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All that be for Haruhi. @千極一夜
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わたしが司馬遼太郎の『関ヶ原』を好きになれない理由

逢って間もない女と肉体関係を簡単に持ったこともそうだけど、書いた人間が古いからか、人間描写があまりにもなさ過ぎる
上巻の半分も読まない内に、嫌気が差した
これは官能小説か?
男が読めばなるほど、面白いだろう
男ではないわたしが読んだら、不愉快な部分がありすぎる
大枚はたいて買ったけど、読みたくないこの小説をどうしようか悩んでいる

わたしが司馬遼太郎の『関ヶ原』を嫌いな理由

この作者は、石田三成を一人の男として描きたかったのだろう
当たり前の、脂の乗った年齢の男として書きたかったのだろう
だけど、どうしても許せない部分があった

作中石田三成は、女を抱きながらこんな言葉を吐いた
「俺を好きで居てくれるのは左近とお前だけだ」

許せない。と、思った
史実の三成さんなら、こんなこと、絶対言わないと、自分勝手にだけどそう思った
左近ファンなら、嬉しい言葉だろう
だけどわたしは、大谷大好きだ
損得なしで三成さんと付き合っていた大谷が大好きだ
命運を共にした仲間、家臣達の存在を忘れたかのような、この暴言
関ヶ原で命を落とした大勢の人達に対し、こんな失礼な言葉はないと思った
好きじゃなかったら、大谷は不利とわかっていながら最前線に立っただろうか
六条河原で首を落とされた三成さんの、後を追った小姓を知っているだろうか
別れ際、涙を流した家臣達は
三成さんの盾になった人達は

みんな、三成さんが大好きだったんだよ・・・・・・・・・・


兼続を題材にした小説・天地人
書店に並んでいた
少しだけめくってみた
当たり前のように、ここでも清正・正則コンビが悪役として登場していた
正則は知らない
だけど、もうそろそろ、清正を悪役にするのはやめたらどうだろう
清正は三成さんに対して、刀を向けたわけじゃない
確かに九州で、三成さんに味方した立花宗茂と小西の城を落としたかも知れない
でも、三成さんに対して刃を向けたわけじゃない
三成さんを悪く言っていたのも、ただの通説じゃないのか?

それまでは悪者だった三成さんがクローズアップされ、それまでは英雄扱いされていた清正が、今度は悪者になってしまっている
嘗てのわたしもそうだった
清正が嫌いだった時期もあった
だけど、そう言うの、なんて言うか、不毛・・・って言うか
『善』があれば『悪』がある
鏡の前に物を置いたら同じものが写るように、『善』の向こうには『悪』がある
徳川政権時代は、三成さんが悪だった
明治が終わり、昭和に入る頃には三成さんは、一部の人間の間では『善』になった
そして、平成の世、三成さんと対立していた清正が『悪』になった

人間は同じことを繰り返す
同じことを繰り返しながら、何も学ばない
愚かで野蛮な生き物だと思う

三成さんも、そんな人間の一人なのだと思う
ただ、他の人間よりも少しだけ、生き方が綺麗なだけだったんだと思う
それでも三成さんファンはやめないけれど、少しだけ、三成さんと対立していた人間を好きにはなりたいと思ってる

直政が好きになった
本当はいいやつだったんじゃないかと、思えるようになった
清正が少しだけ気になるようになった
本当はそれほど三成さんと仲が悪くなかったんじゃないかと、思えるようになった

みんな歴史の人達だから
だから、自分勝手に想像してみる

みんなそれぞれ心の中に、自分なりの正義があったんだと


8月の終わりに出掛けた、三成さんの生家跡地
帰りに彦根に寄ってみた
到着した頃にはもう、6時を回っていた
空が暗かった


駅前にある直政の銅像も、まともには撮れなかった
どうしても、『いしだみつにゃん』の何かしらのグッズが欲しくて
土産物で売ってるだろうと高を括ったが、ひこにゃんしか手に入れることができなかった

