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All that be for Haruhi. @千極一夜
- The blog site of only an Sengoku Musou2 (Samurai Warriors 2). By Haruhi -
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そして、半端なく長いです
今日は


ゲームそのものは単純にアクションゲームとして面白いと思う
戦国無双シリーズと違ってアクションが苦手なわたしですらゲームレベル「難しい」でクリアできるのだから、万人受けはすると思う
爽快感が戦国無双とは少し違っていて、楽しい
だけど、それでも好きになれない理由は、超個人的で一方的な嫌悪感から

それでもプレイしてみました
利家の奥さん・まつが非常に扱いやすく、初心者にもサクサク感を味わわせてくれます



おっと、まつさん
無修正?
R-18?
これでいいのか、カプコン
最初見た時、目のやり場に困ったまつの股間下アングル



アイテムに、こんなものが出ました



名前だけでも狂喜乱舞
しかしカプコンは、この『愛』の文字に上杉神社の許可は取ってるのだろうか
知ってる方、いらっしゃいませんか?
コーエーは、『愛』の文字使用許可を上杉神社からもらってるそうですよ


こちらが戦国無双2で使用されたもの↓


微妙に違うってことは、やっぱ無許可なんだろうね


ゲーム内容に、戦国無双2もBASARA2も、『戦国辞典』なるものが収録されている
戦国無双2でお気に入りになった直江 兼続(ただし史実の直江 兼続はさほどお気に入りではない)、それまでのイメージが払拭された石田 三成に関する記述を読んだ
2つのゲームに共通するのが『長谷堂』と『関が原』
コーエーは一般的な見解であり、長谷堂なら兼続か伊達、関が原なら三成か徳川、そのどちらにも肩入れしていない書き方だった
だからこそ、尚更兼続や三成に興味を持って、色々検索もしてみた
ところがカプコンは、長谷堂では『兼続の戦略がお粗末だった』
関が原では『三成が政権復帰を狙って起した』と受け取れるような書き方をしていた

つまりは、徳川が態と改竄した史実をそのまま鵜呑みにした書き方になっている
これに腹が立った

わたしは歴史には全くの知識はないが、戦国無双2をきっかけに、兼続・三成の両名を色々と検索してみた
特に三成は何の苦もなく専門的な良識サイトが数多くヒットした
あまりにも数が多かったので上位サイトしか開かなかったが、どのサイトも石田を悪くは書いてなかった
だから、『石田 三成ってどんな人だったんだろう』と興味が沸き、大阪城天守閣にまで行った
石田 三成の複顔画を見た時、無性に泣きたくなった
それが石田 三成本人かどうか、検証するものは何もなかった
だけど、石田 三成である可能性が高いと言う段階で復元された三成

とても、優しそうな顔をしていた
これが、天下転覆を狙った人間だとは想えない

三成の名誉のため、危険を承知で画像をペタッ

大阪城天守閣で重要展示物として公開されている石田 三成公復顔肖像画

ガラス越しで、周囲の目を気にしながら極秘に撮影したので、ピンボケは修正できませんでした
はっきりとはわからないかも知れないけど、実際に見た感想としては、当時にしてはかなりの美男だったのではないだろうかと思った
処刑された年齢が40〜41歳(サイトによって年齢に若干の狂いがあるのは、数え年表記だと思われ)
40のオッサンの顔じゃないよなぁ
若々しい
まぁ、そんなことはどうでも良い話なのだけど・・(汗

ゲームって言うのは、どんな人間が買うのかそれを選ぶことができないものです
だからこそ、中立的な立場で製作に取り掛かってもらいたいです
BASARAの史実は、それまで常識だったけど本当はその逆だった。と言う歪曲されたものをそのまま中略して書かれている
逆に戦国無双は短い文章ながら、もっと詳しく知りたいと思うような、上手い書き方をしている
この差はなんなのだろう

検索でヒットしたサイトに記載されている記事は、古くて2001年
戦国無双、引いては石田 三成が世に出る以前のものが多かった
ゲームキャラで麗しく生まれ変わった石田 三成の、その以前から史実の石田 三成のファンは多いようで、ゲームに影響されていない、質の良い物を読ませてもらったような気がする

