の中でおっしゃってくださいませ!
あぁ、だめですか・・・・・・・・・・・・・・
兼続殿、時々苦戦して私を困らせる慶次殿、後、モブキャラのみなさんと共に小田原城を攻め入る
すると秀吉様から「松田憲秀を救ってくれ」と指令が下る
めんどくさいので放置して兼続殿と手柄争いのため城に入る
入るが松田殿からの「こんなところで終わるのか・・・」と、世を諦める言葉が何度も何度も繰り返し流れて来て、いい加減鬱陶しくなった
そのまま敗走してしまえと願ったが、救援を呼ぶ「こんなところで終わるのか・・・」がしつこく流れる
粘れる元気があるのなら、自力で脱出しろぼけがぁぁぁ!!
あぁ、いけない
つい取り乱してしまいました
幸村、反省
「小田原城内のどこかで捕われている松田憲秀を救出せよ」との命令書だが、松田殿がどこにいるのか一目瞭然であるにも関わらず、誰も助けに行かないこの世の憂き
嘆かわしい
兄上は相変わらず、石垣山の真ん中で佇んでおられました
あ、あ、兄上・・・
そこに良い茂みがありますが・・・
あぁ、さっさと持ち場に帰れ。ですか
はいはい、帰りますよ
小田原城のトラップを解除して本丸突入
この槍折れぬ限り、幸村はどこまでも進み続ける!
セリフが混ざってしまいました
天守閣にいる北条なんたらを倒すと、それは忍・小太郎殿の変装であった
そして北条一家は、秀吉様のいる本陣に出現
イリュージョン、再び
急いで階段を下りると、待ち構える異形の相をする小太郎殿が立ち塞がる
危ない
画面右上のマップ、兄上の居る石垣山に迫る赤い点
兄上ぇぇぇ!
せめて、せめて一発やってから
後ろから、兼続殿が吹き飛ばしたザコ兵が飛んで来る
絶対わざとだと思った
私は、溜めに溜めていた
小太郎殿がなにやらしゃべっている間に撃破
登場ムービー・セリフムービー
そして、敗走ムービーが息つく間もなく流れる
小太郎殿は忍のくせに目立ちたがり屋だ
兼続殿も慶次殿も、真っ直ぐ秀吉様の許へ民族大移動
私は迷わず、兄上の許に
苦戦はされておられないが、放ってはおけない
敵武将を倒すと、兄上のお褒めの言葉が・・・・・・・・・・・・
「その調子だ!行こうぜ、幸村!」(慶次)
慶次殿
台無しでございます
その帰り道
「幸村」
兄上が、私に声を掛けてくださった
「はい、何でしょう」
今日の活躍を誉めてくれるのかと、期待に胸が膨らむ
「お前の乱舞攻撃の掛け声だが」
「はい」
「『貫く』が、何度聴いても『戦国』にしか聴こえん。何の罠だ」
「罠・・・?」
「お前、滑舌が悪いのか?槍の稽古より、発声練習でもしてろ」
そう言うと、兄上は私を置いて、さっさと行かれてしまった
滑舌が悪いなんて、初めて言われただけにショックを隠しきれない
そんな私に気の毒そうな顔をした兼続殿が肩を叩き、兄上の後を追い駆けて行かれた
そして、兄上と楽しそうに談笑しながら、時々これ見よがしに後ろに居る私を振り返る
幸村、負けないモン」
「拙者、名前は、本多平八郎忠勝

45歳(レベル)
石田三成様のストーカー護衛長(プレーヤーキャラ)である


45歳(レベル)
石田三成様の

信長公に謀反を働いた明智光秀様を討つべく、岡山(適当)から京(大体)の山崎までとんぼ返り
敬愛なる三成様をお守りするため、ミッションそっちのけで戦う、戦う、ひたすら戦う、時々萌え
三成様は、とても賢いお方
アンド、とてもぷりてぃなお方
まい・すぃーと・はにー
これは信長公から教わった、敬愛する人物を賞賛する言葉だそうだ
意味は、わからない
