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All that be for Haruhi. @千極一夜 |
- The blog site of only an Sengoku Musou2 (Samurai Warriors 2). By Haruhi -
殿ばっかりです
すんません
この時代の男色は、人が息するのと同じくらい当たり前の風習と見られてました
仕えた主君に寵愛(性的愛情)を受けるのが、美少年の条件でもあったようです
狸親父も長く井伊直政を愛していたそうですし、いつまでも相手をさせたかったから元服を遅くさせたとの説もあるくらい
親愛なる三成さんの容貌もだいたいわかって来て、不細工じゃなかったのが嬉しい
この頃の寺と言うのは女色を禁じられてましたが、男色は禁じられてなかったので武家より激しかったようです
検索した時くらいにしか読まない2chには中々目にできないような歴史の裏と言うものを知っている人が多いようで、ここでも面白いものが色々発見できます
秀吉の小姓になる前は寺の小姓をやっていた三成さん
サイトによっては「家が貧乏だったから口減らしで寺に預けられていた」と言うのもあるし、わたしが買った本の中では「頭が良いからその才能を伸ばそうと、寺に預けられていた」(寺では様々な学問を学ばされるようです)と言うのもあるし
と言うことは、男色のメッカ(聖地?)である寺に居たのだから、当然相手はさせられていたのだろうか・・と思い、じゃぁ、三成さんの相手をした小姓とかも居るのかしらと検索してみましたが、見付けられずに他の事実が判明
やっぱり三成さんも寺小姓時代、男色の相手をしていたようです
しかも、秀吉が三成さんを見初めた時の感想のようなものもあって、「美少年で頭が良い三成を一目見て気に入り、召抱えた」そうです
戦国時代で男色に手を伸ばさなかったのは秀吉くらいなものだった。とWikiにも色んなサイトにも書かれてますが、それは当時『男色は武士としての嗜みであり女色より高尚な行為だった』とあり、秀吉は男色のもできない愚か者と、徳川幕府が秀吉を蔑んだ書き方を好んだそうです
つまり、秀吉も一人前に男色に手を出しており、その相手が三成さんだったそうです
(そこでは「だったのではないか」と言う仮説風にされてましたが)
と言うことは、男には困らない(ヘンな表現だが)寺でも男色の相手を務め、秀吉の相手もしてたと言うのだから、やっぱり三成さんは男前だったんだわ〜!
と、三成さんが美男子だった確たる証拠を掴み、かなり嬉しいわたしです
いえ、男色がどうのとではなく、男色の相手ができるのは数居る男の中でもやはり、選りすぐりの美少年だけだと思っただけのことでございます
死ぬまで秀吉の寵愛を受けた三成さん
(肉体関係の有無はともかくとして)
西洋風の男前だったからか、信長にも気に入られていたと言うのもあながち嘘とも思えなくなって来た
信長が西洋かぶれだったから、三成さんはストライクゾーンど真ん中だったんだろうなぁ・・と思った
そんでもって、絶対食われてるとも思った
やおい的な意見ではなくて、男に食われるのが美少年の条件のような時代だったから、三成さんって相当の男前だったんだわーと、嬉しくなっただけです
その上中年期過ぎても童顔だったらしいし
三成さんの隠れた事実の端っこを掴んだのと同時に、面白い検証も見付けた
子種を残すのは必須だったこの時代に、独身、あるいは子供が極端に少ない武将の何れもが『男色家』だったそうだ
昨日読んだところでは、鬼柴田こと柴田勝家は信長から「衆道も、たいがいにしとけ」と言う内容の手紙をよこされたらしい
信長に言われたら、お仕舞のような気がした(っぷ
後家(結婚が遅い)で、その上子供も居ないし
柴田
直江兼続も結婚が遅かった
と言うか、景勝の命令で婿養子に行ったのが直江家
夫婦仲は良かったのに、子供が一人だけ
奥さんの体の都合(例えば子供が生めない体になったとか)だったのかも知れないけど、側室も居ない武将は多かれ少なかれ男色家なのだそうだ
そもそも兼続は、直江家の断絶を惜しんだ景勝の命令で知りもしない女性と結婚したのだし、奥さんとの間に愛情があったとしても肉体的な繋がりは薄いんじゃないかと思った
その兼続だが、幼少の頃より優れた容姿の持ち主だったのだから、謙信の寵愛(肉体的愛情)を受けただとか書かれていたが、謙信そのもの衆道は、周りがうるさいからとりあえずやってただけのことのようです
特に男が好きってわけじゃなさそうです
しかしまぁ、場所によっては『美少年バカ』とまで書かれてるし、どっちが正しいのかちょっとわかんないです
で、その謙信に寵愛(特に可愛がられたいた)のが北条氏秀(上杉景虎)と景勝で、この二人とどんな関係があったのかは知りませんが、とりあえず兼続が寵愛を受けたと言う記述はありませんでした
じゃぁ、兼続は景勝に寵愛されていたのかと言うと、景勝には景勝でお気に入りの小姓(男色の相手)が居たそうで、兼続は相手にされてなかったそうです
なんだか、直江家の養子に進めたのも、厄介払いされたんじゃないかって気がしなくもないけど、景勝に盲目的な兼続はきっと、「直江を守れるのはお前だけだ。信用できるからこそ、お前を婿にやるのだ」とか言われて、ころっと騙されたんじゃないかと勝手に想像してしまって、なんか笑ってしまう
いくら主君の命令でも、縁談じゃなく強引なこの話を受けるだなんて、よぽど景勝が好きだったのねー
その後、直江家を守ることより上杉の家を守ることに一生懸命だし
なんだか、報われない愛よねぇ・・(しみじみ
謙信にも景勝にも相手にされてなかった兼続
まぁ、全く相手にされなかったわけでもなく、可能性としては『景勝&兼続』のようですが、信憑性には欠けるようです
なんか、気の毒になって来た・・・・・・・・・・・・・・・
その景勝も奥さん一人に側室一人、子供も一人
男色家だったそうです(汗
西軍敗北の原因を作った小早川秀秋は、伊達政宗の側近・小十郎の息子のケツを追い駆け回してたとか、ガラシャの旦那さんも衆道やってたとかなんかもう、笑ってしまって仕方がない
秀秋は関ヶ原当時19歳だったのに、それでも男のケツ追い駆け回せるだけの元気があったんだなーとしみじみ
で、『二代重長譜』を検索したら小十郎が出て来て、「男からも惚れられるほど美男子だった」とあり、何だよ、戦国時代って男前ばっかりかよとやや、うんざり
しかも秀秋が男色家だったことも判明
秀秋ー!
あたしゃ、悲しいよ・・(Byおね)
で、政宗と二代目小十郎は衆道の間柄
(『小十郎』は代々受け継がれた通称で、政宗の相手は片腕で有名な小十郎ではなく、その息子のこと)
ぐっじょぶ
とりあえずわかった有名武将では、どこにでも書かれてるものばっかりで恐縮だけど
武田信玄―春日虎綱(高坂昌信)-信玄の虎綱宛のラブレターが残ってるのは有名な話
織田信長―前田利家-『亜相公御夜話』に残されている
伊達政宗―片倉重長(二代目小十郎)-重長が浮気したと勘違いして摂関し、それを謝罪する手紙が残っているらしい
徳川家康―井伊直政-直政に未練があったので、元服を遅らせたらしい
これは確たる証拠があるようで、揺ぎない事実
豊臣秀吉―石田三成(信長にも掘られてた可能性あり?)
上杉謙信or景勝―直江兼続(どっちに掘られてたのか定かではない)
「かも知れない」程度の話ですが、無きにしも非ずな感覚
ぶっちゃけ男色には興味ないし、覗いてみたいとも思わないので、Wikiにも書かれてるカップルしか書きません
探せば他にも色々出て来ましたけどね
阿国さんの愛人で有名な名古屋山三郎と蒲生なんたら(名前忘れた・・)とか
当たり前な行為だったけど、今となっては隠れた文化になり、やおい族のエサにしかならない衆道ですが、この当時は命を投げ打ってでも自分を守ってくれる人間の存在が必要だったので、体を繋げることで絆を深めたのでしょう
でもまぁ、信長(当時の男前の代表格)ならともかく、猿顔の秀吉に気持ち良いことされたってあんまり燃えないんじゃないかと思うのはあたしだけかも知んないけど、それでも気持ちよかったのね、三成さん・・
ここまでで大体見付かった戦国時代の男前
春日虎綱(高坂昌信)-お屋形様のお墨付きじゃー!
織田信長-余は女ではないぞよー!
前田利家-マッチョも範囲内!(By信長)
長宗我部元親-『姫若子』=『美少年』かどうかは、わからんきにのー!でも一応じゃー!
浅井長政-藤の花もぞっこんじゃー!
北条氏秀(上杉景虎)-毘沙門天のお墨付きじゃー!
石田三成-魔王&太閤&観音寺のお墨付きじゃー!
直江兼続-そう書いてるサイトが多すぎじゃー!
井伊直政-狸もぞっこんじゃー!
片倉重長-独眼竜のお手付きじゃー!
2chに書かれてた男前
明智光秀-さすがガラシャのおとん
宇喜多親子-意外だー
大野治長-誰
木村重成-目から鱗
片倉景長-初代小十郎?
