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All that be for Haruhi. @千極一夜 |
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殿(コーエーゲーム『戦国無双2』石田三成)に惚れてから、どれだけの三成さん(史実の石田三成)関連本を買っただろうか
現在配送待ちの本も含めたら10冊は軽く超える
もちろん、これだけの数で自分は歴史に明るいとは全く思っていない
寧ろ謎は深まるばかりな毎日を送っている
歴史は、時の勝者が自分の都合の良いように、事実を改竄して書かれる場合が多い
そのため、信憑性の高い史書がどれなのか、これといって明言できるものも少ないようだ
武田信玄の寵愛を一身に受け、その信頼度も高いことで有名な高坂(香坂)昌信(春日虎綱)が原本を書いたとされる『甲陽軍鑑』も、最近は武田氏に偏りすぎる内容のためその信憑性が問われるようになっているし、『甲陽軍鑑』も本当に高坂昌信が書き記したものを正確に伝えているかどうかわからないし、高坂昌信が『甲陽軍鑑』を手懸けたのかどうかも怪しい雰囲気が流れているようだ
史書は自分の家を誇張して書く場合が多いようで、だけどそれは『日本書紀』の頃から日本では当たり前の風習なのだから、単なる読み物として楽しんだ方が良いのではないかと思う
ただ、その『読み物』としての史書を『史実』として受け止め、それを本にして売る作家や歴史研究家が多すぎて、どれ一つとして正しい歴史を伝えてくれるものがないのも事実ではないだろうか
多数の史書を照らし合わせ、その中で一致する事柄を書き記す人間(作家・歴史研究家)は少なく、手にした本の内容が他の本と食い違っていたりすると本当に腹が立つ
戦国無双2の影響で石田三成のにわかファンになったわたしは、手当たり次第の歴史書を買い集めている
もちろん、史書を手にすることはできない
高いし、売ってないし、内容が難しいから買ったとしても理解して読むことは無理だと思うので
だから、アホな自分にもわかるよう、その歴史書を紐解いた本を選んで買うようにしているのだが、その選んで買った本の内容が史実(事実)と違ってたりするともう、救いようがないくらい落ち込む
買って損したなーと思うのが、読み物としても楽しむことができない『関ヶ原』(司馬遼太郎著)と、『BL新日本史』(堀五朗著)と、『武士道とエロス』(氏家幹人著)の3冊
今、これに新たに加わろうとしている本があるが、まだ半分も読んでいないので読み終えてから評価を出したい
色んな本を読んでみた
知識として吸収することはできないほど、できの悪い頭だが、できの悪い頭なりに思ったことがある
それは、『歴史は繰り返されるって、ホントだなぁー・・』
日本人は神話時代の昔から、兄弟間での争いが耐えない
寧ろ、その兄弟間の争いで今の日本があるくらいだ
わたしが知っている限りでは壬申の乱が、一番古い骨肉の争いだろうか
『やられる前にやれ』が、日本人の魂に根強く蔓延っている防衛本能
その辺りは何となく、理解できる
わたしも、『やられる前にやってやる』主義だから
特に好きな三成さんの時代を扱った本を中心に読んでいると、本当に繰り返される、因果応報が多い
本能寺で謀殺された織田信長
これは因果応報でなくてなんだと言うのだろうか
謀略で死んで行った古の武将達の怨念が、信長を殺したのだろうか
骨すら見付からないのは、葬られる方としては情けない限りだが、織田家の衰退も『まともな後継者が居ないために勝手に滅んだ』結果なのだから、なんとも味気ない幕引きである
信長を引き合いに出すと、何が何だかわからないくらいなので割愛するとして、時代が秀吉を選んだ頃の話をしたい
信長亡き後尾張では、信長の後継者選びが行なわれる
にわかに天下取りに乗り出した秀吉は、謀略で織田家を守ろうとした柴田勝家を死に追いやっている
これは17年後に起きた関ヶ原合戦と同じ内容ではないだろうか
戦の起こり方は違っているが、方や織田を守ろうとした柴田勝家、方や豊臣を守ろうとした三成さん
どちらも結果は『死んでいる』
死に方が違うだけで、結果は同じである
志し果たせず死んでしまうのだから、さぞかし無念であろう
しかも、戦には勝てないよう様々な謀略を張り巡らされていた
勝家も三成さんも、充分納得できる内容の戦ではなかった
勝家の場合は秀吉が根回しをし、味方の数が揃わなかったし、三成さんの場合は数は揃ったけど駒が動いてくれなかったと言う情けなさ
そして、賤ヶ岳では前田利家が恩義のある勝家に味方するどころか豊臣軍に加担し、しかも何もせず撤退している
何もせず撤退
これは関ヶ原における島津然り、毛利然り
島津義弘は九州征伐の敗戦で、秀吉の命令で大阪に軟禁されてしまった
九州に帰りたくても帰れない状態だったらしい
そんな義弘の面倒を見、相談相手となったのが三成さんだと『読本 石田三成』に記されている
しかも三成さんは、義弘が九州に帰れるよう秀吉に働き掛けたのだそうだ
その甲斐あって義弘は、1年の後九州に帰れたのだが、その恩を忘れて義弘は、優勢な徳川軍の味方をしようとしていた
結局徳川軍には受け入れてもらえず西軍に着くが、関ヶ原では不動を貫き通し、西軍が総崩れになったところで敵中突破を敢行して、大事な跡取りである豊久を失っている
しかし前田家も島津家も、結局は倒幕まで生き残っているのだからやはり、地味なりにがんばったのだなーと感じた
時に日和見は家を守るものである
関ヶ原と賤ヶ岳が似てるなーと感じるし、秀吉が傀儡にしようと画策した『信長後継者は三法師』作戦も、その後の大坂の陣に持ち越される
幼い子供を無理矢理後継者にすることで天下取りに名乗りを上げた秀吉は、天下取りを果たした10年後に死亡し、その14年後には家を丸ごと潰されている
自分がやった因果が、子供の秀頼にしっぺ返しな形で戻って来たのだ
最近になって、淀殿の名誉が回復されているらしい
とは言え、やっぱり因果を生んだのは事実で、名誉が回復されたからといって淀殿人気が上がるのかと言えば、難しい話ではなかろうか
三成さんの人気は、正直言って戦国無双2の影響だと思う
将来、戦国無双シリーズに『茶々』が出て来たりしたら、さすがに世間が黙ってないと思う
「いい加減にしとけよ、コーエー」って感じで
話は反れたが、三成さんだけを大悪人に仕立て上げ、自分のしでかしたことを正当化することに成功した家康だが、徳川幕府の終わりをどう思っていたのだろうか
徳川幕府の崩壊は、ペリーの「開国しろー、開国しろー」で開国したのかと思っていた単純なわたし
坂本竜馬や西郷隆盛、その他大勢の英雄達の活躍を学校の授業で習ったのか?おい。と突っ込まれても反論できないくらい、覚えていない
だが、三成さんを知りたいと思って本を読んでいると、倒幕に一端を担っていた意外な人物達が居るのを知った
その前に
『忠臣蔵』は年末になると長時間ドラマとしてテレビで放映される
わたしはあの話が大嫌いなのだ
一人のか弱い老人を、40人からの武士が寄って集って虐殺するのだ
なんて怖いお話!!
だが、その実態を知ってわたしは、吉良上野介には気の毒だが笑ってしまった
吉良上野介こと吉良義央を斬り付けたのは浅野内匠頭こと浅野 長矩
ご先祖様は浅野長政
浅野長政は比較的、三成さんとは仲が良かったようである
が、事情で関ヶ原では西軍に味方できなかったこともあるが、それなりに立派な人だったらしい
なのに、その子孫がバカ殿とは情けない
結局、吉良斬り付けが原因で浅野家はお取り潰しとなる
ご先祖様が命を張って築き上げた家を潰してしまうとは、救いのない話だと思った
そして、斬り付けられた上に寄って集って嬲り殺しに遭った吉良義央の奥さんは、上杉景勝の養子の娘だったか孫だったか、その辺り
歴史って、どこで誰が繋がってるかわからないから、面白いなぁと思った
江戸時代には興味がないので、この辺りの文献をわたしは殆ど持っていない
だが、徳川幕府が終わる頃の話なら聞きかじった程度の内容は知っている
家康の寵愛(情愛?)を一身に受け、過労死&破傷風で死んだ(とされる)直政の死を嘆き、半狂乱になって三成さんの実家を潰したり、石田家代々の墓を潰したり、佐和山城を潰したりとご乱心召されたが、その愛する直政の子孫の井伊家が徳川幕府崩壊・開国の一旦を担っていたらしいと言う話は、非常に面白かった
おまけに、どの本で読んだのか失念してしまったので、勘違いだったら申し訳ないのだが、家康の腹心で『半蔵門』でも有名な服部半蔵の子孫、あるいは一門が徳川幕府崩壊の際、その崩壊の一旦を担っていたらしいと言うのも、笑い転げる話ではなかろうか
甲賀一族が幕府倒壊のため戦ったのは、何と言う皮肉だろうか
おまけに井伊一族が伝統の『赤備え』を捨て、幕府に盾突いたのだから
自分のご先祖様である直政が、その寿命を縮めたとまで言われるほど徳川幕府開幕に尽力し、家康に天下を取らせるため関ヶ原で奮戦し、島津軍の放った鉄砲が当り、その傷が元で破傷風になったのではないかとされているのに、ご先祖様が血を流して築き上げた徳川幕府を守るどころか倒しちゃってるんだから
まぁ、井伊家が幕府に盾突く原因が桜田門外の変の井伊直弼暗殺だから、一族としては直弼の敵討ち!という気持ちもあったのだろう
そのお陰で日本はようやく、長い鎖国時代を終え近代化に向け新たな歴史をスタートさせたのだから、ありがたいっちゃぁありがたいが、家康が建てた幕府をめっちゃくちゃに壊した中にこの井伊家と半蔵の子孫(あるいは一族)が加担してるのは、なんと言う因果だろうか
ありがとう、井伊家のみなさん
色んな本を読んでいると、意外なところで色んな人物が繋がったりするのが面白いと感じるのが殆どだが、やっぱり史実と違うことを書いて本にして金を得ている人間が実際に居たりするので、その辺の見極めが肝心だと思いつつも、石田三成の名前があるとついつい衝動的に買ってしまう今の自分を何とかしたい
とりあえず世間に蔓延る本書き作家さん
石田三成の名前を出せば本は売れると思わず、ちゃんと検証してから書いてくださいね
じゃないとわたし、破綻してしまいます(涙の訴え
現在配送待ちの本も含めたら10冊は軽く超える
もちろん、これだけの数で自分は歴史に明るいとは全く思っていない
寧ろ謎は深まるばかりな毎日を送っている
歴史は、時の勝者が自分の都合の良いように、事実を改竄して書かれる場合が多い
そのため、信憑性の高い史書がどれなのか、これといって明言できるものも少ないようだ
武田信玄の寵愛を一身に受け、その信頼度も高いことで有名な高坂(香坂)昌信(春日虎綱)が原本を書いたとされる『甲陽軍鑑』も、最近は武田氏に偏りすぎる内容のためその信憑性が問われるようになっているし、『甲陽軍鑑』も本当に高坂昌信が書き記したものを正確に伝えているかどうかわからないし、高坂昌信が『甲陽軍鑑』を手懸けたのかどうかも怪しい雰囲気が流れているようだ
史書は自分の家を誇張して書く場合が多いようで、だけどそれは『日本書紀』の頃から日本では当たり前の風習なのだから、単なる読み物として楽しんだ方が良いのではないかと思う
ただ、その『読み物』としての史書を『史実』として受け止め、それを本にして売る作家や歴史研究家が多すぎて、どれ一つとして正しい歴史を伝えてくれるものがないのも事実ではないだろうか
多数の史書を照らし合わせ、その中で一致する事柄を書き記す人間(作家・歴史研究家)は少なく、手にした本の内容が他の本と食い違っていたりすると本当に腹が立つ
戦国無双2の影響で石田三成のにわかファンになったわたしは、手当たり次第の歴史書を買い集めている
もちろん、史書を手にすることはできない
高いし、売ってないし、内容が難しいから買ったとしても理解して読むことは無理だと思うので
だから、アホな自分にもわかるよう、その歴史書を紐解いた本を選んで買うようにしているのだが、その選んで買った本の内容が史実(事実)と違ってたりするともう、救いようがないくらい落ち込む
買って損したなーと思うのが、読み物としても楽しむことができない『関ヶ原』(司馬遼太郎著)と、『BL新日本史』(堀五朗著)と、『武士道とエロス』(氏家幹人著)の3冊
今、これに新たに加わろうとしている本があるが、まだ半分も読んでいないので読み終えてから評価を出したい
色んな本を読んでみた
知識として吸収することはできないほど、できの悪い頭だが、できの悪い頭なりに思ったことがある
それは、『歴史は繰り返されるって、ホントだなぁー・・』
日本人は神話時代の昔から、兄弟間での争いが耐えない
寧ろ、その兄弟間の争いで今の日本があるくらいだ
わたしが知っている限りでは壬申の乱が、一番古い骨肉の争いだろうか
『やられる前にやれ』が、日本人の魂に根強く蔓延っている防衛本能
その辺りは何となく、理解できる
わたしも、『やられる前にやってやる』主義だから
特に好きな三成さんの時代を扱った本を中心に読んでいると、本当に繰り返される、因果応報が多い
本能寺で謀殺された織田信長
これは因果応報でなくてなんだと言うのだろうか
謀略で死んで行った古の武将達の怨念が、信長を殺したのだろうか
骨すら見付からないのは、葬られる方としては情けない限りだが、織田家の衰退も『まともな後継者が居ないために勝手に滅んだ』結果なのだから、なんとも味気ない幕引きである
信長を引き合いに出すと、何が何だかわからないくらいなので割愛するとして、時代が秀吉を選んだ頃の話をしたい
信長亡き後尾張では、信長の後継者選びが行なわれる
にわかに天下取りに乗り出した秀吉は、謀略で織田家を守ろうとした柴田勝家を死に追いやっている
これは17年後に起きた関ヶ原合戦と同じ内容ではないだろうか
戦の起こり方は違っているが、方や織田を守ろうとした柴田勝家、方や豊臣を守ろうとした三成さん
どちらも結果は『死んでいる』
死に方が違うだけで、結果は同じである
志し果たせず死んでしまうのだから、さぞかし無念であろう
しかも、戦には勝てないよう様々な謀略を張り巡らされていた
勝家も三成さんも、充分納得できる内容の戦ではなかった
勝家の場合は秀吉が根回しをし、味方の数が揃わなかったし、三成さんの場合は数は揃ったけど駒が動いてくれなかったと言う情けなさ
そして、賤ヶ岳では前田利家が恩義のある勝家に味方するどころか豊臣軍に加担し、しかも何もせず撤退している
何もせず撤退
これは関ヶ原における島津然り、毛利然り
島津義弘は九州征伐の敗戦で、秀吉の命令で大阪に軟禁されてしまった
九州に帰りたくても帰れない状態だったらしい
そんな義弘の面倒を見、相談相手となったのが三成さんだと『読本 石田三成』に記されている
しかも三成さんは、義弘が九州に帰れるよう秀吉に働き掛けたのだそうだ
その甲斐あって義弘は、1年の後九州に帰れたのだが、その恩を忘れて義弘は、優勢な徳川軍の味方をしようとしていた
結局徳川軍には受け入れてもらえず西軍に着くが、関ヶ原では不動を貫き通し、西軍が総崩れになったところで敵中突破を敢行して、大事な跡取りである豊久を失っている
しかし前田家も島津家も、結局は倒幕まで生き残っているのだからやはり、地味なりにがんばったのだなーと感じた
時に日和見は家を守るものである
関ヶ原と賤ヶ岳が似てるなーと感じるし、秀吉が傀儡にしようと画策した『信長後継者は三法師』作戦も、その後の大坂の陣に持ち越される
幼い子供を無理矢理後継者にすることで天下取りに名乗りを上げた秀吉は、天下取りを果たした10年後に死亡し、その14年後には家を丸ごと潰されている
自分がやった因果が、子供の秀頼にしっぺ返しな形で戻って来たのだ
最近になって、淀殿の名誉が回復されているらしい
とは言え、やっぱり因果を生んだのは事実で、名誉が回復されたからといって淀殿人気が上がるのかと言えば、難しい話ではなかろうか
三成さんの人気は、正直言って戦国無双2の影響だと思う
将来、戦国無双シリーズに『茶々』が出て来たりしたら、さすがに世間が黙ってないと思う
「いい加減にしとけよ、コーエー」って感じで
話は反れたが、三成さんだけを大悪人に仕立て上げ、自分のしでかしたことを正当化することに成功した家康だが、徳川幕府の終わりをどう思っていたのだろうか
徳川幕府の崩壊は、ペリーの「開国しろー、開国しろー」で開国したのかと思っていた単純なわたし
坂本竜馬や西郷隆盛、その他大勢の英雄達の活躍を学校の授業で習ったのか?おい。と突っ込まれても反論できないくらい、覚えていない
だが、三成さんを知りたいと思って本を読んでいると、倒幕に一端を担っていた意外な人物達が居るのを知った
その前に
『忠臣蔵』は年末になると長時間ドラマとしてテレビで放映される
わたしはあの話が大嫌いなのだ
一人のか弱い老人を、40人からの武士が寄って集って虐殺するのだ
なんて怖いお話!!
だが、その実態を知ってわたしは、吉良上野介には気の毒だが笑ってしまった
吉良上野介こと吉良義央を斬り付けたのは浅野内匠頭こと浅野 長矩
ご先祖様は浅野長政
浅野長政は比較的、三成さんとは仲が良かったようである
が、事情で関ヶ原では西軍に味方できなかったこともあるが、それなりに立派な人だったらしい
なのに、その子孫がバカ殿とは情けない
結局、吉良斬り付けが原因で浅野家はお取り潰しとなる
ご先祖様が命を張って築き上げた家を潰してしまうとは、救いのない話だと思った
そして、斬り付けられた上に寄って集って嬲り殺しに遭った吉良義央の奥さんは、上杉景勝の養子の娘だったか孫だったか、その辺り
歴史って、どこで誰が繋がってるかわからないから、面白いなぁと思った
江戸時代には興味がないので、この辺りの文献をわたしは殆ど持っていない
だが、徳川幕府が終わる頃の話なら聞きかじった程度の内容は知っている
家康の寵愛(情愛?)を一身に受け、過労死&破傷風で死んだ(とされる)直政の死を嘆き、半狂乱になって三成さんの実家を潰したり、石田家代々の墓を潰したり、佐和山城を潰したりとご乱心召されたが、その愛する直政の子孫の井伊家が徳川幕府崩壊・開国の一旦を担っていたらしいと言う話は、非常に面白かった
おまけに、どの本で読んだのか失念してしまったので、勘違いだったら申し訳ないのだが、家康の腹心で『半蔵門』でも有名な服部半蔵の子孫、あるいは一門が徳川幕府崩壊の際、その崩壊の一旦を担っていたらしいと言うのも、笑い転げる話ではなかろうか
甲賀一族が幕府倒壊のため戦ったのは、何と言う皮肉だろうか
おまけに井伊一族が伝統の『赤備え』を捨て、幕府に盾突いたのだから
自分のご先祖様である直政が、その寿命を縮めたとまで言われるほど徳川幕府開幕に尽力し、家康に天下を取らせるため関ヶ原で奮戦し、島津軍の放った鉄砲が当り、その傷が元で破傷風になったのではないかとされているのに、ご先祖様が血を流して築き上げた徳川幕府を守るどころか倒しちゃってるんだから
まぁ、井伊家が幕府に盾突く原因が桜田門外の変の井伊直弼暗殺だから、一族としては直弼の敵討ち!という気持ちもあったのだろう
そのお陰で日本はようやく、長い鎖国時代を終え近代化に向け新たな歴史をスタートさせたのだから、ありがたいっちゃぁありがたいが、家康が建てた幕府をめっちゃくちゃに壊した中にこの井伊家と半蔵の子孫(あるいは一族)が加担してるのは、なんと言う因果だろうか
ありがとう、井伊家のみなさん