後、腹が立った時に叫ぶ言葉も教わった
ふぁっく・おーふ
これも意味はわからないが、使う時は腹を切る覚悟で使えと言われたので、未だ使ったことがない
さて、逆臣・光秀を討つため山崎に集結した我ら豊臣軍だが、
秀吉様のミッション指令で天王山を占拠せよとのこと
詮無きこととは言え、使われる身の己に拒否権などなく天王山へと向かう
途中、三成様を発見
秀吉様ともツーカーの三成様は、伝令など必要としないくらい、どれだけ距離があっても通じ合っておられる
羨ましい
拙者も通じ合いたい
てゆうか、接続したい
賢い三成様は、既に天王山に向けて進軍されておられた
女に見紛うその
本多平八郎忠勝、下半身が疼く思いでござる
麓の関所で待ち構える明智軍を三成様と二人で蹴散らし、
体力を減らした敵武将のラストを三成様に譲る
この時生まれた言葉が、「愛のツープラトン」である
拙者の愛は、通じただろうか
忠勝、ちょっと不安
二人の門出を祝うように関所が開き、天王山へ向けて大躍進!
あれ?
三成様、天王山手前で崖をぴょーん!
忍者並みの身軽さですな・・・・・・・・・・・・・
三成様は天王山を取らずに別の場所を目指し始める
近場の詰所を封鎖し、通りすがりの敵兵を倒しながら進む三成様
どこに行かれるのかとドキドキしながら後を追うと、三成様は

敵本陣前で休んでおられた
やはり
それでも文句一つ言わず秀吉様のために働かれる三成様に、拙者の下半身は迸るしかない
敵本陣前で佇む三成様の背後にしばらく立ってみたが(ちょっとくっついてみた)、
これではゲームが終わらない
ここに三成様を一人残していくのは心苦しかったが、
必ず戻るとその小さき背中に誓い、麟竜寺を攻めて参った
途端、開かれる明智軍本陣
ヤバい
マジ、ヤバい
何がヤバいって、三成様
お一人で(石田軍も居るが)敵本陣前にあらせられる!
まぁ、なにかってぇとすぐ救援を呼ぶへなちょこ清正殿と違って、
女体化激しいながらも三成様は意外とお強いので、
しばらく放っておいても苦戦などされはしないが、
それでも心配なので麟竜寺のミッションをさっさと終わらせ、三成様の許へ馳せ参ず
扇子のクセに中々善戦される三成様を、さほど心配などしてはおらぬ
寧ろ苦戦を待ち望む拙者である
何故なら、苦戦を救助した後の、甘く切ない三成様の、
「すまない・・・。来てくれて、感謝している・・・」を拝聴したいのだが
それは幸村殿専用メッセージであることに、忠勝、はーとぶれいく
それにしても何かにつけて三成様を目の敵にする清正殿は、グラフィックが

公家調である
いくらモブでも景勝様のようなグラフィックにすれば良いのにとも思うが、
どうでも良いお方なので黙っている
急ぎ三成様の許へ戻りたく、ゲームレベル『地獄』ながらも山崎は、
ボリュームが小さいので敵武将もさほど怖くはない
敵武将だけを片付け、残りのザコ兵には特殊攻撃2を発動

走るだけで斃れてくれるので、大いに助かる
そして、解き放たれた明智軍本陣の関所を潜ると、
三成様は涼しいお顔でひらひら舞っておられた

その優雅にして美しいお姿をカメラに収めようとするが、ブレがひどくて使い物にならぬ
しかし、ご安心めされ
この本多平八郎忠勝の、心のファインダーにしっかりと収めて候
みなみな様方にお見せできないのが残念至極
敵本陣突入直後、近くに居た雑魚敵将を知らぬ間に倒してしまい、三成様の武功を奪ってしまったかと焦ってしまったが、三成様は優しい微笑み(願望)を湛えられながら

と、拙者を労ってくだされた