松永久秀-名器で爆死
また見付かったら追加します
すんません
この時代の男色は、人が息するのと同じくらい当たり前の風習と見られてました
仕えた主君に寵愛(性的愛情)を受けるのが、美少年の条件でもあったようです
狸親父も長く井伊直政を愛していたそうですし、いつまでも相手をさせたかったから元服を遅くさせたとの説もあるくらい
親愛なる三成さんの容貌もだいたいわかって来て、不細工じゃなかったのが嬉しい
この頃の寺と言うのは女色を禁じられてましたが、男色は禁じられてなかったので武家より激しかったようです
検索した時くらいにしか読まない2chには中々目にできないような歴史の裏と言うものを知っている人が多いようで、ここでも面白いものが色々発見できます
秀吉の小姓になる前は寺の小姓をやっていた三成さん
サイトによっては「家が貧乏だったから口減らしで寺に預けられていた」と言うのもあるし、わたしが買った本の中では「頭が良いからその才能を伸ばそうと、寺に預けられていた」(寺では様々な学問を学ばされるようです)と言うのもあるし
と言うことは、男色のメッカ(聖地?)である寺に居たのだから、当然相手はさせられていたのだろうか・・と思い、じゃぁ、三成さんの相手をした小姓とかも居るのかしらと検索してみましたが、見付けられずに他の事実が判明
やっぱり三成さんも寺小姓時代、男色の相手をしていたようです
しかも、秀吉が三成さんを見初めた時の感想のようなものもあって、「美少年で頭が良い三成を一目見て気に入り、召抱えた」そうです
戦国時代で男色に手を伸ばさなかったのは秀吉くらいなものだった。とWikiにも色んなサイトにも書かれてますが、それは当時『男色は武士としての嗜みであり女色より高尚な行為だった』とあり、秀吉は男色のもできない愚か者と、徳川幕府が秀吉を蔑んだ書き方を好んだそうです
つまり、秀吉も一人前に男色に手を出しており、その相手が三成さんだったそうです
(そこでは「だったのではないか」と言う仮説風にされてましたが)
と言うことは、男には困らない(ヘンな表現だが)寺でも男色の相手を務め、秀吉の相手もしてたと言うのだから、やっぱり三成さんは男前だったんだわ〜!
と、三成さんが美男子だった確たる証拠を掴み、かなり嬉しいわたしです
いえ、男色がどうのとではなく、男色の相手ができるのは数居る男の中でもやはり、選りすぐりの美少年だけだと思っただけのことでございます
死ぬまで秀吉の寵愛を受けた三成さん
(肉体関係の有無はともかくとして)
西洋風の男前だったからか、信長にも気に入られていたと言うのもあながち嘘とも思えなくなって来た
信長が西洋かぶれだったから、三成さんはストライクゾーンど真ん中だったんだろうなぁ・・と思った
そんでもって、絶対食われてるとも思った
やおい的な意見ではなくて、男に食われるのが美少年の条件のような時代だったから、三成さんって相当の男前だったんだわーと、嬉しくなっただけです
その上中年期過ぎても童顔だったらしいし
三成さんの隠れた事実の端っこを掴んだのと同時に、面白い検証も見付けた
子種を残すのは必須だったこの時代に、独身、あるいは子供が極端に少ない武将の何れもが『男色家』だったそうだ
昨日読んだところでは、鬼柴田こと柴田勝家は信長から「衆道も、たいがいにしとけ」と言う内容の手紙をよこされたらしい
信長に言われたら、お仕舞のような気がした(っぷ
後家(結婚が遅い)で、その上子供も居ないし
柴田
直江兼続も結婚が遅かった
と言うか、景勝の命令で婿養子に行ったのが直江家
夫婦仲は良かったのに、子供が一人だけ
奥さんの体の都合(例えば子供が生めない体になったとか)だったのかも知れないけど、側室も居ない武将は多かれ少なかれ男色家なのだそうだ
そもそも兼続は、直江家の断絶を惜しんだ景勝の命令で知りもしない女性と結婚したのだし、奥さんとの間に愛情があったとしても肉体的な繋がりは薄いんじゃないかと思った
その兼続だが、幼少の頃より優れた容姿の持ち主だったのだから、謙信の寵愛(肉体的愛情)を受けただとか書かれていたが、謙信そのもの衆道は、周りがうるさいからとりあえずやってただけのことのようです
特に男が好きってわけじゃなさそうです
しかしまぁ、場所によっては『美少年バカ』とまで書かれてるし、どっちが正しいのかちょっとわかんないです
で、その謙信に寵愛(特に可愛がられたいた)のが北条氏秀(上杉景虎)と景勝で、この二人とどんな関係があったのかは知りませんが、とりあえず兼続が寵愛を受けたと言う記述はありませんでした
じゃぁ、兼続は景勝に寵愛されていたのかと言うと、景勝には景勝でお気に入りの小姓(男色の相手)が居たそうで、兼続は相手にされてなかったそうです
なんだか、直江家の養子に進めたのも、厄介払いされたんじゃないかって気がしなくもないけど、景勝に盲目的な兼続はきっと、「直江を守れるのはお前だけだ。信用できるからこそ、お前を婿にやるのだ」とか言われて、ころっと騙されたんじゃないかと勝手に想像してしまって、なんか笑ってしまう
いくら主君の命令でも、縁談じゃなく強引なこの話を受けるだなんて、よぽど景勝が好きだったのねー
その後、直江家を守ることより上杉の家を守ることに一生懸命だし
なんだか、報われない愛よねぇ・・(しみじみ
謙信にも景勝にも相手にされてなかった兼続
まぁ、全く相手にされなかったわけでもなく、可能性としては『景勝&兼続』のようですが、信憑性には欠けるようです
なんか、気の毒になって来た・・・・・・・・・・・・・・・
その景勝も奥さん一人に側室一人、子供も一人
男色家だったそうです(汗
西軍敗北の原因を作った小早川秀秋は、伊達政宗の側近・小十郎の息子のケツを追い駆け回してたとか、ガラシャの旦那さんも衆道やってたとかなんかもう、笑ってしまって仕方がない
秀秋は関ヶ原当時19歳だったのに、それでも男のケツ追い駆け回せるだけの元気があったんだなーとしみじみ
で、『二代重長譜』を検索したら小十郎が出て来て、「男からも惚れられるほど美男子だった」とあり、何だよ、戦国時代って男前ばっかりかよとやや、うんざり
しかも秀秋が男色家だったことも判明
秀秋ー!
あたしゃ、悲しいよ・・(Byおね)
で、政宗と二代目小十郎は衆道の間柄
(『小十郎』は代々受け継がれた通称で、政宗の相手は片腕で有名な小十郎ではなく、その息子のこと)
ぐっじょぶ
とりあえずわかった有名武将では、どこにでも書かれてるものばっかりで恐縮だけど
武田信玄―春日虎綱(高坂昌信)-信玄の虎綱宛のラブレターが残ってるのは有名な話
織田信長―前田利家-『亜相公御夜話』に残されている
伊達政宗―片倉重長(二代目小十郎)-重長が浮気したと勘違いして摂関し、それを謝罪する手紙が残っているらしい
徳川家康―井伊直政-直政に未練があったので、元服を遅らせたらしい
これは確たる証拠があるようで、揺ぎない事実
豊臣秀吉―石田三成(信長にも掘られてた可能性あり?)
上杉謙信or景勝―直江兼続(どっちに掘られてたのか定かではない)
「かも知れない」程度の話ですが、無きにしも非ずな感覚
ぶっちゃけ男色には興味ないし、覗いてみたいとも思わないので、Wikiにも書かれてるカップルしか書きません
探せば他にも色々出て来ましたけどね
阿国さんの愛人で有名な名古屋山三郎と蒲生なんたら(名前忘れた・・)とか
当たり前な行為だったけど、今となっては隠れた文化になり、やおい族のエサにしかならない衆道ですが、この当時は命を投げ打ってでも自分を守ってくれる人間の存在が必要だったので、体を繋げることで絆を深めたのでしょう
でもまぁ、信長(当時の男前の代表格)ならともかく、猿顔の秀吉に気持ち良いことされたってあんまり燃えないんじゃないかと思うのはあたしだけかも知んないけど、それでも気持ちよかったのね、三成さん・・
ここまでで大体見付かった戦国時代の男前
春日虎綱(高坂昌信)-お屋形様のお墨付きじゃー!
織田信長-余は女ではないぞよー!
前田利家-マッチョも範囲内!(By信長)
長宗我部元親-『姫若子』=『美少年』かどうかは、わからんきにのー!でも一応じゃー!
浅井長政-藤の花もぞっこんじゃー!
北条氏秀(上杉景虎)-毘沙門天のお墨付きじゃー!
石田三成-魔王&太閤&観音寺のお墨付きじゃー!
直江兼続-そう書いてるサイトが多すぎじゃー!
井伊直政-狸もぞっこんじゃー!
片倉重長-独眼竜のお手付きじゃー!
2chに書かれてた男前
明智光秀-さすがガラシャのおとん
宇喜多親子-意外だー
大野治長-誰
木村重成-目から鱗
片倉景長-初代小十郎?
松永久秀-名器で爆死
また見付かったら追加します
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随分前の話になりますが、不要になったBASARA2を引き取ってくれた友人から電話がありました
「おい、BASARAにコンボイいるぞ!」
コアなこと、言い出すねぇ
そんなの知ってるの、アニメファンか声優ファンくらいなもんだよ
ちなみにコンボイとは、ビーストウォーズシリーズの善玉側のリーダーの名前である
来年初めまでYahoo動画(国内回線のみ視聴可能)タダで見れます
結構面白いです
ただしわたしは、メディア・プレーヤーをヴァージョン11にアップしてしまったため見れません
本末転倒ではないか(By殿
殿ばっかりですねー
前は好きでもなかったのに、戦国無双2で殿に惹かれてから史実の石田三成にも興味を持ち、サイトやら文献やら読み、ますます好きになりました
影の部分も確かにある人ですが、そう言うのは当時の武将なら誰でも持ってるもので、NHKの大河にもなった直江兼続だって『愛』だの『義』だのばかりの人じゃなく、謀だって平気でした人です
汚れた部分の存在する人なんですよね
春日山城時代は結託して、景勝が謙信の後継者になるよう遺言を改竄したり、謙信が寵愛した後継者候補筆頭の氏秀を謀殺まがいの自刃に追い込むし(ミニ関ヶ原か?)、三成さんを関ヶ原に立たせるようなことをしておいて、そのくせ本人(兼続)は全然役に立ってないし、ちゃっかり生き残ってるし
豊臣恩顧のクセに大坂の陣では大坂城を攻めてるし、なのに家康には誉められてるし、わけわかんねーっすわ
要するに、兼続は三成さんと違って柔軟性があったんでしょうね
『石田三成』で家康が「豊臣恩顧の身で、誰も彼も保身に走り、炎上する大坂城を今も攻撃し続けている」と悪態を吐きますが、その中には景勝や兼続も居たわけで、三成さんを知ると同時に兼続が大ッ嫌いになりました
と言っても、元々史実の直江兼続には一切興味がないので、どうでもええですし、わたしが好きなのはゲームの方のナオなので関係ありませんが
兼続はあの世で三成さんに、なんて言い訳したんでしょうね
ゲームの方では本人が守り切れなかった『義』を貫いた
けど、やっぱりどっかアホなナオが好きです
それにしてもやっぱり腹が立つ直江兼続
どこが義に生きた男なんだ
兼続の頭には、『景勝』の文字しかねーじゃねーか
景勝を守るためなら、長年親交のあった友達ですら平気で切り捨てるような人間のどこが、『義に生きた男』なんだよ、ボケ
友達すら捨ててしまう男が守ろうとしたのは上杉の家だけで、引いては謙信の家を守ろうとしたわけで、そんなに謙信に心酔してたんかい、お前は
まぁ、三成さんも必死で豊臣の世を守ろうとしたわけだけど、なんか兼続には崇高さがない
形振り構わず汚れていく兼続と三成さんとじゃ、比べるべくもないが
男ってのは、時として社長(この時代では主君か)や家族よりも守らなきゃなんねーもんが、あるんじゃないですかい?