駅前のロータリーにある直政像
その周りを囲むように、幟が犇いて立っていた



ここのところの三成さん人気の所為だろうか
三成さんの『佐和山城』が復元されるイベントのようで、9月に入ったら是非とも行ってみようと思っていた


9月某日
晴れ


何となく、駅前の直政に「ただいま」の一言
多分もう、来ることはないだろうが(汗

前回は時間が間に合わず店が閉まってしまい、買えなかったみつにゃんグッズを先に買おうと、駅前の観光案内所で詳しく聞いた店に直行
その店がある商店街で、こんな立て札を発見


三成さんのことを書いてるのに、立てた集まりが『彦根左近の会』て・・・

ここでは左近が主人公のようで、三成さんは呼び捨てで書かれてました
実際左近がやった仕事って?
三成さんの子守?
左近を未だよくわからないわたしには、なんで家臣が主君の上に来るんだ。と言う憤慨しか持てず(汗
短い間だったけど、この辺りのお殿様だったんだから、せめて『三成公』って書いたらどうなんだ
と、ちょっとだけ立腹

みつにゃんグッズを売っているお店で、意外なものを発見


兼続の、『愛』の前立て(紙製レプリカ)

それと、お店のご主人のご厚意で組み立ててもらった、実際の左近の鎧兜(紙製レプリカ)


手が震えて、何度やっても手ブレが・・・



こちらは商店街とは違う、キャッスルロードにある四番街スクエアのグッズショップの前に並んでいた『さこにゃん』と『みつにゃん』
殿と左近は二人で一つの存在のようで
わたしとしてはもうそろそろ、殿&大谷&小西の『義兄弟』(三国志みたいな?)トリプルが見たい・・

彦根城にあるキャッスルロードは、江戸時代の風景を再現した町並みにしているそうだ



つってもあたし、江戸時代を知らないからなんとも言えない・・・
上の写真は『両替商』=『銀行』


キャッスルロードの入り口付近はこんな感じ


にぎわっている店の前

やっぱり人工的な町だから、情緒って言うか、感動が薄い
無理矢理な感じがするし、それほど綺麗な町並みには感じない、なんとなく『当たり前』な風景に感じたのが残念

キャッスルロードから彦根駅前に戻り、佐和山一夜城のイベント地へ行くため、観光案内所の人が教えてくれたレトロバスの乗り場へ
ボランティアらしいおばさんが、短いながらもガイドをしながら走る町並みを紹介してくれた
浅井の家臣達が長政の父親を幽閉したと言う、竹生島も見えました
近江(滋賀)は良いなぁ
わたしが好きなものがたくさんある
お茶に、お米
三成さんに、長政に、直政
いつか住んでみたいなぁと言う気持ちが、どんどん積もる

やがてバスは佐和山に到着
井伊家の菩提寺は参拝できないので、他の神社に

直政の出身である井伊谷の龍潭寺にちなんだお寺で、こんなものを発見


なんで井伊の社寺で三成さんに関連するものが見られるのか、わからない
でもなんとなく、理解できるような気がした

これは、三成さんを初め関ヶ原で散った武将達、それから、家康が壊した石田家先祖代々の墓に眠っていた魂を祀るために建てられたのかな?
それとも、最近のものだろうか
その辺りの説明がなかったので、想像しかできない
少なくとも400年前のものには見えなかった観音像


井伊家の人々は、三成さんを嫌ってるわけではないことが見えたような気がして、ちょっと嬉しかった


ふと、疑問に思うことがあった
直政を良く知りたいのだけど、あまりサイトには引っ掛からないし、Wikiにも信憑性の薄いものしか書かれてなくて、知りたいことが何もわからない状態で、わたしが勝手に想像したこと

直政は、三成さんをちょっとだけ、好きになったんじゃないのかなぁ・・と言う、わたしの思い込み
直政は、元々は遠江(静岡県)の人
家康に取り立てられ、上野(群馬)の領主になったけど、関ヶ原で敗れた三成さんの佐和山を与えられた
Wikiには直政は三成さんを嫌っていて、佐和山をもらっても嬉しくなかったようなことが書かれていた
嬉しくないのなら、何故直政は佐和山で生涯を終えたのだろう
どうして上野に戻らなかったのだろう
佐和山は三成さんが基礎を作っていたし、直政も三成さんのやり方を変えようとはしなかった
なら、他の誰かに任せて、自分は上野に戻ればよかったのに
どうして家康から遠く離れたこの地に骨を埋めたのだろう