本多平八郎忠勝、46歳(レベル上がった)。
感無量でございます
ちなみに、拙者の背中に生えているのは尻尾ではなく、槍を収める鞘にて候」
殿ばっかりです
すんません
この時代の男色は、人が息するのと同じくらい当たり前の風習と見られてました
仕えた主君に寵愛(性的愛情)を受けるのが、美少年の条件でもあったようです
狸親父も長く井伊直政を愛していたそうですし、いつまでも相手をさせたかったから元服を遅くさせたとの説もあるくらい
親愛なる三成さんの容貌もだいたいわかって来て、不細工じゃなかったのが嬉しい
この頃の寺と言うのは女色を禁じられてましたが、男色は禁じられてなかったので武家より激しかったようです
検索した時くらいにしか読まない2chには中々目にできないような歴史の裏と言うものを知っている人が多いようで、ここでも面白いものが色々発見できます
秀吉の小姓になる前は寺の小姓をやっていた三成さん
サイトによっては「家が貧乏だったから口減らしで寺に預けられていた」と言うのもあるし、わたしが買った本の中では「頭が良いからその才能を伸ばそうと、寺に預けられていた」(寺では様々な学問を学ばされるようです)と言うのもあるし
と言うことは、男色のメッカ(聖地?)である寺に居たのだから、当然相手はさせられていたのだろうか・・と思い、じゃぁ、三成さんの相手をした小姓とかも居るのかしらと検索してみましたが、見付けられずに他の事実が判明
やっぱり三成さんも寺小姓時代、男色の相手をしていたようです
しかも、秀吉が三成さんを見初めた時の感想のようなものもあって、「美少年で頭が良い三成を一目見て気に入り、召抱えた」そうです
戦国時代で男色に手を伸ばさなかったのは秀吉くらいなものだった。とWikiにも色んなサイトにも書かれてますが、それは当時『男色は武士としての嗜みであり女色より高尚な行為だった』とあり、秀吉は男色のもできない愚か者と、徳川幕府が秀吉を蔑んだ書き方を好んだそうです
つまり、秀吉も一人前に男色に手を出しており、その相手が三成さんだったそうです
(そこでは「だったのではないか」と言う仮説風にされてましたが)
と言うことは、男には困らない(ヘンな表現だが)寺でも男色の相手を務め、秀吉の相手もしてたと言うのだから、やっぱり三成さんは男前だったんだわ〜!
と、三成さんが美男子だった確たる証拠を掴み、かなり嬉しいわたしです
いえ、男色がどうのとではなく、男色の相手ができるのは数居る男の中でもやはり、選りすぐりの美少年だけだと思っただけのことでございます
死ぬまで秀吉の寵愛を受けた三成さん
(肉体関係の有無はともかくとして)
西洋風の男前だったからか、信長にも気に入られていたと言うのもあながち嘘とも思えなくなって来た
信長が西洋かぶれだったから、三成さんはストライクゾーンど真ん中だったんだろうなぁ・・と思った
そんでもって、絶対食われてるとも思った
やおい的な意見ではなくて、男に食われるのが美少年の条件のような時代だったから、三成さんって相当の男前だったんだわーと、嬉しくなっただけです
その上中年期過ぎても童顔だったらしいし
三成さんの隠れた事実の端っこを掴んだのと同時に、面白い検証も見付けた
子種を残すのは必須だったこの時代に、独身、あるいは子供が極端に少ない武将の何れもが『男色家』だったそうだ
昨日読んだところでは、鬼柴田こと柴田勝家は信長から「衆道も、たいがいにしとけ」と言う内容の手紙をよこされたらしい
信長に言われたら、お仕舞のような気がした(っぷ