色んな本を読んでいると、意外なところで色んな人物が繋がったりするのが面白いと感じるのが殆どだが、やっぱり史実と違うことを書いて本にして金を得ている人間が実際に居たりするので、その辺の見極めが肝心だと思いつつも、石田三成の名前があるとついつい衝動的に買ってしまう今の自分を何とかしたい
とりあえず世間に蔓延る本書き作家さん
石田三成の名前を出せば本は売れると思わず、ちゃんと検証してから書いてくださいね
じゃないとわたし、破綻してしまいます(涙の訴え
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わたしは何故、もっと早くこの本と出逢わなかったのだろう
今も後悔している
この本に出逢えれば、わたしは無駄なお金を使わずに済んだのにと
今まで買った本の全てがゴミに見えるほど、この本では目からうろこの三成さん像があった
実際の人物像に関しては、それほど記載されていない
人物像など、歴史の勝者がいくらでも書き換えてしまうので信憑性が薄いのだろう
著者はその信憑性の薄いことは書かない
だが最後には、三成さんの人物像に触れたのか大絶賛している
これはわたし個人の話で、ここに書くのもおこがましいし、増してや多方面の方々に迷惑を掛けるのを承知で書いてしまうが、わたしはこの本を手にとって、とても感激した
それは私見や個人的感情には一切流されず、忠実に史実を追って書かれていることだった
この当時三成さんは何をやって、どんなことをしたのかと言うことを中心に書かれている
こんなにも個人的感情を取り除いた秀逸な本は滅多に出逢えない
嬉しすぎてわたしは、このブログに宣伝よろしく貼り付けているくらいだ
この本は三成ファンなら買わなくてはならないと断言できるほど、素晴らしい本だと思った
嬉しさのあまり、わたしはこの出版社にメールを送った
ただスタッフの誰でもいいから、わたしがこの本を手にしてどれだけ嬉しかったという、ただそれを誰かを知ってもらいたかったからだ
だがわたしの送ったメールを手にしたスタッフさんは、嬉しいことにそれを著者に転送したのだ
まさかの事態が起きる
まさか著者本人から返事が来るとは、思っていなかった
その内容をここで書くわけにはいかないが、内容は三成さんを絶賛する言葉の羅列だった
そこまで三成さんを買っておきながら、それでも本ではそんな感情などおくびにも出さずただ冷静に、当時の様子を検証している
それだけでも、この著者の人柄には惚れ込める
そして信頼に値するとも確信できた
今では三成さんの教科書だと信じて疑わないこの『敗者から見た関ヶ原合戦』は、現在も根強く定着した『風説』を尽く覆している
この本がいつか三成さんにとっての『定説』になることを願ってやまない
内容のどれもが興味深い
先ず、西軍の正規な大将はやはり三成さんであることを指摘している
実務的な大将と言うだけで、実際の総大将は大坂城から動かなかった毛利輝元であるのも事実のようだ
ここで通説となっている大谷の、「日頃のお前の態度では、着いて来る者も着いて来ない。だから今回は裏方に回って、総大将は毛利に頼め」と言う内容の話が、ここで辻褄が合って来る
かくして中国の毛利を総大将に担ぎ上げることには成功したが、肝心の毛利が動かない
おまけに輝元の兄弟全員も日和見を決め込み、最終的には徳川に寝返っている
そして輝元自身、「全ての責任は三成にある。自分は総大将を引き受けただけだ」と言い訳をしている
要するに毛利一族は初めから、西軍(三成さん)に着くつもりはなかったのではないかと言うことが伺える
では何故、そんな毛利一族が西軍の陣内にいたのかと言う疑問が生まれるが、世間では初めから寝返るつもりで西軍に着いたと言うのが一般的見解のようだが、わたしは自分の希望としての意見で、『西軍には秀吉未亡人・おねが着いていたから』と言う、全く想像でしかないこれを心に抱えている
おねさんの影響力は、正直言って家康の比ではなかったからでは?と
家康が関ヶ原に勝てたのは、長年培った『戦術』と言うのもあるだろうが、大半は『金に物を言わせて大名たちを転がした』と言う事実
金や権力に弱い人間の本性を見事に突いた作戦だと思う
通説では関ヶ原は越後の直江兼続と共謀して起されたとあるが、その通説もこの本は真っ向から否定している
と言うのも、関ヶ原のきっかけとなった『直江状』そのものが存在しないことと、この頃の三成さんはとにかく隠密裏に動いているため、遠方にある越後とは頻繁に連絡できようがなかった
三成さんの居る佐和山(滋賀県)と、兼続の居る越後(越後だとしたら新潟県)の間には、家康が居るのだから
軍事にも歴史にも明るくないわたしですら、密かに家康討伐を計画していた三成さんが、敵に発覚するかも知れない危険性を孕みながら兼続と連絡を取り合うのはあり得ないのではないかと思う
現に、三成挙兵の際、信濃(長野県)の真田昌幸が怒りの書状を三成さんに送っている
その返事に三成さんは、「誰が敵か味方かわからない状況で、人にこの作戦を話すことはできなかった」と応えている文献が存在するらしい
■■■直江兼続は石田三成の友達ではない■■■
これは以前、彦根を訪れた際に彦根在住のご老人から聞かされた話である
兼続は三成さんの友達ではなく、三成さんの軍師である島左近の友達であると言うのだ
その理由は至って明快で、「同じ軍師同士だから」と言うもの
これはどこのサイトにも載っていない内容だった
現地に行かなければ、聴かされることのない話しだったろう
景勝が兼続を伴ってかどうかわからないが、この二人は一心同体的な存在なので、恐らく家康に謝罪に行く際にも兼続を伴ったと思われる
その場で景勝は「三成とは関係ない。だから関ヶ原も自分は協力した覚えはない」と言い切ったのではないかと思われる
それを思い浮かべた時、わたしは景勝にも、そして兼続にも嫌悪感を覚えた
だが彦根で聞いた「三成と兼続は友達ではない」の一件で、その辻褄が合うことを確信した
この本を読み進めていると、元々『関ヶ原は三成と共謀した兼続が家康を挑発するために直江状なるものを送り付け、見事その策にはまった家康が会津討伐に乗り出し、その背後を三成が突いた』と言うのが、半分正解で半分間違っていることに気付いた
三成さんは家康が会津討伐に乗り出すのを知っていた
そして会津に向け出発するであろう家康を、その背後から突くつもりだったのだ
三成さんは家康の、会津討伐を利用しただけではないだろうか
とすれば、景勝にとっては「別に三成と共謀した覚えはないのに、共犯扱いされるのは心外だ」となる
そうなると、長谷堂での一件も三成さんとは一切関係ない話であろう
景勝にとっては「自分は関ヶ原開戦のため利用された」だけなのだから
三成さんの強かさが伺える
■■■秀吉の未亡人・おねは、東軍(家康)ではなく西軍(三成さん)に肩入れしていた■■■
通説ではおねさんは、豊臣の将来も考えて家康と結託していた。とされている
そうすると三成さんは茶々(淀殿)と内通していたと言うことになるが、もし現実に茶々が三成さんと内通していたのなら、何故関ヶ原の後豊臣には何のお咎めもなかったのだろうか
そして「おねは東軍派」と言うことを未だ本にする歴史研究家達は、この、あまりにも単純な疑問を解決できないのだろうか
わたしも感じていた疑問を、この本は見事晴らしてくれた
本書第一章3項目目にその答えが書かれている
『北政所の真意は通説どおりか?』と、『西軍に心を寄せていた北政所』である
『北政所の真意は通説どおりか?』には、「秀吉の遺児秀頼には「まんかかさま」と慕われており、彼女自身も秀頼を可愛がっていたという」と、しっかり書かれている
通説での、「淀殿に嫉妬した北政所が家康と内通して東軍に味方し、小早川秀秋が寝返った」と言うのが、全くの出鱈目である可能性も浮かび上がる
当時の北政所は、秀吉亡き後もそのカリスマ性を失っては居なかった
大勢の民の支持を受けているのだ
政治の舞台には上がらなくとも、彼女には相当の権力がその手にあったと想像される
一括りに「大阪では」と発言するのはあまりにも幼稚だろうが、北政所の人気は400年を経った今でも根強い
天下の御台所様である
この大阪の発展に大きく貢献した人物であり、実際大阪で生まれ育ったわたしは子供の頃から「北政所はすごい女性だった」と聞かされている
その彼女が、自ら破滅の道を辿るだろうか
おねさんはその周囲からも「秀吉には過ぎたる女房」との評価がある
そんな女性が、一時の感情で動かされるだろうか
先見の明のある女性が、家康の危険性を見抜けなかったとは思えない
『西軍に心を寄せていた北政所』では、今までの通説を全て覆せるようなことが書かれている
通説だとおねさんは「世話になった家康に恩返しするためにも、あなたは東軍に着くべきです」と秀秋を説得させたとある
が、わたしはこれをどうしても信じることができなかった
そしてこれが、おねさんの影響力を考え、徳川がでっち上げた虚像であることを知った
その理由として、おねさんの実家である木下家(木下家定・おねさんの実兄)から、7人の内6人の息子が全員西軍として戦っているのだ
残った一人は、秀吉によってその人生の大半をメチャクチャにされた、小早川の養子・秀秋である
実子のいなかった秀吉の勝手で養子にされ、邪魔になったらなったで小早川に養子に出され、挙句の果ては朝鮮での失態を攻められ追放されてしまったのだ
これは秀秋でなくとも腹が立つ
そんな秀秋を助けたのが人情家・家康である
家康はとにかく人助けが大好きなおっさんであった
秀秋は初め自分を助けてくれた家康の味方をしたかった
だが、豊臣の出と言う立場が邪魔をして、中々家康に近付くことができない
増してや西軍には、子供の頃から自分を可愛がってくれたおねさんが居る
どちらに味方すれば良いのか
どれだけ家康に恩義を感じていても、周囲は『秀秋は豊臣家の人間だから』と言う目で見られ、敵視されている
ここで是非ともこの文章を紹介したい
「北政所の側近である孝蔵主は、巷間、北政所の命で加藤清正や福島正則らに家康につくよう支持したとされる人物であるが、孝蔵主の弟の子、つまり孝蔵主が親代わりを務めた甥たちもすべて西軍につき、自らの末弟も西軍として家康を相手に戦っている」(本書より)
最近新たに購入した本にも、「北政所を孝蔵主は東軍を支持していた」と書かれていた
これだけの事実を突きつけられても、未だ通説や歪曲されたまがい話を信じて本にするおバカさんが多い中で、この本の秀逸さをどう表現すれば良いのかわからない
そして、おねさんが西軍派であることを明らかにしているのが、宇喜多秀家が豊国社(秀吉の墓がある場所)で行なった関ヶ原の戦勝祈願に名代を出席させていることや、毛利輝元が行なった戦勝祈願におねさん自身が出席していることを『舜旧記』という書物にしっかり残されているのだそうだ
次々と、三成さんの汚名をこの本は晴らしてくれている
戦下手ではなかったこと、秀吉から与えられた権力を振りかざしていたわけではなかったこと、おねさんが西軍を味方していたこと
まぁ、多少は性格の悪さもあっただろうが、大大名の家康相手に戦を起せるだけの力を持っていたのだ
悪意を持って事実を歪められ、その実像の全てを握り潰されたとしても、それでも今も三成さんを慕う人間は多く、今もその人数は増え続けている
三成さんの最大の不幸は、やはり清廉潔白なその性格ではなかろうか
その時代に置いて、現代に置いても真っ直ぐすぎた
豊臣を思いすぎた
愛されすぎ、そして、憎まれすぎた
全国の大名を駆り出した関ヶ原は、秀秋の寝返りであっけなく幕を閉じた
だが、これだけの規模の戦を起した武将が、今まで居ただろうか
謙信・信玄の時代も、信長の時代になっても、秀吉の時代、そして家康に天下が渡った時代でも、この日の本の国全体が戦場になった戦はない
源平の時代に置いても同じ
戦国時代のきっかけとなった応仁の乱も、それよりずっと以前の壬申の乱でも、舞台は西日本に傾倒している
南は九州、東は奥州まで
三成さんの挙手で起きた、歴史上最大の関ヶ原合戦は三成さんの斬首で幕を閉じた
そして400年を経った今、三成さんの正しい姿は未だ広められては居ない
わたしはこの本に出逢えてよかったと、今も思っている
これ以上の本にはもう出逢えないんじゃないかとさえ、思っている
この著者には是非とも、三成さん本の第二弾を手懸けていただきたい
敗者から見た関ヶ原合戦
それは三成さんの人物像や性格を伝えるものではなく、純粋に三成さんの生き方、考え方、行動を伝えている
わたしにはそれだけでも、大収穫なのである
性格や人格なんか二の次
人間どこか欠点はあるものだ
それを毛嫌いして人は先入観で物事を図る
そのため、三成さんの人物像や人柄が上手く伝わらないのが今の日本である
1の真実より99の偽りを信じる
多数派に頼ってしまうのが人間であり、原点でもある
三成さんは、数に頼った戦をしようとはしていない
数よりも知能で戦おうとしていた
三成さんの負けた原因
わたしは数ではなく、経験ではないだろうかと考えた
家康でなかったら
戦う相手が清正や正則だったなら、三成さんの圧倒的勝利で終わっていただろう関ヶ原
戦った相手が家康だからこそ、三成さんは敗戦の将となってしまった
運が悪かったと言えばそれまでだが、運を味方に付けれる力を、残念なことに三成さんは持ってなかった
何故なら三成さんは、運ではなく実力であれだけの地位を築いた人だから
だからきっと、天任せな行動は取れなかったのだろうし、考えもしなかったのだろう
真っ直ぐすぎる性格が災いした幕引きだと、わたしは思った
そして、三成さんを知れてよかったと思った
今では嫌いだった家康も、少しは認めることができたから
認めるとは、好きになるということではない
今も大嫌いで一生ゴキブリに生まれ変わって人から忌み嫌われる存在であり続けろとも思っている
家康の『認める』部分は、非道な心の中に少しは温かみのある人間だったことを認めると言う意味である
信長によって滅亡に追いやられた武田の旧家臣団を救済したり、秀秋に救いの手を差し伸べたり、三成さんの遺児の全員を見逃したりと、温情がある
それ以上に非情な部分があるから好きになれないだけで、家康の狡猾さはどうしても嫌悪する
わたしは三成さんの縁者でもなんでもない、全くの赤の他人だが、三成さんとの共通点を見付けた
それは
自分の非は絶対に認めない
という点だ(汗
わたしはどうも、選ぶ本の基準が間違っているようだ
「これが読みたかった!」と言うものに、中々遭遇できない
消化不良を抱えたまま8月を迎え、『三成さんを知りたい欲求』は益々高くなるばかり
そんな中で見付けたのが、この2冊
■■■武士道とエロス■■■ 定価¥756
値段は手頃だが文章が難しすぎる
しかも、知りたかったのは戦国時代の『衆道』についてなのに、江戸時代のことばかり書かれている
江戸時代は衆道が廃れ始めた時期で、戦国時代が最も衆道文化華やかな頃なのに、戦国時代の衆道話は掠る程度の内容だった
ここで三成さんの愛人兼小姓の名前が浮かんだりしているが、今となってはどうでもいい話になってしまった
要するに三成さんは『両刀』だったと言うことだ
周囲が言うほど不器用ではなく、寧ろ器用な人間だったように思える
これが戦国時代にのみ焦点を置いた本だったら、もっと楽しく読めたのに・・と残念な気持ちになった
特に重要な本ではないので、いつかブックオフで売っ払おうと考えている
わたしが衆道に関する本を探した理由は、三成さんの容姿が知りたかったからである
『石田三成』では初め、色白な美少年として描かれていたのが、いつの間にかそう言った記述が見えなくなり、秀吉が側に石田三成が居ながら謁見した直江兼続の男前ぶりに驚いたと言う内容のことが書かれていて、わたしの中で戦国の男前と言えば三成さんか直政だけという誇大妄想が膨れ上がっていたので、どうしても三成さんが男前だったと言う確証が欲しかったのだ
衆道、小姓と言えば、相手は当然女に見紛うほどか、それと同等の男前が条件の一つだった
ネット検索で三成さんが秀吉の色小姓(夜の相手をする小姓)だったと言う内容の物を見付け、それが事実かどうか知りたかったのだが
色小姓と言えば、やはり絶世の美少年だったんだろうと想像できるので
この『武士道とエロス』と同じ日にアマゾンで注文した本がある
■■■BL新日本史■■■ 定価¥1.260
買って損したなー・・
この本は太古の神様達の時代から明治の頃までの衆道について、そのエピソードを紹介した本である
ヤマタノオロチ退治で有名なヤマトタケルノミコトが悪党退治に自分のケツの穴を差し出したってのも面白いが、「えっ?!あんな人までッ?!」と言うことも書かれていて、それが一例として上杉謙信と直江兼続の肉体関係についてであった
詳しく書かれていないので、この本は通説や風説を鵜呑みにして本にしたのだろう
とあるサイトでは謙信と兼続の間には肉体関係は成立していないとあったし(出展を忘れたので、思い過ごしかも知れないが)、では兼続は謙信の養子・景勝と肉体関係にあったのかと言われれば、景勝にはちゃんとお気に入りの小姓が居て、兼続は範疇になかったそうだ
この本では「ほっそりした美青年が謙信の好みだった」と書いている
書いているにも関わらず、兼続が謙信の関係相手だったと
それはどうかと思うのは、兼続がガチガチの体育会系の体格で、いわば前田利家に通じる肉体の持ち主だからだ
兼続を華奢な美青年と書いている記述をわたしは未だ、見たことがない
逆に「体格のしっかりした美青年」と書かれている記述は、よく見掛ける
このように、この本はあからさまにわたしのような教養のないおバカな衆道狂い(衆道には狂ってないが・・)をターゲットとし、「ゲイネタでも書けば売れるだろう」と、確かな検証もないまま文章を金に換えた最悪な一冊であると断言する
検証がないのに〜と雑言する理由は、ここでも石田三成のことが書かれていた
わたしとしてはそれが狙いなので、書かれていること自体は嬉しいが、内容が宛はずれなものだったからだ
ここでの三成さんの相手は秀吉
まぁ、主従関係にあるのだから、それも悪くはないだろう
しかし、三成さんの人物像にも触れているが、この著者は『大した武功もないのに秀吉に寵愛されただけで権力を傘に着る秘書兼愛人である』と明言に及んでいる辺りで失望させられた
『秘書兼愛人』はどうかと思う
そして、『大した武功もない』と、徳川幕府が悪意を持って捏造した『偽三成像』をそのまま採用して書いていることである
いつになれば正しい三成像が世間の常識になるのか
それはきっと平成の世が終わり、わたしがババァになる頃にもまだ、通説が定説のままにされているのだろうな・・と感じる
この著者はきっと、「北政所は家康に味方した」と言う、間違った通説を死ぬまで信じている似非歴史研究家にも通じるところがあるのだろうな
買って損したとは思わないが、かと言って買って良かったかの言われれば、「そうでもない」とわたしは即答するだろう
ぶっちゃけこれより良質な衆道本はあると思うので、そちらを探してみてはいかがだろう
わたしはこれは、お勧めできない
値段が500円くらいなら、ネタ話としてお買い得な本かも知れないが
「これが読みたかった!」と言うものに、中々遭遇できない
消化不良を抱えたまま8月を迎え、『三成さんを知りたい欲求』は益々高くなるばかり
そんな中で見付けたのが、この2冊