直政は、三成さんが作り上げた佐和山が好きになったんじゃないかなぁ・・・と、「だったら良いな」な気持ちが溢れて来た


観音像を超えると


ここにもちっさいおっさん
・・・もとい
三成さん像が

長浜にある三成さん像より一回り小さいサイズのものが鎮座しておりました
やっぱり、三成さんってゆうより、三成さんのお父さん(汗


長浜と違って見るものの少ない場所だからか、龍潭寺を出ると真っ直ぐイベント会場へ


この幟を見ただけで、胸が躍り出した

中に入ると、関ヶ原の西軍・東軍の主たる武将達の名前が、手書きで書かれた幟がずらりと並んでました

大谷だけ、名前の向きが裏表反対だったのよ・・・
かなり気になった

これが今回のイベントで有志が集まって作成された佐和山城(の、ようなもの)の復元パネル


小大名規模のお城じゃないなぁ〜と、改めて三成さんの力の大きさを知った
実際の佐和山城とは違うけれど、5階建ては当時でも相当なものだったんじゃないかと思う
信長の安土城、光秀の坂本城、そして、秀吉の大坂城を直に見ていた三成さん
三成さんが大大名だったら、もっと凄いものを建てたんじゃないかなと、思った

イベント前の会場内は、既に人がたくさん集まってました
夕方から甲冑劇があると教えてもらい、時間を潰すことに
会場では『ぼったくり屋台』や、無料のイベントコーナー(ぬりえコーナー)がありました
時間が近付いて来ると、来場客はこれの2倍くらいに



大谷(有志の方)発見

興奮度アップ

甲冑劇の始まり
出演者の人達が舞台前に勢ぞろい
大谷、三成さん以外、誰が誰やらさっぱりわからんかった


捕まった三成さん


わたしには三成さん役の人がどうしても、次長課長の背が低い方の人に見えて仕方なかった・・・

劇の内容は、大雑把に言えば佐和山城落城までを描いた、創作含むなものですが、笑い所ありで全体的には面白かったです

が、わたしのようなゲームから入ったマニアも大勢居て、ちょっと周囲の雰囲気が怖かったです
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8月某日、三成さんの生まれた場所へ


ずっと行きたかったところだったので、ワクワクしながら行きました
早く、三成さんの触れた空気に、自分も触れたい
そんな気持ちです

喧騒な街しか知らないわたしには、大阪を少し離れるだけで自然溢れる長閑な風景に思えた
2時間足らずで長浜へ
そこからバスを利用して石田町へ
バスを降りると、目の前にこんな石碑が


この辺り一体が、三成さんの実家のあった場所のようで、当時でも相当広い面積を誇っていたのが伺える
土豪(村長)の生まれであっても、そこらの小大名の城より広かったのではないかと想像
なんとなく、三成さんの息遣いが聴こえるよう

町全体をもっと丁寧に撮影すればよかったと、今も後悔
はしゃいでしまって、ろくなものを撮影してません
今もまだ、どこかで息吹く三成さんの存在
徳川幕府によって天下無双の大悪人にされてしまったけれど、それでも三成さんの実像を知る人々の言葉によって、ここには徳川ですら穢せなかった三成さん像が生きている
そんな気がした



最近の、三成さん人気に肖って、新しく作られたのだろうか
真新しい印象に、これが三成さんのシンボルのようでもある
やはり地元では『三献茶』伝説が、根強く残っているようでした

この町には、三成さん所縁の武将たちのネームプレートが点在します
バス停目の前には、三成さんのお父さんの名前がありました

プレートの直ぐ横に、その武将を紹介したものも並んでます
ある程度は知っていても、改めて読んでみると感慨深いものも

ゲームの戦国無双2にすら出て来なかった、三成さんの忠臣のプレートなどもありました

この方の名前は、磯野平三郎
初めて目にする名前でした


左近のプレートを見付けた時は、狂喜乱舞しました
家臣が主君を裏切るのは日常茶飯事だった、人を信じるのが難しい時代、三成さんは家臣に恵まれ、友に恵まれ、きっと、当時の人間としては幸せな時間を他の誰よりも過ごせていたのではないかと思いますし、でもやはり根本は、三成さんの人柄によるところもあるのではないだろうかとも、思いました
人間的に魅力的だった三成さん
益々慕情が積もります

