master only - Admin*Write*Comment |
All that be for Haruhi. @千極一夜 |
- The blog site of only an Sengoku Musou2 (Samurai Warriors 2). By Haruhi -
三玄院
京都の北区にある大徳寺に収められた寺
三成さんが眠っているとされている場所
京阪から特急で終点・出町柳に降り、そこからバスで大徳寺前に行く
予定だったけど、出町柳駅前を流れる賀茂川に目を奪われ、ついつい涼んでしまった

水は冷たく、やや濁っている
が、大阪城公園の噴水の水に比べたら綺麗(当たり前か)
魚は見なかったけど、川の流れは激しく油断したら流されそうな恐怖に駆られる都会人一行(ひとりじゃ行きませんよ)
周りの地元民は迷惑だったろう(汗
しばらく賀茂川で遊び、小腹が空いたので付近の喫茶店で腹ごしらえ
お茶大好き人間のわたしは、抹茶&ほうじ茶のアイスパフェをオーダー
感動するくらいおいしかった
予定が大狂いするくらいのんびりしてしまったため、大徳寺に着いた時は夕方近かった
観光客も少なく、閑散とした雰囲気
ここに、三成さんが居るのか・・と、感動の対面を果たそうと心ワクワク

大徳寺 三玄院
お墓は見れないと予め知っていたけど、まさか拝観謝絶(中にも入れない)とは知らなかった・・
しばらく呆然とするかのように門前で佇んでいたけど、ここに三成さんの気配はなかった
念のため、三玄院の周りをぐるっと回ってみたけど、やっぱり中は空っぽだった
周囲は距離があっても、中は色んな建物が犇いているからか、観光客が殺到したらとんでもないことになりそうなくらい狭い
だからと言うのではないだろうけど、この拝観謝絶の裏に何があるのだろうかと勘繰ってしまった
ここには、三成さんは居ない
気配もない
何も感じない
安居神社に行った時も、「ここには幸村さんは居ない」と感じた
それでも夜になると、それらしき人物の気配は感じた
だけど、ここには何も感じない
感じるものがなかった
やはり六条河原じゃないとだめなんだろうか
驚いたことに、三玄院の隣の高桐院に阿国さんのお墓があった
墓場は工事中で見れなかったけど、なんとなくほんわかした気分になれた
戦国無双2の、のんびりした口調が頭に残っているからだろうか
同じ高桐院には細川ガラシャの墓もある
三成さんの計略を拒み自害した人が、三成さんのお墓のお隣さんだなんて、なんて言う因縁だろう
こんなところに墓を立てなくても、細川家なら新たに寺を建立することだってできただろう
なのに、どうして
ガラシャを自害に追い込んだのは、三成さんじゃない?
そんな、根も葉もない言葉が浮かんだ