値段は手頃だが文章が難しすぎる
しかも、知りたかったのは戦国時代の『衆道』についてなのに、江戸時代のことばかり書かれている
江戸時代は衆道が廃れ始めた時期で、戦国時代が最も衆道文化華やかな頃なのに、戦国時代の衆道話は掠る程度の内容だった
ここで三成さんの愛人兼小姓の名前が浮かんだりしているが、今となってはどうでもいい話になってしまった
要するに三成さんは『両刀』だったと言うことだ
周囲が言うほど不器用ではなく、寧ろ器用な人間だったように思える
これが戦国時代にのみ焦点を置いた本だったら、もっと楽しく読めたのに・・と残念な気持ちになった
特に重要な本ではないので、いつかブックオフで売っ払おうと考えている
わたしが衆道に関する本を探した理由は、三成さんの容姿が知りたかったからである
『石田三成』では初め、色白な美少年として描かれていたのが、いつの間にかそう言った記述が見えなくなり、秀吉が側に石田三成が居ながら謁見した直江兼続の男前ぶりに驚いたと言う内容のことが書かれていて、わたしの中で戦国の男前と言えば三成さんか直政だけという誇大妄想が膨れ上がっていたので、どうしても三成さんが男前だったと言う確証が欲しかったのだ
衆道、小姓と言えば、相手は当然女に見紛うほどか、それと同等の男前が条件の一つだった
ネット検索で三成さんが秀吉の色小姓(夜の相手をする小姓)だったと言う内容の物を見付け、それが事実かどうか知りたかったのだが
色小姓と言えば、やはり絶世の美少年だったんだろうと想像できるので
この『武士道とエロス』と同じ日にアマゾンで注文した本がある