ここで、コーエーとカプコンの見解の違いを明らかにするため、収録されていた戦国辞典をテキスト化しました
一言一句間違いなく移してます

コーエー・戦国無双2 戦国辞典より

長谷堂城
上杉景勝と最上義光の軍勢が、攻防を繰り広げた山城。現在の山形県山形市にあった。徳川家康は1600年、諸将を率い上杉討伐に出陣した。しかしその途上で、石田三成挙兵の報せを聞き、急ぎ上方へ転進する。

上杉家執政・直江兼続は、家康軍を待ちかまえていたが、敵が去ったことを知り、諸将に最上領侵攻を指示する。それは来るべき徳川との決戦に備え、最上領を併呑し、防御を固めておこうとの考えからだった。

上杉軍は三路から最上領に侵入。たちまち諸城を攻略し、最上義光の本拠・長谷堂城を包囲する。長谷堂が陥落すれば、山形城は孤立し、最上領を併呑できる。兼続は大攻勢をかける。

ところが関ヶ原の戦いでの東軍勝利の報が届くと両軍の立場は逆転。約2万の上杉軍は陣を引き払い、兼続自ら殿軍をつとめ撤退する。その見事な引き際に「謙信公の武勇の強さが今も残っている」と義光は舌を巻いたという。


これには後日談があって、兼続が撤退する6キロの間に28回もの激戦が繰り広げられ、何度も追い詰められた兼続は自害寸前まで行ったそうだ
それを止めたのが、共に殿(しんがり)を買って出た前田 慶次なんだそうです


カプコン・戦国BASARA2 戦国豆辞典より

長谷堂城の戦い
慶長5年(1600年)
天下分け目の東西合戦の際に出羽国で行なわれた西軍・上杉景勝と東軍・最上義光の戦いをいう。

長谷堂周辺は山形の入り口に位置し、要衛として古くから戦場になってきた経緯がある。
それらの中で最も激しい戦いである。

西軍・上杉景勝の重臣・直江兼続は戦略上の重要拠点を奪うべく兵力1万8千をもって最上領に侵攻―
長谷堂城の西向かいにあたる菅沢山に本陣を置き、城を包囲した。
一方、長谷堂城は最上軍の重臣志村高治が守備していたが、守備隊の数はわずか1千であり、陥落は時間の問題かと思われた。

だが、志村高治という武将は軍略にすぐれており、立地にあったためよく持ちこたえた。
また、伊達政宗からの援軍もあって上杉軍は逆に苦戦を強いられることになる。

攻める上杉軍には前田慶次や水原親憲などの武将がそろっていたが、ついに長谷堂城を落とすことはできず、さらに関ヶ原での西軍敗退の報せが届いたことで直江兼続は撤退を余儀なくされた。

ちなみに、通常の城攻めには守備隊の3倍の兵力が必要とされているが、この戦いでは20倍程度も差があったにも関わらず陥落させられなかった。

その理由であるが、長谷堂城の周りが梁田になっていて人馬が足をとられてしまい、最上鉄砲隊の餌食になったことが一因とされている。


援軍に来たのは伊達政宗ではなく、留守政景である
文面からして、まるで中学生の読書感想文の印象なカプコン
書かれていることは、コーエー側がほぼWikiと合致する
更には、蛇足なトリビアまで載せるカプコンのセンスを疑う


コーエー・戦国無双2 戦国辞典より

関ヶ原
天下分け目の決戦が行なわれた地。現在の岐阜県不破郡関ヶ原町にあたる。豊臣秀吉の没後、実力者。徳川家康は天下取に動いた。豊臣奉行・石田三成は家康排除のために挙兵。西国大名を糾合して畿内を制圧。東へと進んだ。

一方、家康は上杉攻めに組織した軍勢を反転させ、東海道を西へ進む。そして1600年9月15日早朝、両軍は美濃・関ヶ原で激突する。東軍7万、西軍8万。数は互角であったが、西軍の多くは傍観するのみで戦わない。

