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All that be for Haruhi. @千極一夜
- The blog site of only an Sengoku Musou2 (Samurai Warriors 2). By Haruhi -
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オカルトな話からして良いですか
先週、テレビ地上波で『シックス・センス』を見ました
感想はたくさんあるので書き切れませんが、ああいう能力を持っていると、本当に大変だなぁ・・と思いました
わたしは霊感もなければ、山勘もありません
生まれて一度も幽霊なんて類は見たことない(と、思う)し、ヤマが当ったことも少ないです
それでも一応、霊感の類は持ってます
見たり聞いたりの霊能力ではなく、霊媒体質です

金縛りのメカニズムはご存知でしょうか
体は眠った状態なのに、頭(脳)が起きていて動けない
それを金縛りと言うのだそうです
しかし、わたしが体験する金縛りはそんなヤワなものじゃなく、まず、息が止まります
耳鳴り、頭痛、胸に重いものを感じる
首を絞められる感覚
そして耳元で、知らない人の声がする

なに、これっ!(驚

金縛りは中学の頃から体験してます
いずれも眠い時に起きるのではなく、横になった瞬間から発生します
声の主は、主に女性です
たまに魂を引き摺られる感覚もあります
自分の中で感じるものがあったりすると、その夜は必ずと言っていいほど金縛りを受けます
わたしが受ける霊波は死人のものは結構少なくて、生きている人の思念
つまり、生霊が多く飛んで来ます

涼しくなりました?

死んだ人間より、生きた人間の方が怖い
いつもわたしが心に浮かぶ言葉です
生きた人間のどこが怖いのかは、人それぞれなのでここには書きません

例えば、極最近、そこで人が亡くなったという現場に偶然立ち入る
すると、途端に耳鳴り、頭痛が起き、全身が鉛でできたように重く感じ、背中が痛くなる
わたしは祓い方を知らないので、どうしようもなくなった時は、とある神社に行きます
その神社は京都市内にあり、清水寺の近所にあります
宮司さんに何とかしてもらうのではなく、そこにある木像の、ある人物に全てを託します
その人物の木像を見た途端に、体が軽くなるんですね
1年に1回もありませんが、自分じゃどうしようもなくなった時はお世話になってます

霊感なんて、なくても良い物ですが、役に立つ時もあります

言葉は『言の葉』と書きます
『言の葉』を口にすると、それは『言霊』へと変わります
こんな風に、デジタルにした文字にも言霊が残ることをご存知ですか?
例えば、掲示板の書き込みや、ブログのコメント
たった一行でも、書いた人間の思念が宿り、その時の感情や気持ちが伝わります
なので、エキサイトでブログを運営していた時は、結構大変でした
その人が本当に応援してくれているのか、それとも見返りが欲しくて適当な言葉を並べているのかわかります
見返りが欲しいと感じた場合、わたしはコメントレスを当たり障りのないものにしています
そうすると、コメント主は二度とコメントを残しません
逆に、ブログを非難するようなコメントを書かれると、必要以上に攻撃的になります
その時の、コメント主の感情が直接流れ込んで、実際に会ってケンカ売らたような感覚になるんですね
だから本家サイトでは何度、ガチンココメント合戦が起きたか・・

言葉は怖いですよ
人を殺せますからね
だから、生きてる人間は言葉を大切にしなきゃです


『貴族被れの公家風痴れ者』のイメージを、戦国無双、BASARAで一般に植え付けられた今川 義元
NHKの番組で、彼の方を初めて知りました
いえ、名前は知っています
Wikiでも、ある程度の知識は得ました
しかし、実像と言うものを知らなかったのです
義元直筆の書状を番組で拝見しました
とても綺麗な字でした
学のある人間の字だなと思いました

大阪城天守閣で小早川 秀秋の書状を見ました
小早川は関ヶ原で殿を裏切った痴れ者です
はっきり言うと、救いようのないほど汚い字でした
隣におね(秀吉の妻)の甥でしょうか、『木下』姓の武将の書状が並んでいたのですが、小早川にとって並べるのが気の毒になるくらい、字の汚さが目立ちました
頭の悪い人間の字(学業に関しての頭の悪さではなく)だな。と思いました
子供が見よう見まねで書いた字・・って言うんでしょうか
まぁ、言い方変えれば芸術的です

義元は、意外なことに日本で一番早く鉄砲を導入した人物でした
驚きました

番組内で知ったのですが、信長の初陣は14歳の時だそうです
結構早いですね
でもそれより早く初陣を果たしたのは上杉 景勝の11歳です
まぁ、どちらも刀振り回したってのではなく、安全な本陣に、父に付き添っていたんでしょうけど
(景勝の場合、父親は養父の謙信)

義元が貴族かぶれの公家趣味と言われたのは、義元の財力があまりにも大きくて、それを当てにした都(恐らく京都とか?)の公家がこぞって義元に取り成しを求めるために訪れたからだそうです
その所為で義元は貴族主義者に見られたそうで、義元自身は軟弱な人間ではなかったそうです

コーエーの戦国無双でデビューした義元は白塗りで、自分を『麿』と呼び、蹴鞠を生き甲斐にしている人物に描かれていますが、通説をイメージ化したようで、カプコンはそれを更に悪乗りして作り上げたようですね
どちらにしても、巨躯だった森 蘭丸をか細いくらいに女性化したり、ちっちゃい子供に仕立て上げて戦わせたりしている両社には呆れますが

まだ若武者だった信長が、織田家を大きくするために手本としたのが今川 義元でした

桶狭間の戦いで、今川軍は2万5千
対する織田軍はわずか4千
実に6倍の差がある
それでも信長に軍配が上がったのは、今川軍の自滅でした

大きければ良いってものではないようですね
少数精鋭で桶狭間を制した信長は、討ち取った義元の首(御首級)を10人の僧侶に付き添わせ、駿河まで丁重に運んだそうです
宿敵であり、長く織田家を苦しめて来たにも関わらず、信長は最大限の礼節を持って義元を送ったと言うのは、男気の良い話ですね

義元が最期まで戦いに使った刀は信長の手に渡り、生涯戦いの場に携え、秀吉、家康へと受け継がれたそうです


桶狭間で信長は、敵味方関係なく戦死者を弔うために塚を立て、供養しました
その塚の名前は『義元塚』と言います
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