買って損したなー・・
この本は太古の神様達の時代から明治の頃までの衆道について、そのエピソードを紹介した本である
ヤマタノオロチ退治で有名なヤマトタケルノミコトが悪党退治に自分のケツの穴を差し出したってのも面白いが、「えっ?!あんな人までッ?!」と言うことも書かれていて、それが一例として上杉謙信と直江兼続の肉体関係についてであった
詳しく書かれていないので、この本は通説や風説を鵜呑みにして本にしたのだろう
とあるサイトでは謙信と兼続の間には肉体関係は成立していないとあったし(出展を忘れたので、思い過ごしかも知れないが)、では兼続は謙信の養子・景勝と肉体関係にあったのかと言われれば、景勝にはちゃんとお気に入りの小姓が居て、兼続は範疇になかったそうだ
この本では「ほっそりした美青年が謙信の好みだった」と書いている
書いているにも関わらず、兼続が謙信の関係相手だったと
それはどうかと思うのは、兼続がガチガチの体育会系の体格で、いわば前田利家に通じる肉体の持ち主だからだ
兼続を華奢な美青年と書いている記述をわたしは未だ、見たことがない
逆に「体格のしっかりした美青年」と書かれている記述は、よく見掛ける
このように、この本はあからさまにわたしのような教養のないおバカな衆道狂い(衆道には狂ってないが・・)をターゲットとし、「ゲイネタでも書けば売れるだろう」と、確かな検証もないまま文章を金に換えた最悪な一冊であると断言する
検証がないのに〜と雑言する理由は、ここでも石田三成のことが書かれていた
わたしとしてはそれが狙いなので、書かれていること自体は嬉しいが、内容が宛はずれなものだったからだ
ここでの三成さんの相手は秀吉
まぁ、主従関係にあるのだから、それも悪くはないだろう
しかし、三成さんの人物像にも触れているが、この著者は『大した武功もないのに秀吉に寵愛されただけで権力を傘に着る秘書兼愛人である』と明言に及んでいる辺りで失望させられた
『秘書兼愛人』はどうかと思う
そして、『大した武功もない』と、徳川幕府が悪意を持って捏造した『偽三成像』をそのまま採用して書いていることである
いつになれば正しい三成像が世間の常識になるのか
それはきっと平成の世が終わり、わたしがババァになる頃にもまだ、通説が定説のままにされているのだろうな・・と感じる
この著者はきっと、「北政所は家康に味方した」と言う、間違った通説を死ぬまで信じている似非歴史研究家にも通じるところがあるのだろうな
買って損したとは思わないが、かと言って買って良かったかの言われれば、「そうでもない」とわたしは即答するだろう
ぶっちゃけこれより良質な衆道本はあると思うので、そちらを探してみてはいかがだろう
わたしはこれは、お勧めできない
値段が500円くらいなら、ネタ話としてお買い得な本かも知れないが
わたしは歴史上の人物、石田三成のにわかファンである
にわかファンと言うのはゲームから石田三成のファンになったので、それ以前から石田三成のファンである方々に失礼だと思い、自分を常に「にわかファン」と呼んでいる
石田三成は学校の授業でも習ったし、歴史ドラマでも秀吉が出れば必ず石田三成も登場する
それほど、『石田三成』と言う人物は、秀吉を語る上でなくてはならない存在のようだった
だが、ドラマで演じられる石田三成は『腹黒く、いつも悪いことを企て、他人を上から見下ろしたような居丈高な人物』として描かれていた
その影響からわたしは、石田三成という人物が好きにはなれなかった
一番の理由は、NHK大河ドラマ『秀吉』に登場した、真田なんとかと言う、『ラストサムライ』にも出て一躍有名になった俳優が演じた石田三成が、見ているだけで気持ち悪く、どうしても毛嫌いする傾倒にあった
あれが他の俳優さんだったら、もう少し印象も違っていたのだろうが、わたしはどうも真田なんとかさんと言う俳優の顔が嫌いらしい
顔を思い浮かべるだけで吐き気がするのだから、好き嫌い云々の前に生理的に受け付けないようだ
そんな悪印象しかなかった石田三成にはまったきっかけは、人様から借りたPS2ゲームソフト『無双OROCHI』であった
無双は『真・三國無双』でお馴染みだったため、戦国時代の武将達がこぞって現れたこのOROCHIもゲームシステムそのものには違和感なく入れた
なんせソフトのDVDしか借りてなかったので、取説がないから操作なんて全然知らないままプレイを始めるしかなかった
だが、ゲームシステムはかなり進化していて、プレイしていて爽快感が溢れて楽しかった
元々は『真・三國無双』がコーエーソフトとの出会いなので、三國のキャラクター達への愛着はあっても、戦国のキャラクター達への愛着はなかった
なかったのに今は毎日最低1時間は戦国をプレイしているまで好きになった
その理由は、『石田三成が好きになったから』と言うありふれたものでほんと、すみません
OROCHIの時点では、それほど気に入ったキャラクターは戦国には居なかった
OROCHIでプレイするキャラクターも、結構偏っていた
その中で直江兼続(以下・ナオ)が扱いやすく、また、武器の強化でかなり強くなるので操作性の良さも手伝ってずっとナオでプレイするようになった
だがOROCHIは強制的に3人のPCを選ばなくてはならない
その時は三国シリーズのキャラクターを入れていたが、パソコンでOROCHIを調べていると『義レンジャイ』と言うビデオを見付けた
そこからが、石田三成にはまる道筋となった
石田三成は、名前はもちろん知っていた
小悪党であると言う認識もあった
キャラクターの武器をゲットすることで、おまけについている壁紙(ゲーム画面で好きな画像を設定できるシステム)も4枚全部見た
それでも、石田三成を気に入ることはなかったが、これもやはり操作性の良さ、また、武器の属性カスタム如何によって呂布をも凌ぐ最強キャラとなったのが殿こと、石田三成であった
C4一発で、敵武将を瞬殺してしまったのだから
その時のゲームレベルは『難しい』なので、他のアクションゲームで言えば『普通』の若干上と言ったところか
それでもアクション下手なわたしにしてみれば『すごいぞ、石田三成!』である
OROCHIだけでは満足できなくなったわたしは、本作・戦国無双2を購入することにした
それで初めてプレイしたのは、主人公扱いのゆっちーこと真田幸村
幸村のシナリオをクリアすると、出て来たのがナオ
そして、ナオの勝利画面に一目惚れをする
OROCHIではそれほど印象にも残らなかったナオに惚れ、以後、ナオばかりプレイする毎日が続いた
お陰でその当時運営していたブログにまでナオやゲーム画面を貼り付け、それが訪問客の意向を無視して半閉鎖状態に陥ったのだから、それまでわたしが趣味にしていた海外男性モデルへのモデル離れの要因を作ったのは、戦国無双2の直江兼続の野郎である
これは嬉しい誤算なのだが、想定外の誤算もあった
ナオをプレイしているとわかるが、謙信が死去した後のナオは、それまで戦解説男だったのが突然、『三成バカ』になってしまったのだ
ことあるごとに『三成』『三成』とうるさい上に、殿が登場する
実質殿が登場するのは小田原城攻略(西)だけなのだが、ナオのセリフの上で『三成』と言う言葉がどれだけ出て来るか・・・
『謙信公』『謙信公』とうるさかったナオが、今度は『三成が』『三成が』うるさいのだ
ナオのシナリオでNPCで登場する殿を支援している内に、殿をプレイしてみようかと言う気にもなった
『石田三成』は初期からプレイ可能であり、わたしはナオの次に殿を動かしてみた
惚れた
グラフィックはそれほど綺麗でもない
ムービーも、なんとなく奈美悦子に似ている
どこに惚れる要因があるのか自分でもわからないが、とにかく殿に惚れた
それがきっかけとなり、わたしは史実の石田三成をよく知りたいと言う欲求に駆られ、石田三成が登場する書籍を買い漁るようになった
数はそれほどでもないが、ネットで検索しているとNHKの番組で『その時歴史が動いた』に石田三成を扱ったことがあったことを知り、なんとかDVDを手に入れることはできないかと探してみたが、DVDはない代わりにコミックが存在した
■■■その時歴史が動いた・コミック版■■■ 定価各¥920
920円の価値なし
NHK監修のコミックだが、実際描かれていることは史実とは全く異なる内容だった
江戸幕府中期、民衆の幕府離れをなんとかしようと考えたのかどうなのかわからないが、悪意ある歴史研究家の描いた『諸悪の根源・石田三成像』が採用されているのだ
確かに三成さんには輝かしい戦歴はないかも知れない
だが、忘れて欲しくないのは、三成さんの経歴、戦歴、成果など、歴史上最も重要となる書簡を家康が全て抹殺してしまったと言うことである
三成さんは歴史上から抹消されているのだ
いつどんな戦に出て、どんな戦果を上げたのかわからない状態なのだ
実際は戦に出ていたのかも知れない
それを匂わせるのが、晩年の秀吉が起した朝鮮征伐と言われる戦だ
初めは快進撃を続ける豊臣軍(日本軍)も、日が経つにつれ脚が進まなくなった
そこへ軍監として派遣された三成さんが陣頭指揮を取り、見事進行に成功していると言うのだ
戦下手な官僚が、初めて訪れた朝鮮(今で言う韓国ではないかと思われる)で指揮を取り、成功しているのだ
これは逆に『三成は戦上手』と言うことになると思うのだが、この辺りのことはまた追々文章にしたいと思っている
とにかく、NHK監修であるこのコミック版・その時歴史が動いたの内容があまりにも悲惨で、苦情のメールをNHKに送ったほどだった
だがNHKからの返事は、『我関せず。文句は発行元に言ってくれ』だった
なんか違うんじゃないか?
何のための監修なんだ
ここでわたしはNHKの営業姿勢に疑問を抱き、以降『その時歴史が動いた』は見ていない
信憑性に欠けると判断したからだ
『その時歴史が動いた』は三成さんのことを書いている戦国立志編の他、逆転の戦国編、策士・軍師編も合わせて購入したが、知っている人物を描いている内容がやはり、史実とは異なる部分が目立ち、これほど信用のできない本はないと実感した
新品同様のこの本3冊をどうしようか、考えあぐねている
これを購入したのが今年の7月
これだけでは満足できず、わたしは他に三成さんを扱った本はないかと探した
そこで見付けたのが、世間では『三成びいき』で有名な司馬遼太郎の『関ヶ原』である
■■■関ヶ原(上・中・下)■■■ 定価各¥740
740円の価値なし
読んでいると、主人公は石田三成なのか島左近なのかわからない内容であった
石田三成は石田三成で若い女(愛人)と合体ばかりしているし、島左近は島左近で女のま○こばかり弄ってるエロジジィで、どうしようもねーなこのふたりは!(怒)と言う感じである
実際の三成さんは、この頃家康に追い詰められて進退が危うい時期なので、女と合体してる場合じゃないんじゃないか?というくらい、多忙なはずだ
増してや物語が始まる頃はまだ秀吉の朝鮮出兵中で、この時の三成さんは京都(秀吉の看病)に行ったり大阪に行ったり博多に滞在したりと、子供作る作業もままならないほど忙しいはず
読む気が失せたのは上巻の半分くらいを読み終えた辺り
子供5人も生ませた奥さんの存在をないがしろにして、男の欲望である『若い女の体を堪能しまくりの中年エロジジィ』を余すことなく表現したこの『関ヶ原』は、欲求不満が溜った年代の人間には格好のオナニーネタにはなるだろうが、正しい石田三成を知ることができるかどうかは、はなはだ危なっかしい
当時子供ひとり生むのに、女性は命懸けだったのだ
子供を生んだことで命を落とした女性も少なくない
そんな時代にあって、子供を5人生むのは大変なことなのだ
近江の雄・浅井長政とお市様との間にも子供が5人居るが、これは長政とお市様の間がどれだけ仲睦まじいものだったのかを良く表している
と言うことは、三成さんと奥さんの間も、睦まじいものだったと推測される
所詮、酸いも甘いも知る死に掛けの老人が書く小説は、どうしてもネームバリューを傘に着た『官能小説』の域を超えないのが悲しい現実
これを石田三成を題材にした小説とは思いたくない
どうせ買うなら、池波正太郎の『真田太平記』にすれば良かったと、今も後悔している
■■■石田三成■■■ 定価¥770
微妙な値段
三成さんの史実をまとめた本かと思っていた
書き方も箇条書き風で、初めはそれを信用して読んでいた
ところが、本の中身の三成さんが、あまりにも清廉潔白で聖人君子のように描かれている
それが逆に違和感を感じることとなった
『関ヶ原』では、若い女に入れ込む中年エロジジィ
こちらでは生涯、正室だけを愛する愛妻家
どっちが正しいの??と言うことになる
『石田三成』は最近になって急に人気が出始めた石田三成を聖人化させた内容であった
三成さんの経歴や足跡を辿った作りにはなっているが、実際では極めて仲が悪かった黒田官兵衛を登場人物に組み込み、深く関わったように書かれている
史実の方では官兵衛の「頭でっかちの小僧がぁ!」(現代風意訳)に対し、三成さんは「死に損ないの老いぼれがぁ!」(現代風意訳)と言い返すほどの罵り合いを展開する間柄だったそうな
笑うわぁ〜・・
この本で三成さんは荷駄隊と言う、戦にとって地味だけど重要な任務を任されているが、史実ではこの荷駄隊を任されていたのはどうやら三成さんではなく、大谷(大谷吉継)らしい
この辺りの史実も、いつか確証に持って行きたいと思っている
とにかく昨今の三成人気に肖った創作小説のようで、純粋に『美しい日本人・三成さん』を堪能できる秀逸な作品とは言えるが、これも『関ヶ原』同様、史実を基礎にした創作物であると言うことを念頭に入れておかないと、ただの『三成バカ』に成り下がるだけなのでご注意を
『関ヶ原』『石田三成』と創作物にぶち当たり、消化不良のまま8月を迎えるがそれ以前にも消化不良なことはあった
殿にはまった初め、迷いに迷って購入した本がある
歴史書ではない
コーエー発行の『戦国無双2キャラクターズ真書』が、本を買い漁る初めであった
表紙の殿の画像が欲しくて、買った
ただそれだけのことだったけど、キャラクター本なので当然、そのキャラクターのことも書かれている
殿こと石田三成のことも書かれていた
最後のほうには関ヶ原のことも書かれていた
それがどうにも切ない内容というか、今にしてみれば「やっぱり1〜2年前の本だから」と言う、覆された史実も織り込まれていて、これが消化不良の発端であった
殿に惚れ込んだと言うのもあって、次に買ったのが『戦国無双2公式設定資料集』
■■■戦国無双2キャラクターズ真書■■■ 定価¥1.260
買って良かったかどうか、今も謎のままの一冊である
■■■戦国無双2公式設定資料集■■■ 定価¥1.575
こちらは今も重宝している
ただ、若干史実と違う部分も目立つ
にわか三成さんファンなので、多少は三成さんのことも調べた
ここでは三成さんは幼少時代を大坂城で過ごしたとあるが、実際過ごしたのは長浜城である
大坂城の築城年は1583年
三成さんは1560年生まれ
普通に計算しても三成さんが23の時に大坂城は完成している
完成に3年が掛かっているので、三成さんが20才の時に着工しているとしても、20歳を『幼年期』と呼べるのだろうか
やはり歴史から抹消された人間の悲しい運命が、ここでも如実に現れている
三成さんほど有名で、だけどその実態が正しく伝えられていない人間も居ないだろう
にわかファンと言うのはゲームから石田三成のファンになったので、それ以前から石田三成のファンである方々に失礼だと思い、自分を常に「にわかファン」と呼んでいる
石田三成は学校の授業でも習ったし、歴史ドラマでも秀吉が出れば必ず石田三成も登場する
それほど、『石田三成』と言う人物は、秀吉を語る上でなくてはならない存在のようだった
だが、ドラマで演じられる石田三成は『腹黒く、いつも悪いことを企て、他人を上から見下ろしたような居丈高な人物』として描かれていた
その影響からわたしは、石田三成という人物が好きにはなれなかった
一番の理由は、NHK大河ドラマ『秀吉』に登場した、真田なんとかと言う、『ラストサムライ』にも出て一躍有名になった俳優が演じた石田三成が、見ているだけで気持ち悪く、どうしても毛嫌いする傾倒にあった
あれが他の俳優さんだったら、もう少し印象も違っていたのだろうが、わたしはどうも真田なんとかさんと言う俳優の顔が嫌いらしい
顔を思い浮かべるだけで吐き気がするのだから、好き嫌い云々の前に生理的に受け付けないようだ
そんな悪印象しかなかった石田三成にはまったきっかけは、人様から借りたPS2ゲームソフト『無双OROCHI』であった
無双は『真・三國無双』でお馴染みだったため、戦国時代の武将達がこぞって現れたこのOROCHIもゲームシステムそのものには違和感なく入れた
なんせソフトのDVDしか借りてなかったので、取説がないから操作なんて全然知らないままプレイを始めるしかなかった
だが、ゲームシステムはかなり進化していて、プレイしていて爽快感が溢れて楽しかった
元々は『真・三國無双』がコーエーソフトとの出会いなので、三國のキャラクター達への愛着はあっても、戦国のキャラクター達への愛着はなかった
なかったのに今は毎日最低1時間は戦国をプレイしているまで好きになった
その理由は、『石田三成が好きになったから』と言うありふれたものでほんと、すみません
OROCHIの時点では、それほど気に入ったキャラクターは戦国には居なかった
OROCHIでプレイするキャラクターも、結構偏っていた
その中で直江兼続(以下・ナオ)が扱いやすく、また、武器の強化でかなり強くなるので操作性の良さも手伝ってずっとナオでプレイするようになった
だがOROCHIは強制的に3人のPCを選ばなくてはならない
その時は三国シリーズのキャラクターを入れていたが、パソコンでOROCHIを調べていると『義レンジャイ』と言うビデオを見付けた
そこからが、石田三成にはまる道筋となった
石田三成は、名前はもちろん知っていた
小悪党であると言う認識もあった
キャラクターの武器をゲットすることで、おまけについている壁紙(ゲーム画面で好きな画像を設定できるシステム)も4枚全部見た
それでも、石田三成を気に入ることはなかったが、これもやはり操作性の良さ、また、武器の属性カスタム如何によって呂布をも凌ぐ最強キャラとなったのが殿こと、石田三成であった
C4一発で、敵武将を瞬殺してしまったのだから
その時のゲームレベルは『難しい』なので、他のアクションゲームで言えば『普通』の若干上と言ったところか
それでもアクション下手なわたしにしてみれば『すごいぞ、石田三成!』である
OROCHIだけでは満足できなくなったわたしは、本作・戦国無双2を購入することにした
それで初めてプレイしたのは、主人公扱いのゆっちーこと真田幸村
幸村のシナリオをクリアすると、出て来たのがナオ
そして、ナオの勝利画面に一目惚れをする
OROCHIではそれほど印象にも残らなかったナオに惚れ、以後、ナオばかりプレイする毎日が続いた
お陰でその当時運営していたブログにまでナオやゲーム画面を貼り付け、それが訪問客の意向を無視して半閉鎖状態に陥ったのだから、それまでわたしが趣味にしていた海外男性モデルへのモデル離れの要因を作ったのは、戦国無双2の直江兼続の野郎である
これは嬉しい誤算なのだが、想定外の誤算もあった
ナオをプレイしているとわかるが、謙信が死去した後のナオは、それまで戦解説男だったのが突然、『三成バカ』になってしまったのだ
ことあるごとに『三成』『三成』とうるさい上に、殿が登場する
実質殿が登場するのは小田原城攻略(西)だけなのだが、ナオのセリフの上で『三成』と言う言葉がどれだけ出て来るか・・・
『謙信公』『謙信公』とうるさかったナオが、今度は『三成が』『三成が』うるさいのだ
ナオのシナリオでNPCで登場する殿を支援している内に、殿をプレイしてみようかと言う気にもなった
『石田三成』は初期からプレイ可能であり、わたしはナオの次に殿を動かしてみた
惚れた
グラフィックはそれほど綺麗でもない
ムービーも、なんとなく奈美悦子に似ている
どこに惚れる要因があるのか自分でもわからないが、とにかく殿に惚れた
それがきっかけとなり、わたしは史実の石田三成をよく知りたいと言う欲求に駆られ、石田三成が登場する書籍を買い漁るようになった
数はそれほどでもないが、ネットで検索しているとNHKの番組で『その時歴史が動いた』に石田三成を扱ったことがあったことを知り、なんとかDVDを手に入れることはできないかと探してみたが、DVDはない代わりにコミックが存在した
■■■その時歴史が動いた・コミック版■■■ 定価各¥920
920円の価値なし
NHK監修のコミックだが、実際描かれていることは史実とは全く異なる内容だった
江戸幕府中期、民衆の幕府離れをなんとかしようと考えたのかどうなのかわからないが、悪意ある歴史研究家の描いた『諸悪の根源・石田三成像』が採用されているのだ
確かに三成さんには輝かしい戦歴はないかも知れない
だが、忘れて欲しくないのは、三成さんの経歴、戦歴、成果など、歴史上最も重要となる書簡を家康が全て抹殺してしまったと言うことである
三成さんは歴史上から抹消されているのだ
いつどんな戦に出て、どんな戦果を上げたのかわからない状態なのだ
実際は戦に出ていたのかも知れない
それを匂わせるのが、晩年の秀吉が起した朝鮮征伐と言われる戦だ
初めは快進撃を続ける豊臣軍(日本軍)も、日が経つにつれ脚が進まなくなった
そこへ軍監として派遣された三成さんが陣頭指揮を取り、見事進行に成功していると言うのだ
戦下手な官僚が、初めて訪れた朝鮮(今で言う韓国ではないかと思われる)で指揮を取り、成功しているのだ
これは逆に『三成は戦上手』と言うことになると思うのだが、この辺りのことはまた追々文章にしたいと思っている
とにかく、NHK監修であるこのコミック版・その時歴史が動いたの内容があまりにも悲惨で、苦情のメールをNHKに送ったほどだった
だがNHKからの返事は、『我関せず。文句は発行元に言ってくれ』だった
なんか違うんじゃないか?
何のための監修なんだ
ここでわたしはNHKの営業姿勢に疑問を抱き、以降『その時歴史が動いた』は見ていない
信憑性に欠けると判断したからだ
『その時歴史が動いた』は三成さんのことを書いている戦国立志編の他、逆転の戦国編、策士・軍師編も合わせて購入したが、知っている人物を描いている内容がやはり、史実とは異なる部分が目立ち、これほど信用のできない本はないと実感した
新品同様のこの本3冊をどうしようか、考えあぐねている
これを購入したのが今年の7月
これだけでは満足できず、わたしは他に三成さんを扱った本はないかと探した
そこで見付けたのが、世間では『三成びいき』で有名な司馬遼太郎の『関ヶ原』である