他に見付けた武将はまたの機会に、見付けたものだけですが全部を貼りたいと思ってます

急いた気持ちを抑えられず、三成さんの実家屋敷があったと思われる場所へ
そこに鎮座していた、ちっさいおっさん
・・・もとい、三成さん


どう見ても、三成さんのお父さんとしか・・・(汗

三成さんの生家屋敷跡の全体を撮りたかったのですが、周囲との関係上、内部だけを撮影しました

小説・石田三成にも出て来た人口の池
今も清らかな水が注がれています

が、蜘蛛の巣が張り巡らされていて、撮影に難く・・・(汗
池も、とても小さなものになっていました
湧き水を受けているだけの、小さなものです
当時はどれだけの規模だったのか、想像は難しいです

これは灯篭と言うのでしょうか

中央に、石田家の家紋である『大一大万大吉』の文字が
これだけでも、「あぁ、三成さんの所縁のある場所なんだ・・・」と感動できました

敷地内には「石田会館」と言う、公民館のような小さな建物がありました
その手前にお手洗いがあるのですが、その看板にも

三成さんの家紋が

恐れ多くて(実は怖くて)入れません
何が出て来るか、都会人には想像できない(これが本音)

三成さんの生家跡地のここに、見慣れない虫?と言うのか、何なのか

これは、蜉蝣(かげろう)なのでしょうか?
トンボと蝶の間のような感じで、重量感の感じられない雰囲気がしました
ここは空気と水の綺麗な場所なんだなと、思いました

三成さんの実家周辺の様子は、小説である程度予備知識としては持っていても、その通りな建物があり過ぎて、胸にじーんと来ます
と言っても、小説はあくまで小説
それが事実ではなく、著者はこの周辺を取材には来ていたのでしょうか
書かれている通りのものが点在


周辺地図にある八幡神社
これは小説に出て来る神社と同じで、小説内では三成さんの生家屋敷内にあり、地元の民は『石田神社』として崇めていたと書かれてます
その八幡神社と隣接して現存する『石田神社』



三成さんは、この石田町(石田村)で生まれたから石田なのか、三成さんの先祖が代々からここに居たから土地の名前が『石田』になったのかは、わかりません
だけど、ここは確かに三成さんが存在した場所なのでしょうか
世間に『石田』の名を持つ人物は大勢居るけれど、わたしの中で『石田』と言えば『三成さん』しか思い浮かばない
その存在感の大きさ
407年前に死んだ人なのに・・・


石田神社内部に、三成さん直筆の和歌が石碑になってます
流麗な美しい文字を書いたとされている三成さん
綺麗な人柄(聖人君子とは違う)が文字にも現れていました

三成さんの供養塔


三成さんが生前、自分のために建てた墓を模倣しているのでしょうか
周辺の小さなものは恐らく、父兄や家臣たち、そして大谷や小西のものも含まれると思います
訪れる人は居なかったけれど、日頃から管理されているのかとても綺麗にされてました
三成さんは今も、愛されているんですね

自分を愛してくれ、そして、自分も愛した人たちに囲まれた三成さん
観光客でにぎわう大きな寺に祀られた他の武将よりももっともっと、死後も幸せな時間を過ごせているような気がしました


三成さんの生家跡と、三成さんが預けられていたとされている観音寺の間に、石田山公園なるものが存在します


行ってみたいとは思うのですが、如何せん



入り口がこんな欝蒼とした、道なき道のため、都会人には耐えられません
入り口付近には「猿出没」やら「熊注意」やらの立て看板が

余計無理

三成さんが学問のため預けられていたと伝承のある観音寺

入り口手前には、秀吉に出した茶の湯を汲んだとされている井戸もありました

ここも、人気(ひとけ)はゼロ
閑散としていました
が、他の、今まで見て来た寺・神社に比べたら、段違いに綺麗な場所でした
欝蒼とした雰囲気は全くなく、神社にはつき物の薮蚊も飛んでいません
今も誰かが住んでいて、「こんにちは」と声を掛けられるような、そんな雰囲気がしました