後家(結婚が遅い)で、その上子供も居ないし
柴田
直江兼続も結婚が遅かった
と言うか、景勝の命令で婿養子に行ったのが直江家
夫婦仲は良かったのに、子供が一人だけ
奥さんの体の都合(例えば子供が生めない体になったとか)だったのかも知れないけど、側室も居ない武将は多かれ少なかれ男色家なのだそうだ
そもそも兼続は、直江家の断絶を惜しんだ景勝の命令で知りもしない女性と結婚したのだし、奥さんとの間に愛情があったとしても肉体的な繋がりは薄いんじゃないかと思った
その兼続だが、幼少の頃より優れた容姿の持ち主だったのだから、謙信の寵愛(肉体的愛情)を受けただとか書かれていたが、謙信そのもの衆道は、周りがうるさいからとりあえずやってただけのことのようです
特に男が好きってわけじゃなさそうです
しかしまぁ、場所によっては『美少年バカ』とまで書かれてるし、どっちが正しいのかちょっとわかんないです
で、その謙信に寵愛(特に可愛がられたいた)のが北条氏秀(上杉景虎)と景勝で、この二人とどんな関係があったのかは知りませんが、とりあえず兼続が寵愛を受けたと言う記述はありませんでした
じゃぁ、兼続は景勝に寵愛されていたのかと言うと、景勝には景勝でお気に入りの小姓(男色の相手)が居たそうで、兼続は相手にされてなかったそうです
なんだか、直江家の養子に進めたのも、厄介払いされたんじゃないかって気がしなくもないけど、景勝に盲目的な兼続はきっと、「直江を守れるのはお前だけだ。信用できるからこそ、お前を婿にやるのだ」とか言われて、ころっと騙されたんじゃないかと勝手に想像してしまって、なんか笑ってしまう
いくら主君の命令でも、縁談じゃなく強引なこの話を受けるだなんて、よぽど景勝が好きだったのねー
その後、直江家を守ることより上杉の家を守ることに一生懸命だし
なんだか、報われない愛よねぇ・・(しみじみ
謙信にも景勝にも相手にされてなかった兼続
まぁ、全く相手にされなかったわけでもなく、可能性としては『景勝&兼続』のようですが、信憑性には欠けるようです
なんか、気の毒になって来た・・・・・・・・・・・・・・・
その景勝も奥さん一人に側室一人、子供も一人
男色家だったそうです(汗
西軍敗北の原因を作った小早川秀秋は、伊達政宗の側近・小十郎の息子のケツを追い駆け回してたとか、ガラシャの旦那さんも衆道やってたとかなんかもう、笑ってしまって仕方がない
秀秋は関ヶ原当時19歳だったのに、それでも男のケツ追い駆け回せるだけの元気があったんだなーとしみじみ
で、『二代重長譜』を検索したら小十郎が出て来て、「男からも惚れられるほど美男子だった」とあり、何だよ、戦国時代って男前ばっかりかよとやや、うんざり
しかも秀秋が男色家だったことも判明
秀秋ー!
あたしゃ、悲しいよ・・(Byおね)
で、政宗と二代目小十郎は衆道の間柄
(『小十郎』は代々受け継がれた通称で、政宗の相手は片腕で有名な小十郎ではなく、その息子のこと)
ぐっじょぶ
とりあえずわかった有名武将では、どこにでも書かれてるものばっかりで恐縮だけど
武田信玄―春日虎綱(高坂昌信)-信玄の虎綱宛のラブレターが残ってるのは有名な話
織田信長―前田利家-『亜相公御夜話』に残されている
伊達政宗―片倉重長(二代目小十郎)-重長が浮気したと勘違いして摂関し、それを謝罪する手紙が残っているらしい
徳川家康―井伊直政-直政に未練があったので、元服を遅らせたらしい
これは確たる証拠があるようで、揺ぎない事実
豊臣秀吉―石田三成(信長にも掘られてた可能性あり?)