740円の価値なし
読んでいると、主人公は石田三成なのか島左近なのかわからない内容であった
石田三成は石田三成で若い女(愛人)と合体ばかりしているし、島左近は島左近で女のま○こばかり弄ってるエロジジィで、どうしようもねーなこのふたりは!(怒)と言う感じである
実際の三成さんは、この頃家康に追い詰められて進退が危うい時期なので、女と合体してる場合じゃないんじゃないか?というくらい、多忙なはずだ
増してや物語が始まる頃はまだ秀吉の朝鮮出兵中で、この時の三成さんは京都(秀吉の看病)に行ったり大阪に行ったり博多に滞在したりと、子供作る作業もままならないほど忙しいはず
読む気が失せたのは上巻の半分くらいを読み終えた辺り
子供5人も生ませた奥さんの存在をないがしろにして、男の欲望である『若い女の体を堪能しまくりの中年エロジジィ』を余すことなく表現したこの『関ヶ原』は、欲求不満が溜った年代の人間には格好のオナニーネタにはなるだろうが、正しい石田三成を知ることができるかどうかは、はなはだ危なっかしい
当時子供ひとり生むのに、女性は命懸けだったのだ
子供を生んだことで命を落とした女性も少なくない
そんな時代にあって、子供を5人生むのは大変なことなのだ
近江の雄・浅井長政とお市様との間にも子供が5人居るが、これは長政とお市様の間がどれだけ仲睦まじいものだったのかを良く表している
と言うことは、三成さんと奥さんの間も、睦まじいものだったと推測される
所詮、酸いも甘いも知る死に掛けの老人が書く小説は、どうしてもネームバリューを傘に着た『官能小説』の域を超えないのが悲しい現実
これを石田三成を題材にした小説とは思いたくない
どうせ買うなら、池波正太郎の『真田太平記』にすれば良かったと、今も後悔している