西軍で戦っているのは石田、小西、大田に、宇喜多の隊でのみで、それは総兵力の3分の1に過ぎなかった。それでも西軍諸隊の奮戦すさまじく東軍を圧倒。特に石田隊は東軍諸隊の集中攻撃を受けながら何度も敵を押し返した。

側面攻撃すれば勝てる! 三成は勝利を確信するが、小早川秀秋が東軍に寝返り、逆に側面を攻撃される。大谷隊は必死に支えたが、力尽きて玉砕。西軍諸隊は次々に解決していき、午後2時ごろには東軍勝利が決定的になる。


これを書き移してる最中、不覚にも泣きそうになった・・
ゲームではただの『その他武将』
旗色が悪くなったら直ぐに「援軍を!」とか情けない声出してた大谷が、こんな勇猛な武将だったなんて知らなかったから・・・
公私共に三成の支えになってた親友・大谷
ごめんよ・・・
今度から、苦戦してたら小西より先に救援してあげるね・・(涙
今まで見殺しにして来てごめんね・・
特に殿のシナリオの関ヶ原で、最前線に孤立無援でがんばってるのに、何度も救援を出して来てたのに、遠いから行くのが面倒でほったらかしにして、とうとう敗北してしまって消えちゃって、でも「まぁいっか」なんて気楽に思ってた自分に猛反省っ><
ごめんねっ!><
だってこっちの武将が次々と敗北したら救援でナオと幸村が駆け付けてくれるんだもの・・(やや微笑


カプコン・戦国BASARA2 戦国豆辞典より

関ヶ原の戦い
慶長3年(1598年)
豊臣秀吉は伏見城で死去した。
豊臣政権は秀吉の嫡男秀頼を支える形で「五大老五奉行」に託されることになったのである。
だが秀吉の死後、有力大名たちの間には様々な不協和音が響き始める。

例えば、軍事面を担当してきた加藤清正らの勢力と、行政を管理してきた石田三成との確執が深まり、その対立をおさえてきた前田利家は慶長4年(1599年)に死去すると一気に表面化―
三成は失脚してしまった。

そんな対立をうまく利用しつつ、政権奪取への策を進めていたのが徳川家康である。

家康は秀吉が記事手居た有力大名との養子縁組を頻繁に行い、軍事力を増していく。
さらに、自分に従わない大名達についてはあらゆる手段を取って排除したり従属させたりした。

そして慶長5年’1600年)
家康は五大老の一人・上杉景勝を攻めるべく、景勝の居城である会津征伐の軍令を下した。

この機会を伺っていたのが、政治の場から遠ざけられていた石田三成である。

三成は家康が、上杉討伐に向かっているところを狙い、五大老の毛利輝元を擁立して西軍を結成し、反家康の挙兵を行なった。
これによって、豊臣政権を構成していた大名たちが東西2つに割れる戦いが始まった。
西軍は家康が留守の間に大坂城を占領し、家康が抑えていた伏見城も陥落させる。

一方の家康は植えすぎ討伐をすぐに中止し、西軍との融資を決するために江戸城へと引き返す。
この時の家康は特に動揺しておらず、会津征伐そのものが三成のような反家康勢力をあぶり出すための戦略だったのではないかとも言われている。

同年9月、家康率いる東軍と三成率いる西軍は関ヶ原で激突した。
背今日ははじめ、西軍が有利であった。
それを覆すべく家康が打っていた手は西軍で1万5千もの兵を率いる小早川秀秋であった。
秀秋は家康と内通していたのである。
秀秋軍の寝返りによって戦況は激変、西軍は総崩れとなった。

結局、東軍の勝利に終わったのである。
ちなみに秀秋は優柔不断で、東軍に味方するかどうか悩みぬいたために出陣が遅れ、三成・家康双方をいらつかせたというエピソードが残っている。
結局、業を煮やした家康から自陣に鉄砲を打ち込まれ、慌てて東軍に味方したと言われている。