三成さんの子孫の人だろうか、同じ石田姓の名前が裏に刻まれていた
こんな立派なご先祖様を持って、羨ましい

手の届く範囲で撮影してみた
お寺と言うより、古い民家といった感じが否めない
やっぱり、拝観したかったです
お金取られても良いから

一時は小雨が舞いしきったけど、それも直ぐ止み、綺麗な緑に染まっていた
たかが、ゲームに出てくるキャラクターの一人
所詮、大昔に死んだ人
簡単なことなのに、どうしてこんなに気になるのだろう
そう思った
三成さんは、生き急ぎすぎた
まだ花の咲く真っ盛りに、命を散らせた
自分のためではなく、大事な、誰かのために
戦国時代は、そう言う時代
蘭丸も、父親代わりになってくれた大好きな信長と、命運を共にした
たった18歳で
もしも生きて居たなら、天下を取ったのは秀吉じゃなく蘭丸だったかも知れない
たった一つの、掛け替えのないもの
それと引き換えにしても惜しくないほど、戦国時代の武将達は、誰かに愛されていた
誰かに支えられていた
今のこの時代には、考えられない、理解できない、真似できない、そんな人々の想いがこの時代にはあったんだ
三成さんは、自分のためじゃなく、大好きだった秀吉のために
大好きなおねさんのために
家康に力を削がれても、それでも歯向かった
戦った
立ち向かった
大事な何かを守るために
戦国無双2のムービーに、こんなセリフがある
「もしも俺が死んだら、俺との友情に生きると言ったお前はどうなるのだろうと思ってな」
そう言ったのは、殿である石田三成
これは今の時代の人間が書いた台本だから、三成さんのセリフも死を覚悟している人間のものになっている
史実の三成さんは、最後まで諦めなかった
捕縛され、処刑されるまで生き恥を曝され、到底人が耐えられないような辱めを受け、それでも諦めなかった
最後の最後まで、家康に一矢報いることを諦めなかった
その遺志は真田信繁へと受け継がれ、戦国最大のヒーロー・真田幸村が誕生した
戦国時代の戦は、常に私欲が絡んでいた
そうじゃなかったのは、三成さんくらいなものだと思う
謙信の時代かどうかわからないが、上杉の時代には人身売買で利益を得ていた事実があるそうだ
それを知ったからか、謙信もさほど美しい(見た目とかではなく)人間ではなかったのだろうかと思った
贔屓目もあると思う
だけど、三成さんの生き方は美しいと思う
関ヶ原は、三成さんと狸との戦いではなく、おねさんと淀君との戦いでもあったそうだ
正室と側室
戦国随一の賢婦とも謳われるおねさんに対し、亡国の姫君・淀はコンプレックスを持っていたのだろうか
近江の英雄とも言われた長政を失い、義理の父である勝家も失った茶々
少女にはこの時代がどう写ったのかわからない
彼女なりに必死だった部分もあると思う
だから、『1番にはなれない』歯がゆさがあったのだろうか
関ヶ原で家康に汲みした淀は、その14年後、味方したはずの家康によって滅ぼされた
『おね・三成』対『淀・家康』が、もう一つの関ヶ原だそうだ
最期まで秀吉のため、おねのため
それしか考えていなかった三成さん(と、勝手に思ってます)
時代が時代ならきっと、処刑されずに重用されていたと思う
生まれたのがもっと先だったら
場所が違っていたら
きっと、あんな死に方はしなかったはずだと思うだけで、泣けて来る
誰も、三成さんの助命懇願をしなかったのだろうか・・・・・・・・・・
直江兼続は罪を咎められなかった
誰が彼の助命を懇願したのだろうか
どうして兼続は三成さんを助けようとしなかったのだろうか
彼は、景勝を守ることに必死だったから
だから、三成さんどころの話ではなかったのだろうか
助けられた身だから、三成さんの助命などおこがましかったのだろうか
大津城の前で生きたまま曝されたと言う三成さん
どれほど悔しかったか
どれほど恥しかった
その怨念が今も生きているのではないかと思っていた
だけど、三玄院は静かで、穏やかで、空気の流れしか感じなかった
三成さんの胸に咲く花火
刹那に儚く、だけど誰よりも輝いて、今も誰かの胸で咲いている
この時代は、切ないです
命の大切さ、生まれることの大事さを知らずに育ち、知らずに死のうとする人が多い
殺してしまう人が多い
いつから、こんな時代になってしまったんだろう
戦国時代は『主君のため』に生きた人が多かった
『義』に生きた人が多かった
決して、直江兼続だけの話じゃない
盟友である朝倉家のため、義理の兄に刀を抜いた浅井長政
18の時に人質となってしまったが、それでも懇意があったのか豊臣のために再び死地に立つ真田信繁
そして、豊臣の世のため挙兵を決した石田三成
戦国最大のヒーローは、この3人だと思う

この壁の向こうに墓や供養塔らしきものが見える
ここに、三成さんは居ないのだろうか
ただ、この記事を書いてる最中に何度も気分が悪くなったので、誰も居ないと言うわけではないだろうけど、それでも三成さんの気配は感じない
しつこいほど、感じていたいだけなのかも知れない
三成さんは、実は生きてどこかで暮らしていたことを
兼続は赦した家康が、三成さんだけは赦さなかった理由
それは、家康が唯一恐れた男が三成さんだからに相違ない
どんな手を使っても、どんな卑怯なことをしても、決して屈しなかった三成さん
絶対に、自分には下らない
ならば、殺すしかない
三成さんが主君と崇めたのは、秀吉だけなのだから
だから、家康は
最近、そう思い始めました
京都の北区にある大徳寺に収められた寺
三成さんが眠っているとされている場所
京阪から特急で終点・出町柳に降り、そこからバスで大徳寺前に行く
予定だったけど、出町柳駅前を流れる賀茂川に目を奪われ、ついつい涼んでしまった