微妙な値段
三成さんの史実をまとめた本かと思っていた
書き方も箇条書き風で、初めはそれを信用して読んでいた
ところが、本の中身の三成さんが、あまりにも清廉潔白で聖人君子のように描かれている
それが逆に違和感を感じることとなった
『関ヶ原』では、若い女に入れ込む中年エロジジィ
こちらでは生涯、正室だけを愛する愛妻家
どっちが正しいの??と言うことになる
『石田三成』は最近になって急に人気が出始めた石田三成を聖人化させた内容であった
三成さんの経歴や足跡を辿った作りにはなっているが、実際では極めて仲が悪かった黒田官兵衛を登場人物に組み込み、深く関わったように書かれている
史実の方では官兵衛の「頭でっかちの小僧がぁ!」(現代風意訳)に対し、三成さんは「死に損ないの老いぼれがぁ!」(現代風意訳)と言い返すほどの罵り合いを展開する間柄だったそうな
笑うわぁ〜・・
この本で三成さんは荷駄隊と言う、戦にとって地味だけど重要な任務を任されているが、史実ではこの荷駄隊を任されていたのはどうやら三成さんではなく、大谷(大谷吉継)らしい
この辺りの史実も、いつか確証に持って行きたいと思っている
とにかく昨今の三成人気に肖った創作小説のようで、純粋に『美しい日本人・三成さん』を堪能できる秀逸な作品とは言えるが、これも『関ヶ原』同様、史実を基礎にした創作物であると言うことを念頭に入れておかないと、ただの『三成バカ』に成り下がるだけなのでご注意を
『関ヶ原』『石田三成』と創作物にぶち当たり、消化不良のまま8月を迎えるがそれ以前にも消化不良なことはあった
殿にはまった初め、迷いに迷って購入した本がある
歴史書ではない
コーエー発行の『戦国無双2キャラクターズ真書』が、本を買い漁る初めであった
表紙の殿の画像が欲しくて、買った
ただそれだけのことだったけど、キャラクター本なので当然、そのキャラクターのことも書かれている
殿こと石田三成のことも書かれていた
最後のほうには関ヶ原のことも書かれていた
それがどうにも切ない内容というか、今にしてみれば「やっぱり1〜2年前の本だから」と言う、覆された史実も織り込まれていて、これが消化不良の発端であった
殿に惚れ込んだと言うのもあって、次に買ったのが『戦国無双2公式設定資料集』
■■■戦国無双2キャラクターズ真書■■■ 定価¥1.260
買って良かったかどうか、今も謎のままの一冊である