あたしは男じゃないから、わかりませんけど(本末転倒かい
しょうがないとは思うんだけど、どうしても割り切れないこの胸のもやもや
自分の直ぐ側に景勝や兼続が陣を張っていたのを、信繁はどんな気持ちでやり過ごしたんだろう
哀れで仕方ない
こんな偽『義』の男を題材にするなんて、NHKもいよいよネタ切れなんですねぇ
直江兼続の後は織田信長に戻りそうな気がします(笑
三成さんが死んでから、この世には大事なものがたくさんなくなった
『義』と言う言葉と、『不正を許さない』姿勢
三成さんは、人が持っていて当たり前だけど、失いがちなものを全部、持って行ってしまった
残された人達は、自分のやっていることを正当化するので精一杯だ
家康が最も恐れたのは、やっぱり三成さんだったと思う
どこかの書籍には、「家康が最も恐れたのは上杉景勝と直江兼続だった」って言う内容のものがあるけど、家康はこの二人の牙を簡単に折ってしまった
そして、あっさりと服従させてしまった
家康に尻尾を振ったこの二人が、恐れられていたとは思えない
真田親子も、家康が恐れた男だと上げられているが、この二人も信之の恩赦もあってか命は助かっている
家康に逆らって首を撥ねられたのは、三成さんだけだった(小西も居るが)
家康は何故、三成さんだけを殺したんだろう(小西も居るが)
三成さんは優男だけど、不屈の精神の持ち主だったからだ
例え逆らったとしても、三成さんほど有能な人間を殺してしまうなんて、もったいない話だと思う
だけど、何があっても三成さんは、家康には尻尾を振ったりはしなかった
捕縛されてから処刑まで、随分と日数があった
その間に何があったのか、わたしは知ることができない
でも、優秀な人材が欲しい家康には、涎の出る相手だったとは思う
もしかしたら、信繁にまつわる逸話「高い石高で勧誘した」って話は、三成さんとの話だったのかも知れない(漠然としない妄想だが)
それでも、首を縦に振らなかった
「隙あらば、あなたの首を掻きます」
なんとなく、言いそうな気がした
三成さんなら
知ってる人じゃないから、妄想とか願望とかの類だけど
官職を辞任させ、佐和山に閉じ込め、それでも豊臣の世を守ろうとした忠義心は、何よりも勝る
大事な何かを守ろうとする人間は、強い
姑息な手段を使わないと、家康はちっぽけな力でしかないはずの三成さんには勝てなかったのだ
金をばら撒く今の政治家と同じことをやって、それでやっと勝てたんだよね
情けないよね、三河武士も
19万石の小大名が、250万石の大大名に勝負を掛けて一時は五分にまで持っていくなんて、すごいと思う
結局は勝てなかったけど、あの世で三成さんはきっと、秀吉に誉められてると思う
「三成はわしの誇りじゃ!」ってさ
上杉の家は兼続によって守られたけど、その下にはたくさんの犠牲になった人達が居て、その中には三成さんもこっそり入ってて、でも、何かを守るには何かを犠牲にしなきゃならないのだろうけど、人を犠牲にした上で成り立つ未来って、なんだろう
自分の大事な何かを守るのに、他人を犠牲にして良いのかな・・と、綺麗事を並べてみた
わたしは、自分の大事なものを守るのに、他人を犠牲にはしたくないし、しないよう努力したいと思った
「おい、BASARAにコンボイいるぞ!」
コアなこと、言い出すねぇ
そんなの知ってるの、アニメファンか声優ファンくらいなもんだよ
ちなみにコンボイとは、ビーストウォーズシリーズの善玉側のリーダーの名前である
来年初めまでYahoo動画(国内回線のみ視聴可能)タダで見れます
結構面白いです
ただしわたしは、メディア・プレーヤーをヴァージョン11にアップしてしまったため見れません
本末転倒ではないか(By殿
殿ばっかりですねー
前は好きでもなかったのに、戦国無双2で殿に惹かれてから史実の石田三成にも興味を持ち、サイトやら文献やら読み、ますます好きになりました
影の部分も確かにある人ですが、そう言うのは当時の武将なら誰でも持ってるもので、NHKの大河にもなった直江兼続だって『愛』だの『義』だのばかりの人じゃなく、謀だって平気でした人です
汚れた部分の存在する人なんですよね
春日山城時代は結託して、景勝が謙信の後継者になるよう遺言を改竄したり、謙信が寵愛した後継者候補筆頭の氏秀を謀殺まがいの自刃に追い込むし(ミニ関ヶ原か?)、三成さんを関ヶ原に立たせるようなことをしておいて、そのくせ本人(兼続)は全然役に立ってないし、ちゃっかり生き残ってるし
豊臣恩顧のクセに大坂の陣では大坂城を攻めてるし、なのに家康には誉められてるし、わけわかんねーっすわ
要するに、兼続は三成さんと違って柔軟性があったんでしょうね
『石田三成』で家康が「豊臣恩顧の身で、誰も彼も保身に走り、炎上する大坂城を今も攻撃し続けている」と悪態を吐きますが、その中には景勝や兼続も居たわけで、三成さんを知ると同時に兼続が大ッ嫌いになりました
と言っても、元々史実の直江兼続には一切興味がないので、どうでもええですし、わたしが好きなのはゲームの方のナオなので関係ありませんが
兼続はあの世で三成さんに、なんて言い訳したんでしょうね
ゲームの方では本人が守り切れなかった『義』を貫いた
けど、やっぱりどっかアホなナオが好きです
それにしてもやっぱり腹が立つ直江兼続
どこが義に生きた男なんだ
兼続の頭には、『景勝』の文字しかねーじゃねーか
景勝を守るためなら、長年親交のあった友達ですら平気で切り捨てるような人間のどこが、『義に生きた男』なんだよ、ボケ
友達すら捨ててしまう男が守ろうとしたのは上杉の家だけで、引いては謙信の家を守ろうとしたわけで、そんなに謙信に心酔してたんかい、お前は
まぁ、三成さんも必死で豊臣の世を守ろうとしたわけだけど、なんか兼続には崇高さがない
形振り構わず汚れていく兼続と三成さんとじゃ、比べるべくもないが
男ってのは、時として社長(この時代では主君か)や家族よりも守らなきゃなんねーもんが、あるんじゃないですかい?
