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All that be for Haruhi. @千極一夜
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アマゾンで石田三成関連本を買いました
それが今日届いたので(アマゾン、早すぎ)、先ずは司馬遼太郎氏の『関ヶ原』から始めました
司馬作品では三成さんは随分男前に描かれてます
色白で切れ長の目で、目元が涼しい
全身に緊張感を漂わせた不思議な雰囲気を持つ人で、男も女も惹かれるような人物像になってます
40近くになっても童顔で、若い頃に召抱えられた島左近は三成さんを見て「秀吉の寵児か」と思っていた様子
その後で「秀吉に衆道の気はないし」と付け足されてたので、恐らくそっちの方の『寵児』と言う意味合いだったのだろう(事実は違うそうだけど)
しかし、三成さんが男前だったと言う記述を未だ嘗て見たことがないので、例え創作としてもちょっと嬉しい
この作品が世に出たのが昭和の時代
わたしが生まれる遥か昔のことで、今のように三成さんの研究も解明されていない時期だったのか、三成さんを扱ったウェブサイトで読み知りしたものと若干異なってました
例えば勝家と市さんが自害した賤ヶ岳の戦いの解説
加藤清正ら賤ヶ岳七本槍の次に三成さんが手柄を取ったと『関ヶ原』には書かれていたけど、実際はその逆だったことが近年の研究でわかって来たらしいですし、『関ヶ原』では秀吉の奥さん、おねさんと三成さんの仲が悪くて、三成さんは淀君派だったと書かれてます
が、これも最近の解明で三成さんはおねさん派であることが明らかになって来てます
先日書いた記事にもありますが、関ヶ原は『おね・三成』VS『淀・家康』であることから、この『関ヶ原』は歴史上に人物の名を使っただけの80%創作物であり事実とは異なるものだと言うことを頭に入れておかないと、『頭がおかしく』なります
で、実際読んで頭がおかしくなりそうになった辺りで、もう一冊買った『石田三成』から先に読もうと思ってます
こちらの発刊年が2006年なので、石田三成の研究解明もかなり進んだ時期のものなので、『関ヶ原』とは違う三成さんに逢えるのではないかと思い

NHK取材の『その時歴史が動いた』のコミックもでたらめばかりな内容で呆れたけど(武田信玄、真田昌幸、信繁親子、石田三成編で、正しく書かれたものがほとんどなかった。こんなひどいものを公然と売ってる出版社の気が知れない。買ったあたしはバカだ)
そして、調べてわかった誤りがあって、三成さんの奥さんと、真田とーちゃんの奥さんが姉妹と書かれていて、なんだか納得できない部分がありました
と言うのも、三成さんと信繁の年齢差が6〜7歳(信繁の生まれがはっきりしないため)
どんだけ年の離れた姉妹やねん。て話です
この疑問を解決してくれたのが、『石田三成』と言う本でした
真田とーちゃんの奥さんと三成さんの奥さんが姉妹なんじゃなくて、真田とーちゃんの娘が三成さんの奥さんの兄弟(宇田頼重)のとこに嫁いだってことでした

全く、信用できねーなぁ、『その時歴史が動いた』コミック版は


そんなこんなで、最近どっぷり殿に浸かっている毎日ですが、早く猛将伝をやりたいです
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