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三成さんに限らず、人には『光と影』がある
三成さんの熱狂的ファンにはなったが、知れば知るほど三成さんの影と言うものが見えて来る
それを悲しいとは想わない
初めは悲しかった
清廉潔白な三成さんが正しい人物像だと想いたかっただけの、ただの理想主義だとしても


8月の終わり、三成さんの生家に行った
見るものなんて何もなくて、ただ田んぼと山が続いてるだけの、詰まらない場所だった
詰まらない場所を巡るだけで時間が経ち、長浜市内の観光地には行けなかった
唯一、長浜城歴史博物館に行ったくらいか


Free Image Hosting at www.ImageShack.us■■■読本 石田三成■■■

長浜城歴史資料館内で販売されていたこの本は、大人が読むものではなく(読めなくもないが)小学生低学年を対象としたもののようだ
書かれているのは、『石田三成は立派な人だった!!』
そんな感じ
面白いっちゃぁ面白いし、詰まんないっちゃぁ、詰まんない
可もなく不可もなくな本
ただ、三成さんがどんな業績を上げたかがわかる(信憑性は、やや?な感じが否めないが)ので、三成さんファンには嬉しい一冊かも
この本を買った時、最初に目に付いたのが『下がり藤』の家紋


戦国無双2の殿の衣装にも採用されている
若干模様は異なるが、春日大社(奈良県)と同じだし、しかも藤原家の家紋なんですよ、これ
一説には石田家は藤原氏の出らしいですし(当時は自称が多い)、木曽義仲を討った石田為久が祖先だとも伝わっている
正直言って当時は検証なんかできないかったから、『言ったもん勝ち』とは言え、その後の命運を左右する相手でもある直江兼続の先祖が木曽義仲の家臣の一人だったってのもなんか、因果な気もする
で、実際の三成さんの人生って、その木曽義仲に通じるところもあるからやっぱり、歴史って繰り返されるんだなぁ
(義仲は優れた将にも関わらず、その人物像を激しく歪曲された人物としても有名)
下がり藤の他に、九曜(細川九曜に劇似)の家紋もあった
そして、三成さんの家紋は『大一大万大吉』だ
どんだけ家紋、持ってんねんって話
節操がないにも、ほどがある(汗

今、三成さんはブームなのか見直されているのかよくわからないですが、かなり人気の上がった人物であることは間違いないです
だけど、三成さんに光が当るのと同じように、今までとは打って変わって影に追いやられる人がいるのもそうで、その筆頭が清正と正則
今世に出回っている三成さん関連本(直江兼続に関しても)の殆ど、清正と正則が悪役回りをさせられている
これも因果なのだろうか
家が潰れたのも、三成さんを死に追いやった報いだとまで言われていて、特に清正に同情してしまいます
三成さんは400年が経った現在、未だ通説を信じるおバカな物書きも多いけど、ようやく日の目が当るようになった
だけど、それだけいいんだろうか
三成さんを光の当たる場所に置けば、影に追いやられる人が居るのも事実で、これこそ『堂々巡り』じゃないかと想った
この本にも、清正と正則を悪く受け取っていると思えるようなことが書かれている
まぁ、正則はともかくとして清正も、その根本は『豊臣恩顧』である
その気持ちは一生消えなかった
なのに『虎退治』で有名なばっかりに、風当たりもきつくなってしまっているような気がしてならない
『天地人』でも清正は、良くは書かれていない
どちらかに傾倒した物の見方しか出来ない人間の書いた本なんて、読みたくないのが心情
この本も、三成さんのことが書かれているところまでは興味深かったが、清正の名前を出した辺りで興醒めした
悪口ではないけれど、やはり影に置き換えた書き方だったのでがっかり

他の本では見れないこともたくさんあって、江戸幕府時代の切支丹弾圧が有名だけど、三成さんの一族も迫害を受けていたのだそうだ
それは明治の終わりまで続き、「わたしは石田三成の一族ではありません」と言う、踏み絵を踏むに等しいことをされていたそうだ
石田家はどれだけ徳川幕府の犠牲になって来たのだろうか
徳川を守るためだけに、たった一人の人間を悪に追いやり、全ての責任を押し付け、安泰を図って来たなんて
だから、家康は好きにはなれないけど、元々はこれを始めたのは家康ではなく、権力(威光)が衰退しつつあった徳川幕府が企んだこと
なのに家康も今、悪の権現みたいに思われてて、それもちょっと気の毒な話だなーとは思う(けど、同情は絶対しない。因果応報だから)

この、「読本 石田三成」には、他では見れない史料がたっぷり詰め込まれてます
三成さんの直筆の書状とかも載ってるし、当時の佐和山城の絵図も載ってます
三玄院に葬られた三成さんの頭蓋骨も掲載されてました
生前の特徴が多く見られるため、これが三成さんの遺骨だと見られています
三成さんの生き方はやはり、その大半が今も闇の中だし、死に方については今更書く必要もないと思う
ただ、この本を手にしてわたしが強く感じたことは、『類を見ないほど、三成さんの文字は美しい』


光と影に包まれた三成さんだけど、きっと、生き方も姿形も、美しい人だったんだろうな・・・と、ひたすらに願いたい自分がここに居た
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