あたしは男じゃないから、わかりませんけど(本末転倒かい
しょうがないとは思うんだけど、どうしても割り切れないこの胸のもやもや
自分の直ぐ側に景勝や兼続が陣を張っていたのを、信繁はどんな気持ちでやり過ごしたんだろう
哀れで仕方ない
こんな偽『義』の男を題材にするなんて、NHKもいよいよネタ切れなんですねぇ
直江兼続の後は織田信長に戻りそうな気がします(笑
三成さんが死んでから、この世には大事なものがたくさんなくなった
『義』と言う言葉と、『不正を許さない』姿勢
三成さんは、人が持っていて当たり前だけど、失いがちなものを全部、持って行ってしまった
残された人達は、自分のやっていることを正当化するので精一杯だ
家康が最も恐れたのは、やっぱり三成さんだったと思う
どこかの書籍には、「家康が最も恐れたのは上杉景勝と直江兼続だった」って言う内容のものがあるけど、家康はこの二人の牙を簡単に折ってしまった
そして、あっさりと服従させてしまった
家康に尻尾を振ったこの二人が、恐れられていたとは思えない
真田親子も、家康が恐れた男だと上げられているが、この二人も信之の恩赦もあってか命は助かっている
家康に逆らって首を撥ねられたのは、三成さんだけだった(小西も居るが)
家康は何故、三成さんだけを殺したんだろう(小西も居るが)
三成さんは優男だけど、不屈の精神の持ち主だったからだ
例え逆らったとしても、三成さんほど有能な人間を殺してしまうなんて、もったいない話だと思う
だけど、何があっても三成さんは、家康には尻尾を振ったりはしなかった
捕縛されてから処刑まで、随分と日数があった
その間に何があったのか、わたしは知ることができない
でも、優秀な人材が欲しい家康には、涎の出る相手だったとは思う
もしかしたら、信繁にまつわる逸話「高い石高で勧誘した」って話は、三成さんとの話だったのかも知れない(漠然としない妄想だが)
それでも、首を縦に振らなかった
「隙あらば、あなたの首を掻きます」
なんとなく、言いそうな気がした
三成さんなら
知ってる人じゃないから、妄想とか願望とかの類だけど
官職を辞任させ、佐和山に閉じ込め、それでも豊臣の世を守ろうとした忠義心は、何よりも勝る
大事な何かを守ろうとする人間は、強い
姑息な手段を使わないと、家康はちっぽけな力でしかないはずの三成さんには勝てなかったのだ
金をばら撒く今の政治家と同じことをやって、それでやっと勝てたんだよね
情けないよね、三河武士も
19万石の小大名が、250万石の大大名に勝負を掛けて一時は五分にまで持っていくなんて、すごいと思う
結局は勝てなかったけど、あの世で三成さんはきっと、秀吉に誉められてると思う
「三成はわしの誇りじゃ!」ってさ
上杉の家は兼続によって守られたけど、その下にはたくさんの犠牲になった人達が居て、その中には三成さんもこっそり入ってて、でも、何かを守るには何かを犠牲にしなきゃならないのだろうけど、人を犠牲にした上で成り立つ未来って、なんだろう
自分の大事な何かを守るのに、他人を犠牲にして良いのかな・・と、綺麗事を並べてみた
わたしは、自分の大事なものを守るのに、他人を犠牲にはしたくないし、しないよう努力したいと思った
殿ばっかりだねー
他にすることないんかね
あるけど、後回しにしちゃってるんだよねー・・(汗
司馬遼太郎著の「関ヶ原」を読み始めました
なんか、左近を中心に話が進んでるので、萎え
三成さんが奥さん以外の人と合体しちゃって、萎え
なんかもう、読む気が失せた
やっぱこういう、海のものとも山のものともわからないものは、古本屋で探した方が良いですわ
関ヶ原は古い時代に書かれたものだから、今のように三成さんの生い立ちや生き方があまりわかってなかったから、今は覆されてることが多く書かれてて、それも萎えた理由
関ヶ原では三成さんとおねさんの仲が悪くて、三成さんと茶々の仲が良好だと書かれてましたが、実際はその逆だったのが関ヶ原の布陣図で解明されてます
おねさんの実家である木下氏(おねさんのお兄さんの息子達)の、1名を除く全員が西軍についてます
これはどこかのサイトで見たのか、掲示板で読んだのか忘れてしまいましたが、三成さんの名誉回復に繋がった事項だったのだけは覚えてます
秀吉が死ぬまで行なっていた朝鮮征伐も、『関ヶ原』では三成さんは日本に居て、『石田三成』では現地に赴いてて(長期ではないけれど)、その現場で清正の非道(武人ではない韓国の一般の人達を虐殺してた)さを目の当たりにして秀吉に報告してるんですよね
どっちがどっちやらわかりませんが、三成さんともあろう人が、簡単に感情だけで流されるものだろうかと思い、わたしとしては後者を支援したい
読むのが萎えてしまった『関ヶ原』ですが、三成さんファンとしては嬉しい情報も入ってました
三玄院で発掘された三成さんの遺骨を鑑定した医師は、初め、「どこから見ても女性の骨としか思えない」と言ったそうです
しかし丹念に調べたところやはり男性のものだったようで、権威のある人でも三成さんの体格は女性に見えたんですね
頭蓋骨も、Wikiで読んだ限りでは男前の条件にはそぐわない書き方で、頭の形がおかしい人なんだ。と思ってましたが、そうじゃない
三成さんの頭蓋骨は、のっぺりとしたアジア系の形ではなく、ヨーロッパ系の形をしていたんだそうです
つまり三成さんは、今で言えばヨーロッパ風美男子てことですね
当時は瓜実顔が主流だった日本でヨーロッパ風の顔となると、三成さんの男前っぷりはその基準に入ってないわけで、三成さんが美男子だった記述があまり見れないのもその所為だったのでしょう
今の時代だったらきっと、持て囃されていたに違いない
三成さんは、気質としては生まれるのが遅くて、顔立ちは生まれるのが早かった人なんですね
中途半端な人だ(汗
と言うわけで、『石田三成』で清廉潔白な三成像が出来てしまったわたしには、『関ヶ原』ではただのエロいオッサンな三成さんを拒絶してしまって、それ以上読めない
三成さん熱が冷めるまで、押入れに放り込んでおきます
どっちにしても『関ヶ原』は歴史を基にしたフィクションで、実在の登場人物とは一切関係ありません的なものだから、その内また読み出すと思うけど、三成さんの人生を簡潔にまとめた『石田三成』は、やっぱり面白いです
ただ、エピローグとプロローグがどうしても脚色くさくて読みづらい
家康が家臣と交わした会話、処刑前の三成さんと家康が交わした会話
どちらも穏やかな家康が見えますが、あの狸がそんな殊勝なわけねーだろ
この本を読んでわかったことなのですが、三成さんの偉業はそのまま徳川幕府に組み込まれ、今もわたし達の生活の中で生きてます
書き出すと切がないし、上手くまとめる力もわたしにはないので、「ふ〜ん」と読み流してください
三成さんはこの本で書かれてるだけじゃなく、まぁ、生まれ持った顔を生かして女の人達を泣かせまくってたそうですが、その辺りも書いて欲しかったけどやっぱり『清潔な三成像』を大切にしなきゃいけなかったんでしょうねぇ
と言うわけで、北条氏秀じゃなく、井伊直政じゃなく、直江兼続でもなく、戦国時代一の男前は三成さんなのでした(わたしの中ではね・・

この少年武将はフィクションであり実際の石田三成とは一切関係ありません
決め手は『事実、三成は信長好みの聡明な美少年』ってとこです(学研文庫「石田三成」43ページ1行目)
こんなものでも信じたいのよ、三成信者としては
戦国無双2のキャラクターデザインの殿も、どちらかというとヨーロッパ風の顔立ちなので、強ち遠いとも言えない
なんだか『殿=史実の三成さん』になってしまったから、自分が怖いわー(単純な思考が
しかしまぁ、ヨーロッパ風の顔立ちに華奢な体で女顔の美男子
兼続からは「恋人のようだ」と例えられた三成さん
・・・やおい向けじゃねーか(大汗
他にすることないんかね
あるけど、後回しにしちゃってるんだよねー・・(汗
司馬遼太郎著の「関ヶ原」を読み始めました
なんか、左近を中心に話が進んでるので、萎え
三成さんが奥さん以外の人と合体しちゃって、萎え
なんかもう、読む気が失せた
やっぱこういう、海のものとも山のものともわからないものは、古本屋で探した方が良いですわ
関ヶ原は古い時代に書かれたものだから、今のように三成さんの生い立ちや生き方があまりわかってなかったから、今は覆されてることが多く書かれてて、それも萎えた理由
関ヶ原では三成さんとおねさんの仲が悪くて、三成さんと茶々の仲が良好だと書かれてましたが、実際はその逆だったのが関ヶ原の布陣図で解明されてます
おねさんの実家である木下氏(おねさんのお兄さんの息子達)の、1名を除く全員が西軍についてます
これはどこかのサイトで見たのか、掲示板で読んだのか忘れてしまいましたが、三成さんの名誉回復に繋がった事項だったのだけは覚えてます
秀吉が死ぬまで行なっていた朝鮮征伐も、『関ヶ原』では三成さんは日本に居て、『石田三成』では現地に赴いてて(長期ではないけれど)、その現場で清正の非道(武人ではない韓国の一般の人達を虐殺してた)さを目の当たりにして秀吉に報告してるんですよね
どっちがどっちやらわかりませんが、三成さんともあろう人が、簡単に感情だけで流されるものだろうかと思い、わたしとしては後者を支援したい
読むのが萎えてしまった『関ヶ原』ですが、三成さんファンとしては嬉しい情報も入ってました
三玄院で発掘された三成さんの遺骨を鑑定した医師は、初め、「どこから見ても女性の骨としか思えない」と言ったそうです
しかし丹念に調べたところやはり男性のものだったようで、権威のある人でも三成さんの体格は女性に見えたんですね
頭蓋骨も、Wikiで読んだ限りでは男前の条件にはそぐわない書き方で、頭の形がおかしい人なんだ。と思ってましたが、そうじゃない
三成さんの頭蓋骨は、のっぺりとしたアジア系の形ではなく、ヨーロッパ系の形をしていたんだそうです
つまり三成さんは、今で言えばヨーロッパ風美男子てことですね
当時は瓜実顔が主流だった日本でヨーロッパ風の顔となると、三成さんの男前っぷりはその基準に入ってないわけで、三成さんが美男子だった記述があまり見れないのもその所為だったのでしょう
今の時代だったらきっと、持て囃されていたに違いない
三成さんは、気質としては生まれるのが遅くて、顔立ちは生まれるのが早かった人なんですね
中途半端な人だ(汗