ここで三成さんが寝起きをしていたのかな?
それとも、通っていたのかな?
人が住むには少し小さいけれど、ここに佐吉少年が歩き回っていたのかと思うだけで、来てよかったと感じられました


石田町は、長閑な場所でした
空気の優しい場所でした
こんなところに住みたい
そう思わされる場所でした
時代は流れ、空も変わったでしょう
だけど今も穏やかに流れる、三成さんの空気を感じました


人は、誰かに愛される分だけ、誰かに憎まれる
それは生きている間仕方のないことだとしても、三成さんは死んだ後でも憎まれ続けた
憎まれるだけ、三成さんの生き方は、当時としては破天荒なものだったのだろうか
人としての理想をそのまま実行していた三成さん
今の政治家が教えてくれるように、綺麗な身の人間はどこにも居ない
みんなどこか、汚れた部分を持って生きている
仕方がないと、まるで徳川家康のように、自分を正当化しながら
人に罪を着せながら
それが人間の弱さであり、卑怯な部分でもある
当たり前のことかも知れない
それでも、時代に逆らってでも綺麗な生き方を貫き通した三成さんは、大勢の人に心から愛され、そして愛されたまま死んだ
三成さんを愛した人々は、徳川の迫害にも負けず、その心を失くさず、今を生きるわたし達に三成さんを教えてくれる

信長に最後まで付き従った乱丸
長政と共に、強大な敵・信長に立ち向かった家臣たち
家康にですら、忠義を尽くした家臣は大勢居る
だけど、ふと思う
三成さんほど愛された人は、居ただろうか
家康は、徳川幕府を立てた立派な人物だ
なのに、彼の家臣で、歴史に詳しくない人間ですら知られているような有名な人間は居るだろうか
戦国無双2をやるまでは、わたしは服部半蔵しか知らなかった
あれだけの大仕事をやってのけ、東照宮として祭られているほどの人物なのに
わたしは、それまで井伊家の有名な人間と言えば、桜田門外の変で暗殺された直弼しか知らなかった
直政を知らなかった
歴史に明るくなくても、それでも、三成さんは知っていた
その人物像はひどく歪められたものだとしても、それでも誰でも知っている三成さん

徳川は徹底的に、三成さんを悪人扱いし、家康を救世主として祭り上げた
それは、幕府離れした民衆の心を取り戻すために
だけど
歴史から抹殺された三成さんの汚名を払うかのように、民衆は『真田幸村』を生み出した
当時の三成さんは、禁じられているキリスト教と等しい存在にされていた
その鬱積を払うかのように、幸村が槍を持ち、家康を苦しめた

人は決して心から、家康を愛していたわけではない

その恩恵に従っただけなのだと知った時、家康は見かけだけ幸せで、中身は寂しい人だったんだと知った


関ヶ原から2年
家康の最愛の人、直政がこの世を去った
その悲しみを、自らの手で死に追い込んだ三成さんにぶつけた
「三成が直政を連れて行った」と思い込むことで、自分の気持ちを納得させようとしていた
人間の弱さゆえの行動
誰にでもある感情
理解できる
だけど、自分が愛し、庇護した井伊家によって、徳川幕府はその長い歴史に終止符を打たねばならなくなったのはなんと言う因縁だろうか
家康が破壊した石田家先祖代々の墓を再建したのは、彦根藩11代目藩主・直中だと言う
直政は、三成さんの最後を世話した人物である
通説では直政は三成さんを嫌っていたと言う
そんな人物のために、自分の主君が壊した墓を再建するだろうか
自分の先祖を呪い殺したとされる三成さんのための供養塔を建てるだろうか
もしかしたら

名僧・沢庵を魅了したように、直政もまた、三成さんの人柄に魅了された一人ではないだろうか


そんな気がした


駅に戻って、長浜城を入った
展示室は小さいけれど、見るものがたくさんあった
徳川家所縁の人間の展示物もあって、こんなところに人の器の違いが伺える
何故なら、和歌山城には豊臣所縁の人間の展示物は一つもないからだ
本当に、徳川って人間が小さい
中の展示の仕方などは大阪城の天守閣に似ている雰囲気がした
そんな展示物を眺めていて、愛すべきキャラクターを発見した