水は冷たく、やや濁っている
が、大阪城公園の噴水の水に比べたら綺麗(当たり前か)
魚は見なかったけど、川の流れは激しく油断したら流されそうな恐怖に駆られる都会人一行(ひとりじゃ行きませんよ)
周りの地元民は迷惑だったろう(汗
しばらく賀茂川で遊び、小腹が空いたので付近の喫茶店で腹ごしらえ
お茶大好き人間のわたしは、抹茶&ほうじ茶のアイスパフェをオーダー
感動するくらいおいしかった
予定が大狂いするくらいのんびりしてしまったため、大徳寺に着いた時は夕方近かった
観光客も少なく、閑散とした雰囲気
ここに、三成さんが居るのか・・と、感動の対面を果たそうと心ワクワク

大徳寺 三玄院
お墓は見れないと予め知っていたけど、まさか拝観謝絶(中にも入れない)とは知らなかった・・
しばらく呆然とするかのように門前で佇んでいたけど、ここに三成さんの気配はなかった
念のため、三玄院の周りをぐるっと回ってみたけど、やっぱり中は空っぽだった
周囲は距離があっても、中は色んな建物が犇いているからか、観光客が殺到したらとんでもないことになりそうなくらい狭い
だからと言うのではないだろうけど、この拝観謝絶の裏に何があるのだろうかと勘繰ってしまった
ここには、三成さんは居ない
気配もない
何も感じない
安居神社に行った時も、「ここには幸村さんは居ない」と感じた
それでも夜になると、それらしき人物の気配は感じた
だけど、ここには何も感じない
感じるものがなかった
やはり六条河原じゃないとだめなんだろうか
驚いたことに、三玄院の隣の高桐院に阿国さんのお墓があった
墓場は工事中で見れなかったけど、なんとなくほんわかした気分になれた
戦国無双2の、のんびりした口調が頭に残っているからだろうか
同じ高桐院には細川ガラシャの墓もある
三成さんの計略を拒み自害した人が、三成さんのお墓のお隣さんだなんて、なんて言う因縁だろう
こんなところに墓を立てなくても、細川家なら新たに寺を建立することだってできただろう
なのに、どうして
ガラシャを自害に追い込んだのは、三成さんじゃない?
そんな、根も葉もない言葉が浮かんだ