と言うわけで、『石田三成』で清廉潔白な三成像が出来てしまったわたしには、『関ヶ原』ではただのエロいオッサンな三成さんを拒絶してしまって、それ以上読めない
三成さん熱が冷めるまで、押入れに放り込んでおきます
どっちにしても『関ヶ原』は歴史を基にしたフィクションで、実在の登場人物とは一切関係ありません的なものだから、その内また読み出すと思うけど、三成さんの人生を簡潔にまとめた『石田三成』は、やっぱり面白いです
ただ、エピローグとプロローグがどうしても脚色くさくて読みづらい
家康が家臣と交わした会話、処刑前の三成さんと家康が交わした会話
どちらも穏やかな家康が見えますが、あの狸がそんな殊勝なわけねーだろ
この本を読んでわかったことなのですが、三成さんの偉業はそのまま徳川幕府に組み込まれ、今もわたし達の生活の中で生きてます
書き出すと切がないし、上手くまとめる力もわたしにはないので、「ふ〜ん」と読み流してください
三成さんはこの本で書かれてるだけじゃなく、まぁ、生まれ持った顔を生かして女の人達を泣かせまくってたそうですが、その辺りも書いて欲しかったけどやっぱり『清潔な三成像』を大切にしなきゃいけなかったんでしょうねぇ
と言うわけで、北条氏秀じゃなく、井伊直政じゃなく、直江兼続でもなく、戦国時代一の男前は三成さんなのでした(わたしの中ではね・・

この少年武将はフィクションであり実際の石田三成とは一切関係ありません
決め手は『事実、三成は信長好みの聡明な美少年』ってとこです(学研文庫「石田三成」43ページ1行目)
こんなものでも信じたいのよ、三成信者としては
戦国無双2のキャラクターデザインの殿も、どちらかというとヨーロッパ風の顔立ちなので、強ち遠いとも言えない
なんだか『殿=史実の三成さん』になってしまったから、自分が怖いわー(単純な思考が
しかしまぁ、ヨーロッパ風の顔立ちに華奢な体で女顔の美男子
兼続からは「恋人のようだ」と例えられた三成さん
・・・やおい向けじゃねーか(大汗
冒頭は、陥落していく大坂城を眺めながら、家康が本多正信と交わした独り言のような会話から始まります
「もしもここに石田治部少輔が居たら」
あり得ない話
だけど、石田ファンなら誰もが思い浮かべただろうことを言葉にする狸
もしもここに三成さんがいたら、信繁(真田幸村)の力を存分に発揮させ、大逆転劇を披露しただろう
だけど著者の脚色とも言える狸は、こうも否定する
「彼ならば、15年もの長きに渡って豊臣を、このような憂き目に合わせることを黙って見ては居なかっただろう」
(そんな感じのこと)
嘗ての『秀吉の子飼い』だった清正は関ヶ原で徳川に味方し、この世の太平を見ることなく没した
清正の腰ぎんちゃく的な存在が否めない正則は、大坂の陣の後、自殺とも取れる死に方をした
三成さんと対立し、三成さんを嫌った人間のほとんどが、ろくな死に方をしてないように見受ける
そして、そうなるよう手引きしたのが家康とは、皮肉もいいところだ
まぁ、そんなことはどうでも良いのだろうけど、なんだか言葉にしたかった
戦国無双2をやるまでは、わたしは豊臣の家臣団の中では加藤清正が好きだった
勇猛果敢な勇将と言った感じで、歴史の授業とかでも学んだので
だけど、ゲームで殿に肩入れしてからは『いやなヤツ』と、印象が逆転してしまった
それを決定付けたのが、この『石田三成』(江宮隆之著・学研文庫)です
内容は、確かに歴史書に比べたら薄っぺらくて、読み応えも薄い
だけど、三成さんを知る良いきっかけになるような一冊であることは、間違いないと思う
それは、わたしの中で三成さんが相当美化されてしまった表れでもある
特に三成さんを嫌っていた清正・正則のお家がろくな目に遭ってないのが、少しだけ胸がすっとする感じがした
ご子孫さまには、大変申し訳ない話なのだが・・・
逆に三成さんの子供達は、全員無事
その優秀なDNAを今も引き継いでるのか・・・どうかは、定かではないが
知らない人なので、知りようがない(汗
もしも大坂・夏の陣が始まった頃、三成さんが存命だったなら
文中、著者の気持ちを代弁した家康は、こう言っている
「少輔が生きていたら、立場は逆だったかも知れない。我々が豊臣に頭(こうべ)を垂れていただろう」
『石田』ではなく、『豊臣』と書いている
つまり、三成さんは関ヶ原で勝利しても、自分が天下に上がるのではなく、豊臣を最上段に持ち上げるだけの人物であり、それはかの諸葛孔明が劉備亡き後蜀漢を必死で支えていた姿に被る
自分は、あくまで支柱
そうあり続けようとしていた
そんな、素敵な生き方をしていた三成さん
もっと知りたいと思った
この本は、一小節ごとにその時三成さんが主に関わった人物を中心にして描かれています
織田信長から、関ヶ原の家康まで
三成さんの親友・大谷や小西との絡みも丁寧に書かれてますが、やはりボリュームが欠けるため不完全燃焼的な要素もあります
三成さんの人生の、主だった事項をあらすじにまとめた
そう言う感じ
一章・織田信長
ここでは三成さんと秀吉との出逢いが書かれています
やはり『三献茶』がクローズアップされていて、詳しく書かれてます
が、この三献茶も場所によっては『創作物である可能性がある』とされてますが、ぶっちゃけそう書いてるのはWikiだけであり、Wikiに書かれていることも所々誤りがあるので一概に嘘とも言えない状況でございます
まぁ、現場を見てないわたしとしては、美談を信じたいのが心情
それまではたまたま立ち寄った寺(観音寺)で三成さん(当時の佐吉)を見初めた秀吉が小姓に迎えたと通説でしたが、この作品の中では予め三成さんのことを弟の秀長さんから聴かされた秀吉が興味を持ち、鷹狩を称して会いに行った。と言うものでした
ここで描かれている三成さんは、色白で目元の涼しい利口そうな子供
信長も一目見て気に入るくらいの美少年と書かれてました
(文中で『信長好みの聡明な美少年だった』と書かれてます)
真偽のほどはわからないけど、大阪城にある三成さんの複顔画を見る限りでは、まぁそんな感じの人
司馬遼太郎の『関ヶ原』にも、三成さんは40近くになっても童顔で・・・とあります
可愛いだけではなく、頭も良い三成さんを信長も気に入って、自分の側に置きたいと申し出ます
主君の信長に逆らうことは命知らずなことだけど、秀吉は色々根回ししてまで手に入れた三成さんを手放したくないと頑として受け入れず、(口論のようなことまでしてますが、これは恐らく脚色でしょう)三成さんも秀吉を主君と定めたものを、今更覆すようなことはしたくないと、信長の誘いを突っぱねます
14〜5の子供が、なんて不敵なことを
だが、二人のそんな必死な姿を見て、信長は怒るどころか三成さんの律儀さや天晴れと誉め称えます
しつこいほど佐吉(三成さん)を欲しがる信長が、妙に可愛く見えました
秀吉を安土城に呼んだのは、大事な話をするためで、話が及んだところで秀吉は三成さんに退席するよう目配せしますが、信長はその三成さんを引き止め、密談とも取れる会話の中に入れます
信長は一目見た三成さんを、相当気に入った様子が伺えます
これが史実のものなのかどうか、他の三成さん関連本を読まないとどちらとも言えませんが、明智光秀も三成さんを一目見て気に入ったと書かれているので、三成さんは見掛けだけじゃなく中身も優れた人だったのでしょう
人間は先ず外見を見て、それから中身を見てから人を判断するものです
外見が悪くても、中身が良ければ外見の悪さに目を瞑る
外見が良くても、中身が悪ければたった一つの長所だけを見てしまう
三成さんはそのどちらとも書かれてないので、恐らく外見も良ければ中身も良かったのでしょう
だから、尚更周囲の大人に好かれたのではないだろうか
例えば、三成さんにもたくさんの欠点はあったけど、それを補って余りある長所もあったので、悪いところは目を瞑る
目を瞑れるのは、外見が良かったから
そう、自分勝手に結論付けました
自分に対して生意気な口を叩く三成さんを怒鳴るどころか、逆に赦してしまう信長も、三成さんの見てくれにコロっとやられた一人でしょうか
信長の章は、終始ほのぼのと読めました
二章・明智光秀
ここでは秀吉の軍略(計略と言えばいいのか)、人転がしの上手さが描かれています
それを間近で目にし、少年の三成さんがどんどんと吸収して行く様が軸となってました
小姓に召抱えてから、秀吉が片時も三成さんを放さなかった様子が伺えます
まだまだ若輩者の三成さんに名代をさせたり、光秀が冷静に三成さんの性質を分析したり、戦での駆け引きや遣り取りも覗けて、中々面白かったです
三成さんが武力優先の猛将ではなく、才知に長けた執務にばかり就く行程などがここで描かれています
決して戦の前線に出なかったのではなく、裏方の、頭を使う仕事ばかり押し付けられていく様が、伏線としての章でした
三章・黒田官兵衛
わたしが私的に書いて、一人で楽しんでいる創作物で、殿に黒田官兵衛を『先生』と呼ばせてます
その片鱗が、ここに見れました
三成さんは官兵衛を『先生』とは呼ばないまでも、そんな気概を持っているような内容が描かれています
こんな中に挿話として入っているのが、三成さんの親友の一人、小西行長です
最近、殿(ゲーム)のシナリオには特に力を入れているからか、関ヶ原でも江戸の陣(外伝)でも、小西も大谷もしっかり生き残ってて、『家康ワッショイ』に参加してます
今日、ゲームレベルが一番高い『地獄』を江戸の陣でやりましたが、宇喜多共々しっかり生き残って、家康を胴上げしてました(笑
殿の最終武器はゲットできませんでしたが、感無量でございます
最終武器なくても、殿、充分強いし(ぽそ
この、黒田官兵衛の章で三成さんは、親友であり戦友でもある小西行長と出逢います
性格的にも正反対の二人が、どうして生死を共にするまで友情を育んだか、少〜しだけ描かれてますが、やはりボリューム不足が災いして、イマイチよくわからないまま終わります
黒田官兵衛と言えば、自分の表裏なき律儀を示すため嫡男を人質に差し出し、単身敵陣へ交渉に向かう勇敢な軍師
ところがいつまで経っても帰って来ない黒田に待ち受けていたのは、『裏切り者』の汚名
実は黒田は囚われの身となり幽閉されていたのだが、そんなこと信長も秀吉も知らない
激怒した信長は黒田の嫡男を殺すよう命じるが、秀吉にはそれができず内々に処理した