これ、長浜のキャラクターにならないだろうかと、心の底から思った・・・

ひこにゃんの可愛らしさには敵わないだろうが、三成人気の今、何をしても売れるような気がする
敬愛する三成さんのイベントに行きました


8月の終わり、三成さんの生地である滋賀県長浜市石田町に行って参りました
三成さんは400年を経た今でも英雄らしく、深く愛されておりました
力尽き(持病持ちのため)、清水の舞台から綱なしバンジーをやるつもりで拾ったタクシーの運転手さんからも、三成さんの話をたくさん聴けました
その帰りに、折角来たのだからと彦根に途中下車し、そこで『佐和山一夜城祭り』があることを知り、最終日に近い土曜日に行って来ました
佐和山に行く前に、前回の彦根訪問の際に買えなかった『いしだみつにゃん』のグッズを、今回は日がある内に買わなくては!と、先に買いに行って来ました

彦根城周辺のキャッスルロードにある四番街スクエアには、三成さん・左近をキャラクターにしたグッズを置いている、綺麗な店があります
しかしわたしは、その店の存在を知らず、駅前に設置されていた観光案内所で聴いた花しょうぶ商店街の店に真っ直ぐ向かいました
この商店街には、ネットでも話題になっている「しょうぶ屋」と言う、戦国武将を金儲けの道具にしている店があります
遠いところまで歩いたのだから、ついでに覗いてみれば良かったと、帰宅した後思いました
それは兎も角として、花しょうぶ商店街にある小汚いグッズ店で買い物をして良かったと思えることがたくさんありました
この商店街には、今も左近を愛する人々が大勢居ます
その集まりを『彦根左近会』と呼びます
彦根は、元々は三成さんが統治していた佐和山の外れにあります
関ヶ原での敗戦後、三成さんが愛したこの土地は徳川家康によって穢されました
しかし、三成さんの遺志を継いだ井伊家が、家康(徳川)の手から守り抜いた土地でもあります
故に、関ヶ原後でも三成さんや左近を愛する人々を庇護していた場所でもあり、400年の今でもこの二人を英雄として崇めることができるのも、偏に井伊家のお陰ではないだろうかと思えるようになりました
その彦根左近会の御仁だと思えるご老人から、世間にあるサイトでは絶対に手に入れることのできない貴重な情報を頂きました
それが、題目にしている通りの、『直江兼続は石田三成の友達ではなかった』です

どうしてここに直江の『愛の前立て』があるのか?と尋ねました
やっぱり三成さんの友達だからか?と聴いたところ、そのご老人はキョトンとした顔で、「へ?」と、逆に訊き返されました
「直江兼続は、石田三成の友達じゃないよ?直江は左近の友達だったんだよ」

えぇぇぇぇ?!です

なんで?と訊き返したら、ご老人は「兼続は上杉家の軍師だから、同じ軍師同士仲が良かったんじゃないか?」とのこと
じゃぁ、三成さんとの関係は?と訊けば

「さぁ?」
と、首を傾げられました

『敗者から見た関ヶ原合戦』をある程度読んでみて(内容が濃いので、時間を掛けてゆっくり読んでいる最中です)、三成さんが兼続を信頼していたような感じには見受けられなかったので、ゲームやWikiに書かれていることは、実は出鱈目じゃないかとは思ってましたし、過去の記事にも『三成さんには宛にされてなかった兼続』と書きましたが、まさかそれが本当のことだったとは思いもしませんでした
つまり、三成さんにとって兼続は自分の家臣の友達であり、三成さんと兼続の縁は極めて薄く、長谷堂で兼続が最上軍相手に戦っていたのも三成さんのためではなく、単に上杉家のためであり、兼続が三成さんの応援で戦ったのではないような気がしました
寧ろその逆で、三成さんが関ヶ原で徳川軍を討ち滅ぼし、その進軍で長谷堂の上杉軍を応援する予定だったのではないかと
だから、西軍敗退の報せを受け、応援が来ないことを知った景勝は早々の撤退を決定したのではないかと
だから、毛利輝元が関ヶ原の責任を全て三成さんに押し付けたのと同じく、景勝も呼応を三成さんの責任になすり付けることで助命を得たのではないかと
縁が薄ければ、責任転嫁は気が楽でしょうから
そうなると、三成さんと最後まで行動を共にしていた宇喜多が清々しく感じました
ほんと、泳いで大坂まで来て欲しかったですわ

彦根で、語られることのなかった意外な真実を知った翌日、高熱に倒れたわたしは、現在も微熱続きで何もできません
今後のシリーズ化が可能なら、いつかは出て来るだろう加藤清正のステージ

世間では殿(石田三成)とは仲が悪くて、戦国無双2でもそれを匂わせるセリフが多々ありましたが、実際はそこまで仲は悪くなかったようで
その辺りを意識した(と言うか、ぶっちゃけ女性ユーザーを意識した)セリフが新たに登場
とか?