こちらは今も重宝している
ただ、若干史実と違う部分も目立つ
にわか三成さんファンなので、多少は三成さんのことも調べた
ここでは三成さんは幼少時代を大坂城で過ごしたとあるが、実際過ごしたのは長浜城である
大坂城の築城年は1583年
三成さんは1560年生まれ
普通に計算しても三成さんが23の時に大坂城は完成している
完成に3年が掛かっているので、三成さんが20才の時に着工しているとしても、20歳を『幼年期』と呼べるのだろうか
やはり歴史から抹消された人間の悲しい運命が、ここでも如実に現れている
三成さんほど有名で、だけどその実態が正しく伝えられていない人間も居ないだろう
毎日、土日祝日以外はコーエーの公式サイトの更新をチェックするのが日課になりました
いつか出る(んじゃないかと思っている)戦国無双3の更新を楽しみにしています
実質出るとしても、更新なんて1年も先のことでしょうが、それでも今から毎日チェックして、訪れるXデーを心待ちにしている次第でございます
何に付けてももう、殿しか見えません
ゲームをプレイする時も、画面に殿が居ないと詰まらない
殿は戦国無双2の華だなぁ〜と、しみじみする
ゲームグラフィックは

不気味だけど
1600年10月1日
京都の六条川原でその首を落とされた三成さん
長浜では三成さんのお祭りがあるのかどうかわからないけど、今はちょっと体の調子が悪くてどこにもいけないわたしですが、いつかは行きたい
再び三成さんの生家へ
そんな思いを抱きつつ、今日もコーエーの公式サイトへ
更新しているのは興味のないものばかり
しょうがないので見たことのないコンテンツに飛んでみたら、書籍のカタログが存在し、それがDLLできるとあるので早速落とす
戦国無双2キャラクターズ新書の表紙は、殿