それは、この後の秀吉の章に引き継がれる話なのだけど、黒田の嫡男の命を救ったのは秀吉であり、大谷であり、実行したのは三成さんであった
息子を匿うよう命じたのが秀吉で、それを命じられたのが三成さんと小西だったか大谷だったか・・・(忘れた
三成さんは大谷のアドバイスを受け、黒田の息子を自分の実家に隠したのです
四章・羽柴秀吉
序盤から黒田親子の救出談から始まり、三成さんの縁談話へと発展します
お相手は宇田頼忠の娘・月世
この、宇田頼忠の嫡男の許へ嫁に行ったのが、真田昌幸の娘
三成さんと信繁は、義兄弟と言う形になった
三成さんの奥さんの月世さんは、とても美人で教養があり、三成さんと通じた趣味もあったからか、夫婦仲はよく、三成さんは生涯、この月世さんだけを愛したと書かれている
と言うことは、Wikiの三成さんの項目にある「家康が刺客で送り込んだくのいち」の存在が創造のものではなかろうか。という疑念が生まれた
司馬遼太郎の作品には出て来ているが、こちらでは出て来ないと言うことは、仮に居たとしても三成さんの人生の中ではさほど大した問題でもなかったのだろう
月世さんとの間に子供がたくさんいるので、(それこそ、長政&お市さんとこより多いかも)夫婦仲は極めて良好
側室なんか作ってる暇すらないほど多忙な中での子沢山なので、わたしとしては『三成さんは奥さんオンリー』な人だったんだと思いたい(願望
本当に多忙で、愛人やらなんやら作ってる場合じゃないって感じでしたのですが、実はそうでもないようで・・(汗
明確にはしていないけど、どうも美男美女の夫婦だったことが伺える文章がありました
五章・大谷吉継
ここで三成さんは親友となる大谷と邂逅を果たします
話は『本能の変』
この章で三成さんが秀吉とは『ツーカー』の仲となるエピソードが組み込まれてます
秀吉が最も信頼したのが、親戚から養子としてもらい受けた清正や正則じゃなく、三成さん
若い頃は『氏』や『生まれ』や『血』よりも、『才能』を愛した秀吉らしい内容でした
地味な裏方仕事だけど、計算力を必要とする頭脳を最も必要とする秀吉の戦には、三成さんはなくてはならない存在だったのです
少し先んじた性格の三成さんに対して大谷は、大人の雰囲気も兼ね備え、常に冷静沈着に事の次第を見守り、分析して行く
そして、必要なことは三成さんに話して聴かせる
三成さんにとって大谷は、自分にはないものを持っている素晴らしい人間であり、いい刺激となる相手でした
秀吉が『吉継に100万の兵を動かしてみたい』と言う、有名なエピソードもここで垣間見れました
『山崎の戦い』の後、三成さんと大谷はお互いを幼名で呼び合うほどの仲になりました
会話の内容は武将らしいものだけど、なんだか初々しい恋人同士のような雰囲気もあって、どことなくほんわかします
この章の最後では、『賤ヶ岳の戦い』の正しい本筋が読めます
世に言う『賤ヶ岳七本槍』は、実は清正を先頭にした武断派が自分達で勝手に吹聴したもので(吹聴したのは清正ではないらしいが)、一番槍を上げたのは三成さんら近江衆だったそうです
『七本槍』の話が一人歩きし、本来の武功者である近江衆を気遣い秀吉が与えた称号が『先駆衆』です
しかし三成さんら近江衆は頭のいい人が多かったので、自分達の手柄を自慢話にはしなかったため、世間では『七本槍』の方が遥かに有名になったらしく、この本で三成さんは子供のように大谷に不貞腐れる場面があり、可愛いこと可愛いこと
それ以後、三成さんは天下人に近付く秀吉の戦を、裏で支える仕事を多く任されるようになり、表立った戦働きができなくなります
世に言う『三成は戦下手』と言うのは、三成さんの才能を妬んだ連中の誹謗のようです
現に三成さんが居なかったら、戦場にいる兵士達が飢えで死ぬであろうと揶揄した書き方をされてました
大谷の章は、読み応えがあります
いよいよナオの登場です
六章・直江兼続
三成さんは越後の景勝の側近・兼続の話を耳にし、文通を始めます
この、二人の手紙のやり取りは2年近くにも及びますが、まだ顔も合わせていない時期に兼続は三成さんに対し、「まるで恋人のようだ」とも評してます
謁見した秀吉が兼続を見て、その男前っぷりに驚いたそうですが、その兼続が三成さんとの手紙のやり取りで三成さんに対し『恋人』と例えたのが驚きます
それが著者の脚色によるものかどうかは、定かではありませんが
直江兼続作の七言絶句「雪夜囲炉」は、三成さんとの出逢いを漢詩にしたものだそうです
書いてる意味はわかりませんが(汗
ただなんとなく、愛しい人を想うような個所が、いくつか見られました
三成さんに対して、恋心のようなものを持ったのだろうなぁと勝手に想像
それだけ、三成さんの教養は半端じゃなかったようです
愛読書が源平盛衰記ですから・・
『祇園精舎の鐘の声』でも有名な平家物語も、愛読書の一つだそうです
普通にすごいわ、三成さん
景勝と秀吉の会談を取り成した三成さんですが、まだまだ多忙は極めます
次の章が利休の話なのですが、利休ファンは読まない方が良い
印象がガラッと変わってしまうから
話はまだ続くのですが、この次の島左近の章が難しすぎて、先に進みません
三成さんの影のようなものも見え隠れして、こんな生きにくい時代に真っ直ぐ生きようとする三成さんが、どんどん窮地に追い込まれてしまうようで、怖くて読めないのが心情です
全体的に、著者の脚色のようなものが見え隠れして、なんとなくどこか疑って読んでしまいますが、三成さんファンのわたしとしては、「これが読みたかった」と言うものです
ただただ三成さんが優れた人間ではなく、子供じみた部分もしっかり描かれており、その純粋さが伺えます
一言で言い表すなら三成さんは、『可愛い人』
可愛いからこそ、三成さんの性質を理解できる頭の良い人は可愛がり、愛し、敬う
だけど、性質を理解できない莫迦(この場合は、正しく莫迦。教養のない人間のこと)は、三成さんを『鼻持ちならない嫌味なヤツ』と受け取る
それは、出来の悪い人間が出来の良い人間を嫉妬から来る軽蔑のようなものと同じ
今も昔も、何もない人間は何かを持ってる人間を羨むもので、ありもしない悪口を言ったりしますけど、清正・正則はその代表格とも言える人間でした
こんな人が九州では英雄に祭り上げられてるんだから笑っちゃいます(ごめん、九州の人・・
清正は、三成さんにはない優れた部分がたくさんあったのに、秀吉の一番になれなかったからか、卑屈な人間として映ります
いくら戦働きをしても、秀吉が一番に愛したのは三成さんであり、常に側に置き、可愛がった
自分を見てくれない
実際はそんなことないのに、清正にとって三成さんは、ある日突然やって来た目の上のコブだったのでしょう
秀吉は人の使い方が上手くて、一番の功績者である三成さんにさほどの石高も与えない
逆に戦働きの目覚しい清正には、三成さんより高い知行や石高を与えている
これは、三成さんが自分のしたことをお金で換算して満足するような人間ではなく、たった一言、「よくやった」と誉める、秀吉の言葉に満足する人間だったから
清正は、自分の武功を物で換算して喜ぶ単純明快な性格であることを、秀吉は知っていたのだとも受け取れる書き方をされてました
三成さんがもう少し懐柔な性格だったなら
清正がもう少し謙虚な性格だったなら
この二人はきっと、無二の親友として名を馳せたかも知れない
三成さんの賢すぎたところが
清正の単純すぎるところが
お互いを理解できないまま、終わってしまったようです
ちなみに、三成さんが近習として連れて来られた時点で、三成さんが最年長だったそうです
年上の、頭の良い美少年にきっと、コンプレックスを感じたのでしょう
それだけ、三成さんは秀吉から別格扱いされていたのです
戦が下手なのも、それは事実無根でした
三成さんの実家は、庭に弓道場があり地元の人間にも教えていたらしく、当然三成さんも習ってました
弓を引けば百発百中
常に的の真ん中を射抜いていたとか
弓の名人だったそうです
槍の腕も確かで、三成さんは文武両道の人だったのです
決して扇子を武器にしたひ弱な武将ではありませんでした
まぁ、躯が小さい(華奢)のは事実だったそうですが
それでも当時の平均値の身長なので、決して女体型ではないそうです
意外と知られてない話でした
秀吉に重用されながら、何故武功(戦での活躍話)が少ないのか、その謎解きもあり、『三成は戦下手』と言う有名な話の原因も描かれていて、三成さんの名誉回復に役立ってる1冊だと思います
こう言うものがもっと早く世に出ていたら、400年もの長きに渡って世間から批判される目で見られることもなかったのにと、残念な思いもあります
『無双OROCHI』のキャラクター本でも三成さんは、散々なことを書かれてます
それでも今、三成さんを見直そうと言う人間が徐々に増えてるのは、やはり

この美貌の賜物だと思います
史実はともかくとしてっ・・・(大汗
「もしもここに石田治部少輔が居たら」
あり得ない話
だけど、石田ファンなら誰もが思い浮かべただろうことを言葉にする狸
もしもここに三成さんがいたら、信繁(真田幸村)の力を存分に発揮させ、大逆転劇を披露しただろう
だけど著者の脚色とも言える狸は、こうも否定する
「彼ならば、15年もの長きに渡って豊臣を、このような憂き目に合わせることを黙って見ては居なかっただろう」
(そんな感じのこと)
嘗ての『秀吉の子飼い』だった清正は関ヶ原で徳川に味方し、この世の太平を見ることなく没した
清正の腰ぎんちゃく的な存在が否めない正則は、大坂の陣の後、自殺とも取れる死に方をした
三成さんと対立し、三成さんを嫌った人間のほとんどが、ろくな死に方をしてないように見受ける
そして、そうなるよう手引きしたのが家康とは、皮肉もいいところだ
まぁ、そんなことはどうでも良いのだろうけど、なんだか言葉にしたかった
戦国無双2をやるまでは、わたしは豊臣の家臣団の中では加藤清正が好きだった
勇猛果敢な勇将と言った感じで、歴史の授業とかでも学んだので
だけど、ゲームで殿に肩入れしてからは『いやなヤツ』と、印象が逆転してしまった
それを決定付けたのが、この『石田三成』(江宮隆之著・学研文庫)です
内容は、確かに歴史書に比べたら薄っぺらくて、読み応えも薄い
だけど、三成さんを知る良いきっかけになるような一冊であることは、間違いないと思う
それは、わたしの中で三成さんが相当美化されてしまった表れでもある