上杉謙信or景勝―直江兼続(どっちに掘られてたのか定かではない)
「かも知れない」程度の話ですが、無きにしも非ずな感覚
ぶっちゃけ男色には興味ないし、覗いてみたいとも思わないので、Wikiにも書かれてるカップルしか書きません
探せば他にも色々出て来ましたけどね
阿国さんの愛人で有名な名古屋山三郎と蒲生なんたら(名前忘れた・・)とか
当たり前な行為だったけど、今となっては隠れた文化になり、やおい族のエサにしかならない衆道ですが、この当時は命を投げ打ってでも自分を守ってくれる人間の存在が必要だったので、体を繋げることで絆を深めたのでしょう
でもまぁ、信長(当時の男前の代表格)ならともかく、猿顔の秀吉に気持ち良いことされたってあんまり燃えないんじゃないかと思うのはあたしだけかも知んないけど、それでも気持ちよかったのね、三成さん・・
ここまでで大体見付かった戦国時代の男前
春日虎綱(高坂昌信)-お屋形様のお墨付きじゃー!
織田信長-余は女ではないぞよー!
前田利家-マッチョも範囲内!(By信長)
長宗我部元親-『姫若子』=『美少年』かどうかは、わからんきにのー!でも一応じゃー!
浅井長政-藤の花もぞっこんじゃー!
北条氏秀(上杉景虎)-毘沙門天のお墨付きじゃー!
石田三成-魔王&太閤&観音寺のお墨付きじゃー!
直江兼続-そう書いてるサイトが多すぎじゃー!
井伊直政-狸もぞっこんじゃー!
片倉重長-独眼竜のお手付きじゃー!
2chに書かれてた男前
明智光秀-さすがガラシャのおとん
宇喜多親子-意外だー
大野治長-誰
木村重成-目から鱗
片倉景長-初代小十郎?
松永久秀-名器で爆死
また見付かったら追加します
すんません
この時代の男色は、人が息するのと同じくらい当たり前の風習と見られてました
仕えた主君に寵愛(性的愛情)を受けるのが、美少年の条件でもあったようです
狸親父も長く井伊直政を愛していたそうですし、いつまでも相手をさせたかったから元服を遅くさせたとの説もあるくらい
親愛なる三成さんの容貌もだいたいわかって来て、不細工じゃなかったのが嬉しい
この頃の寺と言うのは女色を禁じられてましたが、男色は禁じられてなかったので武家より激しかったようです
検索した時くらいにしか読まない2chには中々目にできないような歴史の裏と言うものを知っている人が多いようで、ここでも面白いものが色々発見できます
秀吉の小姓になる前は寺の小姓をやっていた三成さん
サイトによっては「家が貧乏だったから口減らしで寺に預けられていた」と言うのもあるし、わたしが買った本の中では「頭が良いからその才能を伸ばそうと、寺に預けられていた」(寺では様々な学問を学ばされるようです)と言うのもあるし
と言うことは、男色のメッカ(聖地?)である寺に居たのだから、当然相手はさせられていたのだろうか・・と思い、じゃぁ、三成さんの相手をした小姓とかも居るのかしらと検索してみましたが、見付けられずに他の事実が判明
やっぱり三成さんも寺小姓時代、男色の相手をしていたようです
しかも、秀吉が三成さんを見初めた時の感想のようなものもあって、「美少年で頭が良い三成を一目見て気に入り、召抱えた」そうです
戦国時代で男色に手を伸ばさなかったのは秀吉くらいなものだった。とWikiにも色んなサイトにも書かれてますが、それは当時『男色は武士としての嗜みであり女色より高尚な行為だった』とあり、秀吉は男色のもできない愚か者と、徳川幕府が秀吉を蔑んだ書き方を好んだそうです
つまり、秀吉も一人前に男色に手を出しており、その相手が三成さんだったそうです
(そこでは「だったのではないか」と言う仮説風にされてましたが)
と言うことは、男には困らない(ヘンな表現だが)寺でも男色の相手を務め、秀吉の相手もしてたと言うのだから、やっぱり三成さんは男前だったんだわ〜!