この戦いの勝利によって家康の政権基盤は磐石となり、2年後に征夷大将軍に任命されることになるのである。


Wikiにはどこにも三成が失脚したなんて書かれてない
三成の専門サイトでも、そんな記述はまだ見てない
呆れて物が言えないのは、会津征伐(関が原合戦)のきっかけが直江状(一説には家康を挑発するために送ったともされている)であることに全く触れていない
そして、家康が会津から関が原に向かったのは嘗て秀吉がやった『中国大返し』を手本にやったことにも触れていない
書き写してる最中に、腹が立って来た
それと、平仮名多すぎ、カプコン
ちゃんと漢字変換しやがれっ(移すの大変だったんだぞ)

どっちにしても、コーエーもカプコンも家康のイメージダウンに貢献したのだけど、コーエーはそれまで悪者扱いされていた石田 三成を、『本当はそうじゃないんだよ!』と世間にアピールするのに最適なキャラを作り上げたと思う
殿が石田 三成となってゲームに現れなければ、誰も興味なんか持たなかったんじゃないだろうか
わたしも、それまでは「石田三成なんてどうでも良い」派だった
時代物ドラマでも、なんか嫌なやつに描かれていた
だから、無双OROCHIで石田 三成を見ても、「意外と扱い(プレイ)やすいキャラ」としか見てなかった
悩みながら買った戦国無双2
そこでナオに惚れ、ナオばっかりやってたら途中から殿が頻繁に出て来るようになって、そこから『石田 三成って?』と検索をする毎日が始まった

わたしが三成のイメージが変わったサイトはこちらのサイト様と、こちらのサイト様
今回新たにこちらのサイト様も発見できました


長谷堂については双方の見解の違いを指摘するのは、わたしには難しいが、関ヶ原に関してはカプコンの見方を真っ向から否定したい
三成は再び政権を握るつもりだったんじゃないと思う
どうしても勝ちたい気持ちがあったのなら、家康のボケが唯一恐れていたと言う真田 昌幸を応援に呼ぶはずである
これはNHKの「その時歴史が動いた」でも立証されていた
現に昌幸は「何故開戦を知らせなかった」と叱りの言葉を手紙にして、三成に送っている
それは、昌幸が三成の友達だったからだ
一般では『敵は多いが友は少ない』とされている三成だが、実際はそこらの武将よりよっぽど有名な武将との交友が多いみたいだった
三成のために、命を盾にするほどの忠義厚い家臣・左近も居るくらいなんだから、悪いヤツなんかじゃないんだよ
渡辺 勘兵衛と言う、左近にも負けないくらい『三成大好き』(ヘンな意味ではなく)な家臣だって居たそうだし(詳しくはWiki 石田三成 逸話をどうぞ)
と、最近思い始めた・・・
Wikiでこんなものも見付けた
若江八人衆

関ヶ原合戦のきっかけは直江状ではないかとされているし、開戦は宇喜多のフライング宣戦布告?であると立証もされているようだ
それにも関わらずカプコンは、「関ヶ原は三成が復権を狙ってやった」と受け取っても仕方がない書き方をしているのは、充分な取材もしないで徳川が三成のイメージを悪くさせるため改竄した史実を真に受けた結果の現れであると感じた

そう感じたのは、三成は正則よりも数多くの戦に参加し、その激戦地(最前線?)に居た回数が多かったとWikiに追加記述されていたのを見たからだ
なのにBASARA2では三成の名の付くザコ武将は、どこにも見られなかった

よって、カプコンはそれまでは好きなメーカーだったが、これをきっかけに徳川並みに大嫌いになりました
「単純なヤツめ」と笑ってくれ

戦国無双2で花咲かせた殿
カプコンもさぞや悔しがっていることだろう
自分達が軽視した三成が、まさか他のメーカーで復活し、売り上げに貢献したばかりでなく、メーカー発刊の冊子の表紙にはなるし、セーブデータのアイコンにもなってるし
美目麗しい美少年(顔付きはどう見ても10代後半)として描かれたお陰か、最近では三成のイメージアップに繋がる編集がWikiで頻繁に行なわれている
(中には「時代物の読みすぎじゃねーのか?」と突っ込みたくなる記述もあるが)
それだけでコーエーの影響力が伺えるが、カプコンには何の影響力もないことを知ることができた
コーエーの猿真似をした結果、ファン(この場合はわたし)を一人確実に失っただけなのだから