殿は山崎の戦いがステージの初めだったけど、清正の最初のステージはその前にあった『中国征伐』から始まる

「1577年。豊臣軍の若き猛将・加藤清正は、中国征伐軍の中に居た」
と言う、お決まりのナレーションが始まり、その後に利家も引く熱血宣言

ステージ1・中国征伐

清正:「三成には負けねぇぜ!」が初めの頃の決め台詞

ちなみに、正則と仲が悪かったのは小西だ
清正はどちらかと言うと中立的立場なのだがな


ミッション?詰所を封鎖せよ!
2人〜からの敵武将が待ち構え、しかもモブのクセにめっちゃ強い
封鎖する詰所は3ヶ所ぐらい
それが終わると次のミッションへ

ミッション?黒田官兵衛を寝返らせよ!
この頃はまだ毛利軍の軍師だった官兵衛を撃破して、寝返らせる
官兵衛はジジィのクセにコンボ使いまくり
寝返らせたら、兵糧を持った殿(石田三成)が封鎖したどこかの詰所からランダムに登場
殿登場と同時に、敵増援部隊も登場
馬を持ってなかったら、到着した頃には荷駄頭が攻撃を食らってて絶望的な結果に
もちろん清正にはゆっちーや慶次のような、馬を呼び寄せる特殊技はナシで
殿と清正の会話イベスタート

清正:「おっせぇよ、バカ!」
三成:「バカとは何だ、バカが」
清正:「こっちゃぁ、腹減ってんだよ!早くおにぎり!」
    ↑年上のお兄さんにちょっと甘えたような感じで
三成:「俺は貴様の女房ではない。己で取りに来い」
            ↑この辺りが腐女子を意識した、いやらしいセリフ

ミッション発生

 三成を味方本陣まで護衛しろ! 


荷駄頭(複数)を連れた殿を本陣まで守り抜く
それを阻止しようと敵増援の大多数が一斉に押し寄せる
寝返った官兵衛も側に居て(まるで『小田原城攻略・西』のような)殿を守ろうと果敢に戦うが、「あ痛っ」「あ痛っ」と五月蝿い
(ジジィモブの攻撃を食らってる時のSEが「あいたっ」)
荷駄頭が一定以上やられると、殿が怒って帰ってしまう
殿が帰ると味方が全員「腹減ったぁ〜・・」と泣き言を絶え間なく言い出して画面がうるさい上に味方士気が救いようのないほど劇的に落ちてクリア評価がめっさ悪くなる
しかも、帰り際の殿が屈辱的なセリフを吐き捨てる

三成:「米の一粒も守れんとはな。このクズが。(SEで「っぺ」と唾を吐く音)」

これ以上の屈辱的な言葉が思い浮かばない平和主義的なわたし
ああ、想像しただけで血がたぎる
それが嫌なら(うるさいのが嫌なら)、命懸けで荷駄頭を守るしかない

殿(荷駄頭)を守り切ると普通に進軍開始
更には、荷駄頭を一人も敗走させず本陣に送り届けると言うパーフェクト達成の暁には特別イベントとして殿が甘ったるいセリフを吐く

三成:「猪なだけかと思っていたが、中々やるようだな。これは特別だ。」(ここまでは普通)
三成:「あまり俺に手間取らせるな、このバカ」(セリフは辛辣だが、口調が「さすがだ、幸村」並みにやや甘め)

セリフと同時に「石田三成直々の手作りおにぎりを獲得」
グラフィックは普通の三連おにぎりだが、たくあん()の代わりに福神漬け()があって、それが殿の前に忽然と現れる


