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少し鬱陶しい天気でした
今にも雨が降りそうな雰囲気で、一旦は行くのを断念したのですが、やっぱり気になるので行って来ました

幸村の銅像があると言う三光神社に

湿気の多い日で、しかも神社の多くが草木の茂る場所にあり、ここも部に漏れず木が多くて、蚊が飛んでました

かゆかったー


超近所だった三光神社
近所のお子さんが写り込んでしまったので、モザイク掛けたけど問題ないだろうか・・(心配


参拝客は居ないといっても過言ではなく、境内におばあちゃんが居ました
知らない人だったんですけど、わたしが境内に入り、幸村像を探していると、向うから「こんにちは」と声を掛けられました
なんとなく、古きよき時代にタイムスリップした感じです
境内は綺麗なところでした
狭い敷地なので欝蒼とした感じは否めませんが、小奇麗な神社です
夏祭りの日程も知ることができたので(←これが知りたかった)、予定に組み込みました


信繁公銅像
Wikiにあった画像と一緒なので、感動した


プレートがやっぱり『幸村』になってました
大阪城天守閣には、『真田信繁を幸村と記したものは(大阪城には)ない』とはっきり名言されていたのだけど、地域住民にとって彼はやはり『幸村』のようです
隣の木が大きく育っていて、枝がかなり伸びてました


枝が邪魔なので、斜めから撮ってみました


銅像の隣にあるのが、『真田抜け穴』です



鉄柵の中央に、真田家家紋の六文銭が


ここ以外にも、真田の抜け穴は存在するようです
ここから大阪城のどこまで繋がってるのかわかりませんが、大坂の陣、太平洋戦争を経験し、穴はきっと途中で塞がってるんじゃないかと思いました


この神社の御祭神に天照大神、月読尊など、名立たる名前が連なってました


それまで、真田幸村は実在した人物だったなど思いもせず、ゲームに出て来てようやく戦国武将であったことを知り、そして、戦国無双2の購入から1ヵ月半ちょっとの現在、史跡を訪れるまで入れ込むとは思っていませんでした
もちろん、ゲームの真田幸村がどうのと言うのではなく、どんな生き様だったのか、どんな風に時代を駆け抜けたのか、それが知りたいと思うようになったのは、やはり作った会社がコーエーだったからで、これが他のメーカー、増してやカプコンのあの奇天烈なゲームが一人の人間をここまで動かすなんてことは、絶対になかったと断言できる

デジタルの集合体でしかないDVDが、まさかこんなにも影響を及ぼすとは想像もしてなかった
史実の幸村が戦死したのは50手前なので、普通におっちゃん
おっちゃんには興味はないけど、何百年も昔の人間に興味が持てたのは、『よいしょ』するつもりじゃないけど、戦国無双2のお陰だと思う
そうじゃなかったら、自転車で5分と掛からない場所に幸村像があるなんて、絶対気付かなかったし、興味も沸かなかったと思う
それでも、自分の住んでいる場所が幸村ゆかりの地であることに、誇りが持てるようになりました

日の本一の兵(つわもの)と称された幸村(信繁)
彼は大阪の人間ではないけれど、大阪の誉であることに変わりはありません

今度は幸村終焉の地である安居神社に行ってみたいと思ってます
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