カプコンは同じ大阪市内にある唯一の有名ゲームメーカーだったので、格別の思いがあったのだが、BASARA2のお粗末な遣り方に、きっと純粋な三成ファンからも怒りを買ったことだろうと思う



私見ではありますが、加藤清正が三成を憎んでいたのは、朝鮮遠征中、自分の素行の悪さを三成が秀吉に報告し、秀吉が清正の言い訳を聞かず三成の言うことだけを信じたからじゃないかと思う
それだけ三成は秀吉に信頼されてたんだよ
秀吉の大きな戦にはほとんどと言っていいほど付き従っていたそうで、軍事が苦手ながらも三成は、自分にできることを一生懸命やって、その結果、秀吉の懐刀とまで言われるようになって

ゲームでも殿は、何考えてるのかわかんないキャラです
物の言い方が相手を見下すような口調だし、結構冷たいし
恐らく、一般的に知られている三成の人物像を具現化したのだと思うけど、それでも嫌いにはなりませんでした
寧ろ「本当は、こんな人だったんだ」と、知るきっかけになりました
それは、単に殿が男前に作られたわけではなく、コーエーの作り方の上手さを今更のように知ったからです
男前なだけだったら、無双OROCHIをやった時に既に惚れてます
まぁ、殿には「惚れた腫れた」の気持ちはありませんが、今後も戦国シリーズは買い続けたいし(殿とナオが出て来る限り)、大事にしたい人でもあります

冷たそうで、偉そうで、高飛車で、でも
心が真っ直ぐで、大事な人(秀吉)が大事にしたいと願う「想い」を、自分のことのように大事にする人で
きっと史実の三成もこんな、不器用な人だったんじゃないかなぁ・・と思いました

三成には2説の生存説があり、生存説があると言うことはそれだけ人から愛されていた証拠で、生存説って言うのは、「生きてて欲しい」と願う気持ちの現われで、嫌いな人間に対して発生するのは死亡説であり、生存説ではないことだけは確か
これだけでも、三成は徳川が植え受けた『悪い人間』ではないことの証にはなり得ないだろうか


元々嫌いだったのに、戦国無双2で益々徳川家康が嫌いになり、BASARA2では「永遠に地獄で苦しめ。あるいは永遠にゴキブリに生まれ変わり、人間から忌み嫌われる存在であり続けろ」と呪うくらい、大っっっ嫌いになりました


殿は、戦に破れて処刑されたんじゃない
家康に謀殺されたんだ
そう想った
そして、ふと思い出した人物が、『大津皇子』
接点はなんもないけど、なんか連想された・・

三成さん
あなたの汚名は、徐々にではあるけれど、雪がれて行ってるようです
家康は、「忍耐の人」から「謀略の人」と変わってしまっているようです
自業自得ですね





そしてもう一つはっきり言えることは、長宗我部 元親のキャラ性格は三国無双シリーズの甘寧のパクりであると言うこと

もうね、カプコン

潰れちゃえ


石田 三成が秀吉の小姓になったのは14歳(あるいは17歳の説もある)の時でした
過去の記事に間違えて「6歳」と書いた記憶があるのですが、どの記事だったかわからなくなってしまったので、ここで修正お詫びします

Wiki・石田 三成の項目に書かれていること全てを信じているのではなく、石田 三成を取り上げている数多くのサイトに書かれていることと照合し、意見の多いものを採用した書き方をしております
石田 三成の研究をしているわけではないので、間違ったことを書いていることもあるでしょうが、非難などはおやめください
そっと教えてくださると、直ちに修正・あるいは削除しますので、よろしくお願いします
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