特に三成さんを嫌っていた清正・正則のお家がろくな目に遭ってないのが、少しだけ胸がすっとする感じがした
ご子孫さまには、大変申し訳ない話なのだが・・・
逆に三成さんの子供達は、全員無事
その優秀なDNAを今も引き継いでるのか・・・どうかは、定かではないが
知らない人なので、知りようがない(汗
もしも大坂・夏の陣が始まった頃、三成さんが存命だったなら
文中、著者の気持ちを代弁した家康は、こう言っている
「少輔が生きていたら、立場は逆だったかも知れない。我々が豊臣に頭(こうべ)を垂れていただろう」
『石田』ではなく、『豊臣』と書いている
つまり、三成さんは関ヶ原で勝利しても、自分が天下に上がるのではなく、豊臣を最上段に持ち上げるだけの人物であり、それはかの諸葛孔明が劉備亡き後蜀漢を必死で支えていた姿に被る
自分は、あくまで支柱
そうあり続けようとしていた
そんな、素敵な生き方をしていた三成さん
もっと知りたいと思った
この本は、一小節ごとにその時三成さんが主に関わった人物を中心にして描かれています
織田信長から、関ヶ原の家康まで
三成さんの親友・大谷や小西との絡みも丁寧に書かれてますが、やはりボリュームが欠けるため不完全燃焼的な要素もあります
三成さんの人生の、主だった事項をあらすじにまとめた
そう言う感じ
一章・織田信長
ここでは三成さんと秀吉との出逢いが書かれています
やはり『三献茶』がクローズアップされていて、詳しく書かれてます
が、この三献茶も場所によっては『創作物である可能性がある』とされてますが、ぶっちゃけそう書いてるのはWikiだけであり、Wikiに書かれていることも所々誤りがあるので一概に嘘とも言えない状況でございます
まぁ、現場を見てないわたしとしては、美談を信じたいのが心情
それまではたまたま立ち寄った寺(観音寺)で三成さん(当時の佐吉)を見初めた秀吉が小姓に迎えたと通説でしたが、この作品の中では予め三成さんのことを弟の秀長さんから聴かされた秀吉が興味を持ち、鷹狩を称して会いに行った。と言うものでした
ここで描かれている三成さんは、色白で目元の涼しい利口そうな子供
信長も一目見て気に入るくらいの美少年と書かれてました
(文中で『信長好みの聡明な美少年だった』と書かれてます)
真偽のほどはわからないけど、大阪城にある三成さんの複顔画を見る限りでは、まぁそんな感じの人
司馬遼太郎の『関ヶ原』にも、三成さんは40近くになっても童顔で・・・とあります
可愛いだけではなく、頭も良い三成さんを信長も気に入って、自分の側に置きたいと申し出ます
主君の信長に逆らうことは命知らずなことだけど、秀吉は色々根回ししてまで手に入れた三成さんを手放したくないと頑として受け入れず、(口論のようなことまでしてますが、これは恐らく脚色でしょう)三成さんも秀吉を主君と定めたものを、今更覆すようなことはしたくないと、信長の誘いを突っぱねます
14〜5の子供が、なんて不敵なことを
だが、二人のそんな必死な姿を見て、信長は怒るどころか三成さんの律儀さや天晴れと誉め称えます
しつこいほど佐吉(三成さん)を欲しがる信長が、妙に可愛く見えました
秀吉を安土城に呼んだのは、大事な話をするためで、話が及んだところで秀吉は三成さんに退席するよう目配せしますが、信長はその三成さんを引き止め、密談とも取れる会話の中に入れます
信長は一目見た三成さんを、相当気に入った様子が伺えます
これが史実のものなのかどうか、他の三成さん関連本を読まないとどちらとも言えませんが、明智光秀も三成さんを一目見て気に入ったと書かれているので、三成さんは見掛けだけじゃなく中身も優れた人だったのでしょう
人間は先ず外見を見て、それから中身を見てから人を判断するものです
外見が悪くても、中身が良ければ外見の悪さに目を瞑る
外見が良くても、中身が悪ければたった一つの長所だけを見てしまう
三成さんはそのどちらとも書かれてないので、恐らく外見も良ければ中身も良かったのでしょう
だから、尚更周囲の大人に好かれたのではないだろうか
例えば、三成さんにもたくさんの欠点はあったけど、それを補って余りある長所もあったので、悪いところは目を瞑る
目を瞑れるのは、外見が良かったから
そう、自分勝手に結論付けました
自分に対して生意気な口を叩く三成さんを怒鳴るどころか、逆に赦してしまう信長も、三成さんの見てくれにコロっとやられた一人でしょうか
信長の章は、終始ほのぼのと読めました
二章・明智光秀
ここでは秀吉の軍略(計略と言えばいいのか)、人転がしの上手さが描かれています
それを間近で目にし、少年の三成さんがどんどんと吸収して行く様が軸となってました
小姓に召抱えてから、秀吉が片時も三成さんを放さなかった様子が伺えます
まだまだ若輩者の三成さんに名代をさせたり、光秀が冷静に三成さんの性質を分析したり、戦での駆け引きや遣り取りも覗けて、中々面白かったです
三成さんが武力優先の猛将ではなく、才知に長けた執務にばかり就く行程などがここで描かれています
決して戦の前線に出なかったのではなく、裏方の、頭を使う仕事ばかり押し付けられていく様が、伏線としての章でした
三章・黒田官兵衛
わたしが私的に書いて、一人で楽しんでいる創作物で、殿に黒田官兵衛を『先生』と呼ばせてます
その片鱗が、ここに見れました
三成さんは官兵衛を『先生』とは呼ばないまでも、そんな気概を持っているような内容が描かれています
こんな中に挿話として入っているのが、三成さんの親友の一人、小西行長です
最近、殿(ゲーム)のシナリオには特に力を入れているからか、関ヶ原でも江戸の陣(外伝)でも、小西も大谷もしっかり生き残ってて、『家康ワッショイ』に参加してます
今日、ゲームレベルが一番高い『地獄』を江戸の陣でやりましたが、宇喜多共々しっかり生き残って、家康を胴上げしてました(笑
殿の最終武器はゲットできませんでしたが、感無量でございます
最終武器なくても、殿、充分強いし(ぽそ
この、黒田官兵衛の章で三成さんは、親友であり戦友でもある小西行長と出逢います
性格的にも正反対の二人が、どうして生死を共にするまで友情を育んだか、少〜しだけ描かれてますが、やはりボリューム不足が災いして、イマイチよくわからないまま終わります
黒田官兵衛と言えば、自分の表裏なき律儀を示すため嫡男を人質に差し出し、単身敵陣へ交渉に向かう勇敢な軍師
ところがいつまで経っても帰って来ない黒田に待ち受けていたのは、『裏切り者』の汚名
実は黒田は囚われの身となり幽閉されていたのだが、そんなこと信長も秀吉も知らない
激怒した信長は黒田の嫡男を殺すよう命じるが、秀吉にはそれができず内々に処理した
それは、この後の秀吉の章に引き継がれる話なのだけど、黒田の嫡男の命を救ったのは秀吉であり、大谷であり、実行したのは三成さんであった
息子を匿うよう命じたのが秀吉で、それを命じられたのが三成さんと小西だったか大谷だったか・・・(忘れた
三成さんは大谷のアドバイスを受け、黒田の息子を自分の実家に隠したのです
四章・羽柴秀吉
序盤から黒田親子の救出談から始まり、三成さんの縁談話へと発展します
お相手は宇田頼忠の娘・月世
この、宇田頼忠の嫡男の許へ嫁に行ったのが、真田昌幸の娘
三成さんと信繁は、義兄弟と言う形になった
三成さんの奥さんの月世さんは、とても美人で教養があり、三成さんと通じた趣味もあったからか、夫婦仲はよく、三成さんは生涯、この月世さんだけを愛したと書かれている
と言うことは、Wikiの三成さんの項目にある「家康が刺客で送り込んだくのいち」の存在が創造のものではなかろうか。という疑念が生まれた
司馬遼太郎の作品には出て来ているが、こちらでは出て来ないと言うことは、仮に居たとしても三成さんの人生の中ではさほど大した問題でもなかったのだろう
月世さんとの間に子供がたくさんいるので、(それこそ、長政&お市さんとこより多いかも)夫婦仲は極めて良好
側室なんか作ってる暇すらないほど多忙な中での子沢山なので、わたしとしては『三成さんは奥さんオンリー』な人だったんだと思いたい(願望
本当に多忙で、愛人やらなんやら作ってる場合じゃないって感じでしたのですが、実はそうでもないようで・・(汗
明確にはしていないけど、どうも美男美女の夫婦だったことが伺える文章がありました
五章・大谷吉継
ここで三成さんは親友となる大谷と邂逅を果たします
話は『本能の変』
この章で三成さんが秀吉とは『ツーカー』の仲となるエピソードが組み込まれてます
秀吉が最も信頼したのが、親戚から養子としてもらい受けた清正や正則じゃなく、三成さん
若い頃は『氏』や『生まれ』や『血』よりも、『才能』を愛した秀吉らしい内容でした
地味な裏方仕事だけど、計算力を必要とする頭脳を最も必要とする秀吉の戦には、三成さんはなくてはならない存在だったのです
少し先んじた性格の三成さんに対して大谷は、大人の雰囲気も兼ね備え、常に冷静沈着に事の次第を見守り、分析して行く
そして、必要なことは三成さんに話して聴かせる
三成さんにとって大谷は、自分にはないものを持っている素晴らしい人間であり、いい刺激となる相手でした
秀吉が『吉継に100万の兵を動かしてみたい』と言う、有名なエピソードもここで垣間見れました
『山崎の戦い』の後、三成さんと大谷はお互いを幼名で呼び合うほどの仲になりました
会話の内容は武将らしいものだけど、なんだか初々しい恋人同士のような雰囲気もあって、どことなくほんわかします
この章の最後では、『賤ヶ岳の戦い』の正しい本筋が読めます
世に言う『賤ヶ岳七本槍』は、実は清正を先頭にした武断派が自分達で勝手に吹聴したもので(吹聴したのは清正ではないらしいが)、一番槍を上げたのは三成さんら近江衆だったそうです
『七本槍』の話が一人歩きし、本来の武功者である近江衆を気遣い秀吉が与えた称号が『先駆衆』です
しかし三成さんら近江衆は頭のいい人が多かったので、自分達の手柄を自慢話にはしなかったため、世間では『七本槍』の方が遥かに有名になったらしく、この本で三成さんは子供のように大谷に不貞腐れる場面があり、可愛いこと可愛いこと
それ以後、三成さんは天下人に近付く秀吉の戦を、裏で支える仕事を多く任されるようになり、表立った戦働きができなくなります
世に言う『三成は戦下手』と言うのは、三成さんの才能を妬んだ連中の誹謗のようです