ゲットすると全回復&レベル1コUP
野郎には寒気のするイベントだろうが、女ははしゃぐ
米一粒に命張ったんだ
それくらい夢見させろ!
え〜〜〜


前田慶次郎利益です
世間では『慶次』の方が有名です
まぁ、真田信繁と同じです
本人よりも創作物の方が有名になっちゃったもんで、名前が勝手に改竄されてます
はっはっは

昨日までは三成が傭兵家業に身をやつしておりましたが、ヤツはああ見えて結構体が弱いと言うか、丈夫ではないので今日は私が代わりに傭兵をやってます
狙いは、中々いいものが出て来ない宝珠集めですな
初めは長宗我部元親にやらせようかと想っていたらしいのですが、キャラクター選択画面で私が一番近いので選ばれたようです
信繁(幸村)は普通に見飽きたので、お腹いっぱいだそうで
私もお腹いっぱいです

正直、三成では属性宝珠ばかりが出て来て、管理人(プレーヤー)もお腹いっぱいだそうで、たまには違うキャラをやってみたいとのことで、普段見向きもされない私が任命されたのですが、慣れない傭兵家業を始めた途端、体が弱いはずの三成が敵に囲まれてました


しかも、相変わらず居丈高です


元気そうで安心しました

先日、兼続を助けても玉しかくれないと嘆いてましたが、三成も救助したのに玉しかくれません
人のこと言えませんよね
しかも、助けた恩を忘れて次のステージでは『』として登場しました

恩知らずなヤツです
さり気なく明智殿を救助して宝珠をもらいました
ちなみに、幽閉されている明智殿を救助するのと、敵武将として登場するおねね様を撃破すると必ず宝珠がもらえます
謙信さんの場合は99%『塩』です

サクサクステージを進めてますと、兼続が敵武将として登場しました
一応友達なので倒すのは忍びないので、何度か兼続の側を通らなくてはならないので通りすがりに一発入れて、通過してました


最終的には報酬欲しさに倒しましたけどね、次のステージでは

なんでもない顔をして雇用武将として登場しました
ヤツのこう言う、根に持たないあっさりした性格と言うか、単純と言うか、諦めが早いと言うか、なんて言うんでしょう

記憶力のなさが好きですね

兼続を雇ったステージで、『塩おじさん』こと先代(謙信さん)が塩を持って戦場に居ました
何となく3人で並んでみました


上杉3強(一応兼続も入れてやろう)が揃いました(笑顔

その点三成は、しつこいですね
初期からの敵武将として登場したり、黄色の中立的存在でありながら結局はこっちに攻撃して来る連合軍で登場したり

なんとかしてヤツを倒さないようクリアしますけどね、倒さないとクリアできない場合だともう、アイツは怒って中々雇用武将で出て来ないですね
根に持つタイプなんですね
どれだけしつこいかと言うと
元親の模擬演武で四国をやってると、当然豊臣軍で三成が登場します
(史実でも参加してますしね)
しかし、三成を撃破するのは忍びないので一緒に居る秀吉さんの弟の秀長さんと周囲のザコを全部倒して、三成ひとりにして他の現場に行きますと、ヤツは一人で長宗我部軍本拠地に乗り込むんですわ

負けず嫌いと言えば良いのか、諦めないガッツのあるヤツと言えば良いのかわかりませんがそこんとこ、女性的と言うかなんと言うか、ネチネチしてますね、ヤツは
別れる時もめるタイプですわ、三成は
いやぁ、女に生まれなくて良かったです
うっかり付き合っちゃうと、後が面倒です
その点兼続だと、別れる時もあっさりしてそうです
兼続:「そっかぁ、じゃぁしょうがないよねー・・・」
とか納得して、別れてくれそうです
って、何の話でしょうか

さて
一度倒すと後は際限なく三成が敵武将として登場して来たので、一度リセットして一からやり直しました
途中であまりの眠さに寝てしまい(スタートを押してゲームは戦況画面で止めていた)、1時間ほど経ってからリスタートしたら、何故か側に服部が居て驚きました
しかも

私が行くとこ行くとこ付いて来るので「ストーカーか?」と思ったら、自分が雇った傭兵だったことを忘れてました

兼続に並ぶ記憶力のなさですな、はっはっは
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