三成さんの子孫の人だろうか、同じ石田姓の名前が裏に刻まれていた
こんな立派なご先祖様を持って、羨ましい

手の届く範囲で撮影してみた
お寺と言うより、古い民家といった感じが否めない
やっぱり、拝観したかったです
お金取られても良いから

一時は小雨が舞いしきったけど、それも直ぐ止み、綺麗な緑に染まっていた
たかが、ゲームに出てくるキャラクターの一人
所詮、大昔に死んだ人
簡単なことなのに、どうしてこんなに気になるのだろう
そう思った
三成さんは、生き急ぎすぎた
まだ花の咲く真っ盛りに、命を散らせた
自分のためではなく、大事な、誰かのために
戦国時代は、そう言う時代
蘭丸も、父親代わりになってくれた大好きな信長と、命運を共にした
たった18歳で
もしも生きて居たなら、天下を取ったのは秀吉じゃなく蘭丸だったかも知れない
たった一つの、掛け替えのないもの
それと引き換えにしても惜しくないほど、戦国時代の武将達は、誰かに愛されていた
誰かに支えられていた
今のこの時代には、考えられない、理解できない、真似できない、そんな人々の想いがこの時代にはあったんだ
三成さんは、自分のためじゃなく、大好きだった秀吉のために
大好きなおねさんのために
家康に力を削がれても、それでも歯向かった
戦った
立ち向かった
大事な何かを守るために
戦国無双2のムービーに、こんなセリフがある
「もしも俺が死んだら、俺との友情に生きると言ったお前はどうなるのだろうと思ってな」
そう言ったのは、殿である石田三成
これは今の時代の人間が書いた台本だから、三成さんのセリフも死を覚悟している人間のものになっている
史実の三成さんは、最後まで諦めなかった
捕縛され、処刑されるまで生き恥を曝され、到底人が耐えられないような辱めを受け、それでも諦めなかった
最後の最後まで、家康に一矢報いることを諦めなかった
その遺志は真田信繁へと受け継がれ、戦国最大のヒーロー・真田幸村が誕生した
戦国時代の戦は、常に私欲が絡んでいた
そうじゃなかったのは、三成さんくらいなものだと思う
謙信の時代かどうかわからないが、上杉の時代には人身売買で利益を得ていた事実があるそうだ
それを知ったからか、謙信もさほど美しい(見た目とかではなく)人間ではなかったのだろうかと思った
贔屓目もあると思う
だけど、三成さんの生き方は美しいと思う
関ヶ原は、三成さんと狸との戦いではなく、おねさんと淀君との戦いでもあったそうだ
正室と側室
戦国随一の賢婦とも謳われるおねさんに対し、亡国の姫君・淀はコンプレックスを持っていたのだろうか
近江の英雄とも言われた長政を失い、義理の父である勝家も失った茶々
少女にはこの時代がどう写ったのかわからない
彼女なりに必死だった部分もあると思う
だから、『1番にはなれない』歯がゆさがあったのだろうか
関ヶ原で家康に汲みした淀は、その14年後、味方したはずの家康によって滅ぼされた
『おね・三成』対『淀・家康』が、もう一つの関ヶ原だそうだ
最期まで秀吉のため、おねのため
それしか考えていなかった三成さん(と、勝手に思ってます)
時代が時代ならきっと、処刑されずに重用されていたと思う
生まれたのがもっと先だったら
場所が違っていたら
きっと、あんな死に方はしなかったはずだと思うだけで、泣けて来る
誰も、三成さんの助命懇願をしなかったのだろうか・・・・・・・・・・
直江兼続は罪を咎められなかった
誰が彼の助命を懇願したのだろうか
どうして兼続は三成さんを助けようとしなかったのだろうか
彼は、景勝を守ることに必死だったから
だから、三成さんどころの話ではなかったのだろうか
助けられた身だから、三成さんの助命などおこがましかったのだろうか
大津城の前で生きたまま曝されたと言う三成さん
どれほど悔しかったか
どれほど恥しかった
その怨念が今も生きているのではないかと思っていた
だけど、三玄院は静かで、穏やかで、空気の流れしか感じなかった
三成さんの胸に咲く花火
刹那に儚く、だけど誰よりも輝いて、今も誰かの胸で咲いている
この時代は、切ないです
命の大切さ、生まれることの大事さを知らずに育ち、知らずに死のうとする人が多い
殺してしまう人が多い
いつから、こんな時代になってしまったんだろう
戦国時代は『主君のため』に生きた人が多かった
『義』に生きた人が多かった
決して、直江兼続だけの話じゃない
盟友である朝倉家のため、義理の兄に刀を抜いた浅井長政
18の時に人質となってしまったが、それでも懇意があったのか豊臣のために再び死地に立つ真田信繁
そして、豊臣の世のため挙兵を決した石田三成
戦国最大のヒーローは、この3人だと思う

この壁の向こうに墓や供養塔らしきものが見える
ここに、三成さんは居ないのだろうか
ただ、この記事を書いてる最中に何度も気分が悪くなったので、誰も居ないと言うわけではないだろうけど、それでも三成さんの気配は感じない
しつこいほど、感じていたいだけなのかも知れない
三成さんは、実は生きてどこかで暮らしていたことを
兼続は赦した家康が、三成さんだけは赦さなかった理由
それは、家康が唯一恐れた男が三成さんだからに相違ない
どんな手を使っても、どんな卑怯なことをしても、決して屈しなかった三成さん
絶対に、自分には下らない
ならば、殺すしかない
三成さんが主君と崇めたのは、秀吉だけなのだから
だから、家康は
最近、そう思い始めました
PR
- ABOUT
画像は外部入力のため、サーバー落ちなどで所々抜けている部分もありますが、ご了承ください。
- 最新記事
(08/02)
(12/11)
(12/11)
(12/11)
(12/08)
- カテゴリー
- 解析
- ありがとうございます
- 御用のある方は、こちらへどうぞ
コピペでお願いします
mail to:
haruhi121@yahoo.co.jp
haruhi121@yahoo.co.jp
メールタイトルにブログタイトルを付けていただけると、見付けやすいです