と、三成さんが美男子だった確たる証拠を掴み、かなり嬉しいわたしです
いえ、男色がどうのとではなく、男色の相手ができるのは数居る男の中でもやはり、選りすぐりの美少年だけだと思っただけのことでございます
死ぬまで秀吉の寵愛を受けた三成さん
(肉体関係の有無はともかくとして)
西洋風の男前だったからか、信長にも気に入られていたと言うのもあながち嘘とも思えなくなって来た
信長が西洋かぶれだったから、三成さんはストライクゾーンど真ん中だったんだろうなぁ・・と思った
そんでもって、絶対食われてるとも思った
やおい的な意見ではなくて、男に食われるのが美少年の条件のような時代だったから、三成さんって相当の男前だったんだわーと、嬉しくなっただけです
その上中年期過ぎても童顔だったらしいし
三成さんの隠れた事実の端っこを掴んだのと同時に、面白い検証も見付けた
子種を残すのは必須だったこの時代に、独身、あるいは子供が極端に少ない武将の何れもが『男色家』だったそうだ
昨日読んだところでは、鬼柴田こと柴田勝家は信長から「衆道も、たいがいにしとけ」と言う内容の手紙をよこされたらしい
信長に言われたら、お仕舞のような気がした(っぷ
後家(結婚が遅い)で、その上子供も居ないし
柴田
直江兼続も結婚が遅かった
と言うか、景勝の命令で婿養子に行ったのが直江家
夫婦仲は良かったのに、子供が一人だけ
奥さんの体の都合(例えば子供が生めない体になったとか)だったのかも知れないけど、側室も居ない武将は多かれ少なかれ男色家なのだそうだ
そもそも兼続は、直江家の断絶を惜しんだ景勝の命令で知りもしない女性と結婚したのだし、奥さんとの間に愛情があったとしても肉体的な繋がりは薄いんじゃないかと思った
その兼続だが、幼少の頃より優れた容姿の持ち主だったのだから、謙信の寵愛(肉体的愛情)を受けただとか書かれていたが、謙信そのもの衆道は、周りがうるさいからとりあえずやってただけのことのようです
特に男が好きってわけじゃなさそうです
しかしまぁ、場所によっては『美少年バカ』とまで書かれてるし、どっちが正しいのかちょっとわかんないです
で、その謙信に寵愛(特に可愛がられたいた)のが北条氏秀(上杉景虎)と景勝で、この二人とどんな関係があったのかは知りませんが、とりあえず兼続が寵愛を受けたと言う記述はありませんでした
じゃぁ、兼続は景勝に寵愛されていたのかと言うと、景勝には景勝でお気に入りの小姓(男色の相手)が居たそうで、兼続は相手にされてなかったそうです
なんだか、直江家の養子に進めたのも、厄介払いされたんじゃないかって気がしなくもないけど、景勝に盲目的な兼続はきっと、「直江を守れるのはお前だけだ。信用できるからこそ、お前を婿にやるのだ」とか言われて、ころっと騙されたんじゃないかと勝手に想像してしまって、なんか笑ってしまう
いくら主君の命令でも、縁談じゃなく強引なこの話を受けるだなんて、よぽど景勝が好きだったのねー
その後、直江家を守ることより上杉の家を守ることに一生懸命だし
なんだか、報われない愛よねぇ・・(しみじみ
謙信にも景勝にも相手にされてなかった兼続
まぁ、全く相手にされなかったわけでもなく、可能性としては『景勝&兼続』のようですが、信憑性には欠けるようです
なんか、気の毒になって来た・・・・・・・・・・・・・・・
その景勝も奥さん一人に側室一人、子供も一人
男色家だったそうです(汗
西軍敗北の原因を作った小早川秀秋は、伊達政宗の側近・小十郎の息子のケツを追い駆け回してたとか、ガラシャの旦那さんも衆道やってたとかなんかもう、笑ってしまって仕方がない
秀秋は関ヶ原当時19歳だったのに、それでも男のケツ追い駆け回せるだけの元気があったんだなーとしみじみ
で、『二代重長譜』を検索したら小十郎が出て来て、「男からも惚れられるほど美男子だった」とあり、何だよ、戦国時代って男前ばっかりかよとやや、うんざり
しかも秀秋が男色家だったことも判明
秀秋ー!