それが結構目立つもので、一発で見つけられた

たったこれだけで、ちょっと嬉しくなって中身を見てみた

ここにもちゃっかり殿が居た
更に、『内容を見てみる』みたいな項目があったので、迷わずクリックしてみたら

殿のページだけがサンプルとして収録されている
殿はコーエーにとって、自信を持ってお届けできるキャラクターなのだなぁ・・と感じた
だったらいっそのこと戦国無双3から主役を殿にすれば良いじゃないか
いわゆる『フロントマン』にすれば、今後戦国シリーズも大ヒット間違いなし
な、気がしたけど、それはきっとわたしの気のせい
とりあえず、戦国無双3が出るならば、必ずや買います
それこそ、PS3のハードごと買うぞー
10月1日は、三成さんの命日です
当時の暦とはズレがあるでしょうが、正確な日付を知らないわたしには、この日が三成さんの命日
無神論者ではありますが、こういうのだけは気にする嫌な日本人ですみません
いつか訪れるだろう戦国無双3発売日を、今から心待ちにしている殿信者が、ここに一人おります
最近姪っ子を、殿信者に引き込むことに成功いたしました

だから何?
とか、言わないで
泣けて来るから・・・
いつか出る(んじゃないかと思っている)戦国無双3の更新を楽しみにしています
実質出るとしても、更新なんて1年も先のことでしょうが、それでも今から毎日チェックして、訪れるXデーを心待ちにしている次第でございます
何に付けてももう、殿しか見えません
ゲームをプレイする時も、画面に殿が居ないと詰まらない
殿は戦国無双2の華だなぁ〜と、しみじみする
ゲームグラフィックは

不気味だけど
1600年10月1日
京都の六条川原でその首を落とされた三成さん
長浜では三成さんのお祭りがあるのかどうかわからないけど、今はちょっと体の調子が悪くてどこにもいけないわたしですが、いつかは行きたい
再び三成さんの生家へ
そんな思いを抱きつつ、今日もコーエーの公式サイトへ
更新しているのは興味のないものばかり
しょうがないので見たことのないコンテンツに飛んでみたら、書籍のカタログが存在し、それがDLLできるとあるので早速落とす
戦国無双2キャラクターズ新書の表紙は、殿

それが結構目立つもので、一発で見つけられた

たったこれだけで、ちょっと嬉しくなって中身を見てみた

ここにもちゃっかり殿が居た
更に、『内容を見てみる』みたいな項目があったので、迷わずクリックしてみたら

殿のページだけがサンプルとして収録されている
殿はコーエーにとって、自信を持ってお届けできるキャラクターなのだなぁ・・と感じた
だったらいっそのこと戦国無双3から主役を殿にすれば良いじゃないか
いわゆる『フロントマン』にすれば、今後戦国シリーズも大ヒット間違いなし
な、気がしたけど、それはきっとわたしの気のせい
とりあえず、戦国無双3が出るならば、必ずや買います
それこそ、PS3のハードごと買うぞー
10月1日は、三成さんの命日です
当時の暦とはズレがあるでしょうが、正確な日付を知らないわたしには、この日が三成さんの命日
無神論者ではありますが、こういうのだけは気にする嫌な日本人ですみません
いつか訪れるだろう戦国無双3発売日を、今から心待ちにしている殿信者が、ここに一人おります
最近姪っ子を、殿信者に引き込むことに成功いたしました

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