現に三成さんが居なかったら、戦場にいる兵士達が飢えで死ぬであろうと揶揄した書き方をされてました
大谷の章は、読み応えがあります
いよいよナオの登場です
六章・直江兼続
三成さんは越後の景勝の側近・兼続の話を耳にし、文通を始めます
この、二人の手紙のやり取りは2年近くにも及びますが、まだ顔も合わせていない時期に兼続は三成さんに対し、「まるで恋人のようだ」とも評してます
謁見した秀吉が兼続を見て、その男前っぷりに驚いたそうですが、その兼続が三成さんとの手紙のやり取りで三成さんに対し『恋人』と例えたのが驚きます
それが著者の脚色によるものかどうかは、定かではありませんが
直江兼続作の七言絶句「雪夜囲炉」は、三成さんとの出逢いを漢詩にしたものだそうです
書いてる意味はわかりませんが(汗
ただなんとなく、愛しい人を想うような個所が、いくつか見られました
三成さんに対して、恋心のようなものを持ったのだろうなぁと勝手に想像
それだけ、三成さんの教養は半端じゃなかったようです
愛読書が源平盛衰記ですから・・
『祇園精舎の鐘の声』でも有名な平家物語も、愛読書の一つだそうです
普通にすごいわ、三成さん
景勝と秀吉の会談を取り成した三成さんですが、まだまだ多忙は極めます
次の章が利休の話なのですが、利休ファンは読まない方が良い
印象がガラッと変わってしまうから
話はまだ続くのですが、この次の島左近の章が難しすぎて、先に進みません
三成さんの影のようなものも見え隠れして、こんな生きにくい時代に真っ直ぐ生きようとする三成さんが、どんどん窮地に追い込まれてしまうようで、怖くて読めないのが心情です
全体的に、著者の脚色のようなものが見え隠れして、なんとなくどこか疑って読んでしまいますが、三成さんファンのわたしとしては、「これが読みたかった」と言うものです
ただただ三成さんが優れた人間ではなく、子供じみた部分もしっかり描かれており、その純粋さが伺えます
一言で言い表すなら三成さんは、『可愛い人』
可愛いからこそ、三成さんの性質を理解できる頭の良い人は可愛がり、愛し、敬う
だけど、性質を理解できない莫迦(この場合は、正しく莫迦。教養のない人間のこと)は、三成さんを『鼻持ちならない嫌味なヤツ』と受け取る
それは、出来の悪い人間が出来の良い人間を嫉妬から来る軽蔑のようなものと同じ
今も昔も、何もない人間は何かを持ってる人間を羨むもので、ありもしない悪口を言ったりしますけど、清正・正則はその代表格とも言える人間でした
こんな人が九州では英雄に祭り上げられてるんだから笑っちゃいます(ごめん、九州の人・・
清正は、三成さんにはない優れた部分がたくさんあったのに、秀吉の一番になれなかったからか、卑屈な人間として映ります
いくら戦働きをしても、秀吉が一番に愛したのは三成さんであり、常に側に置き、可愛がった
自分を見てくれない
実際はそんなことないのに、清正にとって三成さんは、ある日突然やって来た目の上のコブだったのでしょう
秀吉は人の使い方が上手くて、一番の功績者である三成さんにさほどの石高も与えない
逆に戦働きの目覚しい清正には、三成さんより高い知行や石高を与えている
これは、三成さんが自分のしたことをお金で換算して満足するような人間ではなく、たった一言、「よくやった」と誉める、秀吉の言葉に満足する人間だったから
清正は、自分の武功を物で換算して喜ぶ単純明快な性格であることを、秀吉は知っていたのだとも受け取れる書き方をされてました
三成さんがもう少し懐柔な性格だったなら
清正がもう少し謙虚な性格だったなら
この二人はきっと、無二の親友として名を馳せたかも知れない
三成さんの賢すぎたところが
清正の単純すぎるところが
お互いを理解できないまま、終わってしまったようです
ちなみに、三成さんが近習として連れて来られた時点で、三成さんが最年長だったそうです
年上の、頭の良い美少年にきっと、コンプレックスを感じたのでしょう
それだけ、三成さんは秀吉から別格扱いされていたのです
戦が下手なのも、それは事実無根でした
三成さんの実家は、庭に弓道場があり地元の人間にも教えていたらしく、当然三成さんも習ってました
弓を引けば百発百中
常に的の真ん中を射抜いていたとか
弓の名人だったそうです
槍の腕も確かで、三成さんは文武両道の人だったのです
決して扇子を武器にしたひ弱な武将ではありませんでした
まぁ、躯が小さい(華奢)のは事実だったそうですが
それでも当時の平均値の身長なので、決して女体型ではないそうです
意外と知られてない話でした
秀吉に重用されながら、何故武功(戦での活躍話)が少ないのか、その謎解きもあり、『三成は戦下手』と言う有名な話の原因も描かれていて、三成さんの名誉回復に役立ってる1冊だと思います
こう言うものがもっと早く世に出ていたら、400年もの長きに渡って世間から批判される目で見られることもなかったのにと、残念な思いもあります
『無双OROCHI』のキャラクター本でも三成さんは、散々なことを書かれてます
それでも今、三成さんを見直そうと言う人間が徐々に増えてるのは、やはり

この美貌の賜物だと思います
史実はともかくとしてっ・・・(大汗
江宮隆之著『石田三成』を読んでいる最中です
大体は色んなサイトで見知りした内容で、可もなく不可もなくと言った内容
わたしは元来文章を書くのが好きで、執筆に関わってるわけではないですが自分で勝手な短編物を創作したりして一人で楽しんでます
人様にお見せできるようなものではないので公開はしてませんが、今は殿関連の創作物を書いて、一人で楽しむと言う陰気臭い遊びに耽ってます
で、この『石田三成』を読んで驚いたことがあります
実は、秀吉に貰い受けられて寺を出た三成(史実とは関係ない三成です)は、秀吉に連れられて信長に謁見されると言うものを書いたのですが、こちらの『石田三成』にもそっくりな内容が書かれていて、かなり驚きました
三成が連れて行かれたところが、安土城
創作で書いたものが、文庫本で売られているものと(ここまで)全く同じだったことに驚かずには居られなかった
しかも『石田三成』では、この時の佐吉は信長好みの美少年と書かれてました
わたしも、殿を相当美化して書いてたので、ここまで一致すると驚くってゆーより怖いわ
そして、頭が良くて見栄えも良い三成を一目で気に入った信長は、秀吉に「佐吉をくれ」と言っちゃいます
えぇぇぇ?!(驚
焦った秀吉が断り、三成も秀吉を主君と定めた限り、最後まで従いたいと強く望んだため事なきを得ますが、わたしが書いた創作物でも信長が殿を気に入り、「しばらく預けろ」と申し出ます
「預けろ」とは、いつか返すと言うことなので、秀吉も強く反対できず追い返されるように渋々殿を置いて行くのですが、そこで殿は信長と利家に食われます
なんつーものを書いたんだ、あたしってやつぁ・・(汗
三成さんの親友である大谷との絡みが少なくて、なんだか無関係な人間のように書かれていて、大谷のくだりもあっとゆうまに過ぎてしまいましたが、ここで大谷とは別の、小西(三成さんと共に処刑された西軍武将)との絡みがあって、そこんとこは面白かったです
わかりやすく区分けして書かれた内容で、初めは織田信長との絡みから始まり、次に明智光秀との絡み、間に清正や正則のバカっぷりも見れて面白いです
信長だけじゃなく、明智も三成さんを買っていたようで、「佐吉が欲しいなぁ〜」なんて(こんな言い方じゃないけど)言っちゃう光秀さんが面白かった
さてさて、あまりにも出たらめっぷりをおおっぴろげて書いてる『その時歴史が動いた』コミック版を出版社に言って返品するから金返せと直談判しようかと思ってます
とりあえず、殿本読んでから・・
この後でナオが出て来るんだよぅ〜
早く読みたいんだよぅ〜
大体は色んなサイトで見知りした内容で、可もなく不可もなくと言った内容
わたしは元来文章を書くのが好きで、執筆に関わってるわけではないですが自分で勝手な短編物を創作したりして一人で楽しんでます
人様にお見せできるようなものではないので公開はしてませんが、今は殿関連の創作物を書いて、一人で楽しむと言う陰気臭い遊びに耽ってます
で、この『石田三成』を読んで驚いたことがあります
実は、秀吉に貰い受けられて寺を出た三成(史実とは関係ない三成です)は、秀吉に連れられて信長に謁見されると言うものを書いたのですが、こちらの『石田三成』にもそっくりな内容が書かれていて、かなり驚きました
三成が連れて行かれたところが、安土城
創作で書いたものが、文庫本で売られているものと(ここまで)全く同じだったことに驚かずには居られなかった
しかも『石田三成』では、この時の佐吉は信長好みの美少年と書かれてました
わたしも、殿を相当美化して書いてたので、ここまで一致すると驚くってゆーより怖いわ
そして、頭が良くて見栄えも良い三成を一目で気に入った信長は、秀吉に「佐吉をくれ」と言っちゃいます
えぇぇぇ?!(驚
焦った秀吉が断り、三成も秀吉を主君と定めた限り、最後まで従いたいと強く望んだため事なきを得ますが、わたしが書いた創作物でも信長が殿を気に入り、「しばらく預けろ」と申し出ます
「預けろ」とは、いつか返すと言うことなので、秀吉も強く反対できず追い返されるように渋々殿を置いて行くのですが、そこで殿は信長と利家に食われます
なんつーものを書いたんだ、あたしってやつぁ・・(汗
三成さんの親友である大谷との絡みが少なくて、なんだか無関係な人間のように書かれていて、大谷のくだりもあっとゆうまに過ぎてしまいましたが、ここで大谷とは別の、小西(三成さんと共に処刑された西軍武将)との絡みがあって、そこんとこは面白かったです
わかりやすく区分けして書かれた内容で、初めは織田信長との絡みから始まり、次に明智光秀との絡み、間に清正や正則のバカっぷりも見れて面白いです
信長だけじゃなく、明智も三成さんを買っていたようで、「佐吉が欲しいなぁ〜」なんて(こんな言い方じゃないけど)言っちゃう光秀さんが面白かった
さてさて、あまりにも出たらめっぷりをおおっぴろげて書いてる『その時歴史が動いた』コミック版を出版社に言って返品するから金返せと直談判しようかと思ってます
とりあえず、殿本読んでから・・
この後でナオが出て来るんだよぅ〜
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