あたしゃ、悲しいよ・・(Byおね)
で、政宗と二代目小十郎は衆道の間柄
(『小十郎』は代々受け継がれた通称で、政宗の相手は片腕で有名な小十郎ではなく、その息子のこと)
ぐっじょぶ
とりあえずわかった有名武将では、どこにでも書かれてるものばっかりで恐縮だけど
武田信玄―春日虎綱(高坂昌信)-信玄の虎綱宛のラブレターが残ってるのは有名な話
織田信長―前田利家-『亜相公御夜話』に残されている
伊達政宗―片倉重長(二代目小十郎)-重長が浮気したと勘違いして摂関し、それを謝罪する手紙が残っているらしい
徳川家康―井伊直政-直政に未練があったので、元服を遅らせたらしい
これは確たる証拠があるようで、揺ぎない事実
豊臣秀吉―石田三成(信長にも掘られてた可能性あり?)
上杉謙信or景勝―直江兼続(どっちに掘られてたのか定かではない)
「かも知れない」程度の話ですが、無きにしも非ずな感覚
ぶっちゃけ男色には興味ないし、覗いてみたいとも思わないので、Wikiにも書かれてるカップルしか書きません
探せば他にも色々出て来ましたけどね
阿国さんの愛人で有名な名古屋山三郎と蒲生なんたら(名前忘れた・・)とか
当たり前な行為だったけど、今となっては隠れた文化になり、やおい族のエサにしかならない衆道ですが、この当時は命を投げ打ってでも自分を守ってくれる人間の存在が必要だったので、体を繋げることで絆を深めたのでしょう
でもまぁ、信長(当時の男前の代表格)ならともかく、猿顔の秀吉に気持ち良いことされたってあんまり燃えないんじゃないかと思うのはあたしだけかも知んないけど、それでも気持ちよかったのね、三成さん・・
ここまでで大体見付かった戦国時代の男前
春日虎綱(高坂昌信)-お屋形様のお墨付きじゃー!
織田信長-余は女ではないぞよー!
前田利家-マッチョも範囲内!(By信長)
長宗我部元親-『姫若子』=『美少年』かどうかは、わからんきにのー!でも一応じゃー!
浅井長政-藤の花もぞっこんじゃー!
北条氏秀(上杉景虎)-毘沙門天のお墨付きじゃー!
石田三成-魔王&太閤&観音寺のお墨付きじゃー!
直江兼続-そう書いてるサイトが多すぎじゃー!
井伊直政-狸もぞっこんじゃー!
片倉重長-独眼竜のお手付きじゃー!
2chに書かれてた男前
明智光秀-さすがガラシャのおとん
宇喜多親子-意外だー
大野治長-誰
木村重成-目から鱗
片倉景長-初代小十郎?
松永久秀-名器で爆死
また見付かったら追加します
- ABOUT
画像は外部入力のため、サーバー落ちなどで所々抜けている部分もありますが、ご了承ください。
- 最新記事
(08/02)
(12/11)
(12/11)
(12/11)
(12/08)
- カテゴリー
- 解析
- ありがとうございます
- 御用のある方は、こちらへどうぞ
コピペでお願いします
mail to:
haruhi121@yahoo.co.jp
haruhi121@yahoo.co.jp
メールタイトルにブログタイトルを付けていただけると、見付けやすいです